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私を表す言葉

「あなたって、優しくないよね。」
そう言われたのは、16年間生きてきた中でこの日が初めてだった。
「あなたは優しいね」「ヨヨちゃんは優しい子で、みんなが困っているといつも気がついて元気付けようとしてくれます」「ヨヨは何でそんなに優しいの?」「そんなにお人好しだと、苦労するぞ」
保育園の先生、10年以上一緒にいる幼馴染み、小学校や中学校の先生、高校から仲良くなったともだち達。「私の良いところって何?」と聞けば、多くの人がその単語を発する。人を助ければ感謝されるし、人間関係も良好になる。何よりその称賛は、他者からしか受け取ることができない、最高のプレゼントだった。

 家の中で何でも願いが叶っていた兄とは違い、私は家の中では弱者で、故に兄を妬んでいる。勿論、血の繋がった人達からその称賛を貰ったことは無く、がめつく家族愛を欲していた私は母親に「何でそんなに優しくないの」と叱られた。

 だから私にとって「優しいね」と言われることは、私の存在意義だった。今までは。

「ヨヨさんって、優しくないよね」
そう言ったのは、文芸部顧問の教師だった。教師になって5年にも満たなくて、同僚の教師たちからも服装や行動を度々注意されている人。はっきり言えば嫌いだった。詳細は言えないが「自分を棚に上げて生徒を叱る人」だったから。

私は目を見開き、動けなかった。時計では1秒にも満たない一瞬の間が、体感では一生のようにも思えた。周囲の人は、私は平然としていたと言うけれど、脳内はぐるぐると言葉がスーパーボールのように跳ね回っていた。
何で。
何で。何で。何で。

今まで16年間培ってきた私のアイデンティティは、いとも簡単に崩れてしまったのだ。

「優しいって、何だろうか。」

教師に言われたその日から、呪いのようにその問いが脳内をくるくると回り、ある時は片隅に、ある時はゴシック体の太字で大きく私の脳を埋め尽くす。友達が私に向けて言っている「優しいね」という言葉は、本心ではないんじゃなかろうか。本当はそこにルビで「冷たいね。」「馬鹿だよね。」と嘲笑ったり距離を置こうとしている心があるのではないだろうか。少しでもそう思ってしまうと、もう疑心暗鬼のような感情が腹の底に渦巻くのを止められなかった。


そう思って高校生活を過ごす中で、ふと、思い立ってしまった。
「私が優しくないのであれば、優しさを学べば優しくなれるのでは?」

とんでもなく安直で、自分勝手な思いつき。
志望動機にしては、あまりにも拙いと今でも思う。

私は優しさを学ぶために保育士の学校へ進学し、現在、保育士として勤務している。

果たして私は、優しくなれたのだろうか。
学校ではもちろん、「優しさ」を教えてくれることは無かった。(当たり前だ)
子どもとの関わり方、日々の保育の流れやどんなところに注意をすればいいのか、掃除のやり方、法律的観点からの保育etc.
保育に関することを学んで今に至る。今までの自分よりも優しくなれた実感は無い。

でも、ある日の休憩中。
先輩との世間話の中で自分の家庭環境や中学時代の離婚を話す機会があった。思春期真っ只中だったときの両親の離婚。家族の中で唯一味方とも言える父親が家を出て行ったこと。
その全てを話すと、先輩は、あの言葉を私に返してきた。

グレずにいたことが

「優しい」って。

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