自分に閉じ込められて出られない経験

もう四十も半ばに差し掛かるので、いよいよ更年期の入り口に私は立っているのだろう。

元々鬱々としている自分なんだけど、生理の前後になるとウツウツがもっとひどくなってヴヅヴヅって濁点が付く感じにひどくなる。

まるで樹海の中をさまよっているみたい。

早くここから抜け出したいのに、霧の立ち込める深い森の中からいっこうに出ることができない。

辛い。

それでも実はこんなのはまだ序の口で余裕がある。

慣れてもいるから、辛いけれど何とか過ごせる。

もっともっとひどくなると、私の場合、自分から出られなくなる。

そうなるとかなりひどい。何もかもが無に近くなる。


自分から出れなくなるという感覚について、今のところ誰かに共感を得られたことがなく、同じ感覚を味わった人に会ったことがない。

だから今日はその感覚について書いてみようと思う。


たぶん、恐らく、想像でしかないんだけど、近い感覚なんじゃなかな?と思うのが、いわゆる植物状態の人。

「植物状態」の意味を調べてみたから簡単に要約すると、呼吸や心臓の鼓動とかはあるけれど、反応が一切なくて、客観的に意識が確認できないような状態を指すってことでいいじゃないかなと思う。

私もひどくなるとまさにこれに似た状態になってしまうの。

というか、意識はおぼろげにある。

客観的に見るとぼーっとして反応がないように見えるけれど、実は意識はあるの。

意識はあるけれど意識と体がつながっていないと言うか、うまく連動させられなくなるの。

で、感覚としては自分から出られないという感じになる。

自分という、壁が分厚くて窓一つない要塞に閉じ込められて出られないというような感じになる。

おぼろげな意識の中で、少しだけ怖さを感じている。

どうしたらいいんだろう。自分の中に閉じ込められてしまった。

助けてって思っても声が出せないし、立ち上がることも、指一本動かすこともできない。

で、どれくらいそのままなんだろうか?

結構長く感じるけれど、きっと数時間のことだろう。

知らないうちに眠ってしまってる。


私の場合、眠ってしまって目覚めた時、やっと元に戻ってる。首を動かして周りが見れるようになっているし、手で目をこすることもできるようになっている。

そうやって私は解放されるけれど、こういう経験があるから思う。

植物状態の人の中にも、やっぱり意識があって、それでもそれを表すことだけができなくて、とても長い時間怖い思いをしたり、悲しい思いをしたり、心底退屈したりしている人がいるんじゃないかな?と思ったりするの。

だから私は意識がないとされる人の意識を信じる。


家族にもし私が植物状態になってもラジオかテレビをつけといてね。

そしていっぱい話しかけてね。って言ってある。

もし家族が植物状態になっても、きっと同じようにする。

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