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はたしてあの時のドラフトは成功だったのか!?中日ドラゴンズの平成ドラフト(1989年~2018年)を振り返り評価してみた。

ドラフトが行われると、必ずといって良いほどその時のドラフトの評価がされます。
ですが、ドラフトは最低5年は経たないと成功か失敗か分からないと言われています。
そのため直近5年以内のドラフトの評価、ましてやまだプロ野球の世界でプレーしていないルーキーたちの評価をすることは時期尚早と言えます。

ならばそれ以上前のドラフトならもう評価できるのではないか考えました。
そのため、思いきって1989年から2018年までの平成30年間の中日ドラゴンズのドラフトを振り返り評価してみました。

なお、評価基準は成績に基づき私個人による独断で決めてあるので、この選手の評価が高すぎる、或いは低すぎるということはご了承願います。
また、選手の通算成績を含め評価したので、中日時代以外の他球団での成績も評価の対象としました。

※あまりにもあまりにも長すぎる内容となってしまいましたので、時間のある方だけどうぞ
結果だけ見たい方は「~評価トータルランキング~」だけ見てください



~評価基準~

SS:新人王以外の個人タイトルを獲得(5個以上)
  シーズン記録or通算NPB記録を樹立
     名球会入り

S:新人王以外の個人タイトルを獲得(4個以下)
   通算1500安打以上
   通算100勝以上
   通算500試合登板以上

A:シーズン100安打以上を複数回達成
   シーズン10勝以上を複数回達成
   シーズン50試合以上登板を複数回達成
   規定打席or規定投球回を複数回達成
   通算1000安打以上~通算1500安打未満
   通算50勝以上~通算100勝未満
   通算300試合登板以上~通算500試合登板未満

B:シーズン100安打以上
   シーズン10勝以上
   シーズン50試合以上登板
   規定打席or規定投球回達成
   通算500安打以上~通算1000安打未満
   通算200試合登板以上~通算300試合登板未満

C:シーズン50安打以上~シーズン100安打未満
    シーズン5勝以上~シーズン10勝未満
    シーズン30試合登板以上~50試合登板未満
    を複数回達成
    通算200安打以上~通算500安打未満
    通算100試合登板以上~通算200試合登板未満

D:シーズン50安打以上~シーズン100安打未満
    シーズン5勝以上~シーズン10勝未満
    シーズン30試合登板以上~50試合登板未満
    通算100安打以上~通算200安打未満
    通算50試合登板以上~通算100試合登板未満

E:通算50安打以上~通算100安打未満
   通算30試合登板以上~通算50試合登板未満

F:通算10安打以上~通算50安打未満
   通算10試合登板以上~30試合登板未満

G:通算10安打未満
    通算10試合登板未満
    プロ3年以内に戦力外通告or入団拒否
    一軍出場なし

トータル評価基準
新人王は「+」評価とし、+10点
SS:50点 S:30点 A:20点 B:15点 C:10点
D:5点 E:3点 F:1点 G:0点

それぞれの評価基準で一つでも高いランクの基準を満たす成績があれば、そのランクの評価としました。

なお本塁打についてはナゴヤ球場とバンテリンドームでは差が生じるので除外としました。

1989年  ~平成元年ドラフト~

1位 与田剛(社卒・投):B+  シーズン50試合登板1回
2位 井上一樹(高卒・投→外):B 通算863安打
3位 松永幸男(社卒・投):D 通算60試合登板
4位 松井達徳(社卒・外):E 通算95安打
5位 山田喜久夫(高卒・投):B 通算222試合登板
6位 種田仁(高卒・内):A 通算1102安打
投手45点 野手53点
トータル98点

平成最初のドラフト当時は星野仙一監督3年目であり、チームは3位。この時のドラフトでは野茂英雄投手、佐々木主浩投手、小宮山悟投手、佐々岡真司投手、古田敦也選手、前田智徳選手、新庄剛志選手と後の超一流選手たちがプロ入りした伝説的なドラフトとなった。

野茂英雄投手が8球団競合ドラ1指名される中、ドラゴンズはドラ1に与田剛投手を指名し見事一本釣り。1年目からクローザーに抜擢され、当時では異常な速さとなる、球速157キロを計測する等、当時の新人セーブ記録を樹立し新人王を獲得したが、以降は怪我によりプロでは短命に終わってしまった。
それでも引退後は指導者として数々の球団を渡り、2019年から2021年には中日ドラゴンズの監督も務めた。

ドラ2では井上一樹選手を投手として指名、後に野手転向し、いぶし銀な活躍を見せ1999年のリーグ優勝の主力として活躍した。

また、ドラ5には後に一軍リリーフとして活躍する山田喜久夫投手ドラ6には当時プロ入り拒否を表明していた種田仁選手を強行指名。ガニマタ打法、プロ野球脱税事件、横浜への電撃トレード移籍と記録にも記憶にも残る活躍をした。

トータルで見れば与田剛投手が1年目しか活躍できなかったことが痛かったが、それでも他で投打に渡りチームを支える選手を指名できたバランスの良いドラフトとなった。

1990年  ~色々と惜しいドラフト~

1位 小島弘務(社卒・投):C 通算167試合登板
2位 矢野輝弘(大卒・捕):SS GG賞を3回、B9を2回
3位 山本保司(高卒・内):F 通算49安打
4位 吉田太(大卒・投):F 通算13試合登板
5位 森田幸一(社卒・投):B+ シーズン50試合登板1回
6位 寺西秀人(社卒・投):G 通算6試合登板
投手36点 野手51点
トータル87点

星野仙一監督4年目。当時のチームは4位。
この時のドラフトは小池秀郎投手が8球団競合ドラ1となるも、ロッテが交渉権獲得したため入団拒否という異例のドラフトとなった。

ドラゴンズもドラ1で小池秀郎投手を指名したが外れたため、小島弘務投手を指名。1年目から先発、リリーフと活躍した。

また、ドラ5の森田幸一投手も1年目からクローザーとして起用され新人王を獲得したが、以降怪我によりプロ4年で現役引退となってしまった。

なおドラ2の矢野燿大選手にあっては、当時の正捕手中村武志選手の存在により中日時代では7年間控え捕手として起用されており、7年目の1997年オフに阪神にトレード移籍したことにより出場機会も増え一気に開花し球界屈指の名捕手へと成長した。

トータルでは高い評価となったが、結果を残した選手は短命及びトレード放出と、長期的に見ればチームにとってはあまり良い恩恵が出たとは言い難いドラフトとなってしまった。


1991年  ~イチローを逃した悲劇~

1位 落合英二(大卒・投):S 98年最優秀中継ぎ
2位 佐々木健一(高卒・投):G 通算5試合登板
3位 若林隆信(高卒・内→投):D 97年30試合登板
4位 若林弘泰(社卒・投):F 通算17試合登板
5位 井手元健一朗(高卒・投):D 通算53試合登板
6位 佐野心(社卒・外):G 通算1安打
7位 永川満寿(高卒・内):G 1年目に戦力外
投手41点 野手0点
トータル41点

当時のチームは2位となるも、健康上の理由により星野仙一監督が退任し、オフに高木守道監督が就任。そのため高木守道監督最初のドラフトとなった。

なおこの時のドラフトでは斎藤隆投手、石井一久投手、田口壮選手、金本知憲選手、中村紀洋選手という後の超一流選手。そして地元の逸材であり後にNPBでもMLBでも超超超一流の成績を残したイチロー選手がプロ入りしたドラフトとなった。

ドラゴンズはドラ1に斎藤隆投手を指名するも外したため、落合英二投手を指名。
1年目は右肘にサファイアを埋め込む大手術により一軍登板なしとなるも、以降はリリーフとして台頭し、1998年には最優秀中継ぎを受賞した。

しかしそれ以外の選手は結果を残せず、さらにオリックスにドラ4指名された地元愛知県豊山町出身であり愛工大名電出身のイチロー選手が後に数々の神業のような活躍を見せたため、イチロー選手を逃した後悔と反省が以降のドラフト戦略で呪いのように続いていくこととなってしまう、まさに悲劇的なドラフトとなってしまった。

ちなみにドラ3の若林隆信選手は3年目に内野手から投手転向、さらに7年目に再び野手転向という異例の転向劇を見せた。
さらにドラ4の若林弘泰投手はプロでは結果を残せなかったが、引退後は東海大学菅生高校の野球部監督に就任し、2015年春の甲子園出場、2017年夏の甲子園ベスト4、2021年春の甲子園ベスト8、2022年夏の甲子園出場を果たし、高校野球の名将となった。
しかし2022年に部員への暴力行為が発覚し、2023年に監督を解任。さらに暴行容疑で書類送検されるも、不起訴処分となり、同年9月に監督復帰となった。

また、ドラ5の佐野心選手も引退後、2023年現在は静岡県の浜松開誠館高校の野球部監督を務めており、同年の夏の甲子園出場を果たしている。


1992年  ~最下位からの巻き返し~

1位 佐藤秀樹(社卒・投):C 通算145試合登板
2位 鶴田泰(大卒・投):C 通算125試合登板
3位 野口茂樹(高卒・投):SS 99年MVP等タイトル6つ
4位 吉鶴憲治(社卒・捕):D 通算147安打
5位 伊礼忠彦(大卒・外):G 3年目に戦力外
6位 古池拓一(社卒・投):D 通算99試合登板
7位 神野純一(大卒・外):D 通算164安打
投手75点 野手10点
トータル85点

高木守道監督1年目であったが、当時のチームは最下位に沈んだ。この時のドラフトの目玉は松井秀喜選手、伊藤智仁投手であった。

ドラゴンズはドラ1に松井秀喜選手を指名するも外したため、佐藤秀樹投手を指名。1年目から先発ローテ入りと活躍するも、後にプロ野球脱税事件に関与、1999年には西武へ金銭トレードとなった。

ドラ2の鶴田泰投手も1年目から先発ローテ入りし、ルーキーながら7勝を挙げた。

ドラ3の野口茂樹投手1996年にノーヒットノーラン達成、1998年に最優秀防御率、1999年には19勝を挙げシーズンMVPと最優秀バッテリーを受賞しリーグ優勝の原動力として大活躍、2001年には再び最優秀防御率を獲得とドラゴンズのエースとして破竹の活躍を見せた。
しかし2005年オフに巨人へFA移籍となった。

それ以外の選手についても一軍の控え選手ながらもプロの世界で爪痕を残す活躍を見せ、トータルで見れば当時の最下位から巻き返すドラフトとして成功したドラフトとなった。


1993年  ~黒歴史のようなドラフト~

1位 平田洋(高卒・投):G 通算2試合登板
2位 鳥越裕介(大卒・内):B 通算504安打
3位 笹山洋一(高卒・投):G 3年目に戦力外
4位 遠藤政隆(社卒・投):A 通算332試合登板
5位 工藤友也(高卒・投):G 2年目に戦力外
投手20点 野手15点
トータル35点

高木守道監督2年目。当時はチーム2位と前年の最下位から見事に巻き返した。

また、西武が過去に行っていたドラフト外入団、練習生制度等で有望選手を囲い込む行為が問題視されたため、この年のドラフトから大学生・社会人の逆指名制度が導入され、2順目の指名まで逆指名制度が適用された。

なおドラゴンズはドラ1に地元の逸材である豊田大谷高校の剛腕、平田洋投手を指名。一方でドラ2では鳥越裕介選手を逆指名により獲得となった。

しかし平田洋投手は1年目のOP戦でドラゴンズが逃した地元の逸材であるイチロー選手に満塁ホームランを浴びるなど、プロでは全く結果を出すことができず、僅か2試合の登板で現役引退となってしまった。

また逆指名で入団した鳥越裕介選手も抜群の守備力を誇る遊撃手として活躍したが、後にプロ野球脱税事件に関与していたことが発覚。他の選手の台頭もあり1999年にダイエーへトレードとなった。

なお、ドラ3の笹山洋一投手、ドラ5の工藤友也投手は怪我により一軍では全く活躍できず早々に戦力外となってしまった。

唯一ドラ4の遠藤政隆投手は後にリリーフ投手として活躍したが、なんと遠藤政隆投手もプロ野球脱税事件に関与していたことが発覚。脱税額が少なかったため起訴猶予とはなったが、トータルで見ても期待はずれ、怪我、脱税事件とチームとしても黒歴史のようなドラフトとなってしまった。


1994年  ~期待はずれのドラフト~

1位 金森隆浩(大卒・投):G 通算2試合登板
2位 山田洋(社卒・投):D 通算89試合登板
3位 山田広二(社卒・内):G 通算6安打
4位 原田政彦(社卒・内):F 通算37安打
5位 三輪敬司(高卒・捕):G 一軍出場なし
6位 大西崇之(社卒・外):B 03年シーズン104安打
投手5点 野手16点
トータル21点

高木守道監督3年目。当時はペナントレース最終戦で巨人と同率首位。さらに最終戦が巨人戦と勝てばリーグ優勝という10.8決戦が行われ、苦しく敗れチーム2位に終わった。

当時のドラフトはダイエーが大学進学が決定しプロ入り拒否を表明していた城島健司選手を強行指名し、大きな波紋を呼び、以降のドラフトはプロ入り拒否を表明しているアマチュア選手の指名が禁止となり、後のプロ野球志望届の導入へのきっかけとなった。

そんな中、ドラゴンズはドラ1に紀田彰一投手を指名するも横浜との競合を外し、代わりに金森隆浩投手を指名。しかし一軍では僅か2試合の登板で戦力外通告、プロ入り初登板では1イニング2本の満塁ホームランを被弾する当時のNPBでは史上初の記録を作ってしまった。なお戦力外通告後は台湾リーグでプレーし、1999年に再び中日に復帰したが一軍登板なしでまたも戦力外となり、引退となった。

それ以外の選手も全く結果を残すことができない中、唯一ドラ6の大西崇之選手にあっては、プロ9年目の2003年にシーズン104安打を放ち規定打席には至らなかったものの、打率3割をマークした。

トータルで見れば、当時の白熱したペナントレースとうってかわり、かなり期待はずれのドラフトとなってしまった。しかしドラ6指名の大西崇之選手が遅咲きながら期待はずれの評価に一矢報いる形となった。


1995年  ~星野監督激怒も神ドラフトへ~

1位 荒木雅博(高卒・内):SS 通算2045安打
2位 門倉健(大卒・投):S 05年最多奪三振
3位 藤井優志(大卒・捕):G 通算0安打
4位 渡辺博幸(社卒・内):S 04年GG賞
5位 大塔正明(大卒・投):D 通算71試合登板
6位 益田大介(大卒・外):B 規定打席1回
7位 日笠雅人(社卒・投):D 通算86試合登板
投手40点 野手95点
トータル135点

高木守道監督4年目も開幕からチームは負けを積み重ね高木守道監督はシーズン途中休養。さらに当時の徳武定祐ヘッドコーチが代行監督となるも、代行監督もシーズン途中で解任となり島野育夫二軍監督が代行監督を務めるという、まさにチームがバラバラになり借金30となってしまった。なおチーム5位だった
そのためオフに星野仙一監督が復帰し、第二次星野政権最初のドラフトとなった。

この時の目玉としてPL学園の福留孝介選手が7球団競合ドラ1となり近鉄が交渉権獲得するも、中日と巨人以外なら社会人野球と表明し、近鉄を入団拒否する異例のドラフトとなった。

そんな中でドラゴンズも福留孝介選手をドラ1指名するも外し、代わりに原俊介選手を指名するも競合となり外し、結果、外れ外れドラ1に荒木雅博選手を指名した。

この指名に関しては星野監督が2回くじを外したため「もうええわ、誰でもええわ、お前らで決めろ」と激怒し、最終的にスカウトへ一任し荒木雅博選手をドラ1指名したという逸話がある。結果的にこの指名は大成功。盗塁王1回、GG賞7回、ベストナイン3回、そして通算2045安打で名球会入りとNPB屈指の二塁手となった。なお荒木雅博選手が2000本安打を達成した瞬間の花束贈呈は星野仙一氏が務めた。

ドラ2では門倉健投手を逆指名で獲得すると、2年目から2年連続二桁勝利を挙げ、2000年より近鉄にトレード、以降は横浜、巨人と球団を渡り歩き、横浜時代の2005年には最多奪三振を受賞した。

ドラ4の渡辺博幸選手は2004年にGG賞を受賞、ドラ5の大塔正明投手は1997年に43試合登板、ドラ6の益田大介選手は1997年に規定打席到達、ドラ7の日笠雅人投手は1998年に48試合登板と、1シーズンだけとはいえ、それぞれが一軍で結果を残した。

ドラ3の藤井優志選手以外の6選手が一軍戦力にまで成長したので、トータルで見れば大成功を修めたドラフトとなった。


1996年  ~NPB野手大豊作ドラフトも~

1位 小山伸一郎(高卒・投):A 通算481試合登板
2位 森野将彦(高卒・内):S 通算1581安打
3位 幕田賢治(高卒・外):G 通算3安打
4位 中野栄一(大卒・捕):F 通算24安打
5位 山田貴志(大卒・投):G 2年目に戦力外 
6位 佐藤康幸(大卒・投):E 通算37試合登板
7位 筒井壮(大卒・内):E 通算61安打
8位 宮越徹(高卒・投):D 通算56試合登板
投手25点 野手37点
トータル62点

第二次星野政権1年目。当時のチームは前年の借金30から巻き返し2位へ浮上、またナゴヤ球場最後のシーズンであった。
この時のドラフトは空前絶後の野手大豊作ドラフト。
松中信彦選手、井口資仁選手、今岡誠選手、谷佳知選手、小笠原道大選手、和田一浩選手、岩村明憲選手、小坂誠選手、柴原洋選手、関本健太郎選手、濱中治選手、鈴木尚広選手など、後に一軍で各チームの主力として活躍する選手がプロ入りを果たした。

その中でもドラゴンズはドラ1で小山伸一郎投手を指名。しかし中日時代では二軍暮らしが続き、2004年オフに新球団の楽天へ無償トレードとなると、楽天で一気に開花し、6年連続50試合登板を果たす等リリーフの一角として楽天を支えた。

ドラ2の森野将彦選手は10年目にして初めて規定打席到達と遅咲きながらも以降は中軸として活躍し、ベストナイン1回、GG賞1回、通算1581安打と素晴らしい成績を修めた。

ドラ8の宮越徹投手については2004年に西武へトレード移籍後にプロ入り初勝利を挙げるなど、移籍後にようやく結果を出したので、トータルで見ればNPB全体で野手大豊作ドラフトであり、ドラゴンズも森野将彦選手を獲得したものの、それ以外はチームにとって当たりとは言えないドラフトとなってしまった。

1997年  ~世紀の大当たりドラフト~

1位 川上憲伸(大卒・投):SS+ 04年沢村賞など多数
2位 森章剛(高卒・外):F 通算28安打
3位 正津英志(社卒・投):A 通算328試合登板
4位 鈴木郁洋(大卒・捕):D 通算153安打
5位 井端弘和(大卒・内):SS GG賞を7回、B9を5回
6位 高橋光信(大卒・内):D 通算129安打
7位 白坂勝史(大卒・投):G 3年目に戦力外
8位 清水清人(高卒・捕):G 通算2安打
投手80点 野手61点
トータル141点

第二次星野政権2年目。この年から本拠地をナゴヤドームに移すも、狭いナゴヤ球場から一転して広いドームに適応できず、またしても最下位へ転落した。

この時のドラフトは平安高校の川口知哉投手が4球団競合ドラ1と目玉であったが、ドラゴンズにあっては逆指名でドラ1で川上憲伸投手を獲得。
これが大成功。1年目から先発ローテ入りし14勝を挙げ新人王を獲得すると、以降もドラゴンズのエースとして沢村賞、最多勝、最多奪三振など数々のタイトルを獲得。さらに月間MVP8回受賞とセ・リーグ投手最多タイ記録を樹立し、メジャーにも挑戦したNPBを代表する大投手へと成長した。

ドラ3の正津英志投手も1年目から4年連続40試合登板とリリーフとして活躍、2004年に西武へトレード移籍するも、移籍後もリリーフとして活躍し通算328試合登板となった。

ドラ5の井端弘和選手はベストナイン5回、GG賞7回、通算1912安打とNPBを代表する遊撃手として大活躍。晩年には巨人へ移籍し引退となるも、引退後は指導者として巨人コーチ、侍ジャパンU-12代表監督を務め、アジアプロ野球チャンピオンシップ2023の侍ジャパン監督にも就任した。

その他にもドラ4の鈴木郁洋選手は控え捕手として起用され、2002年に近鉄に金銭トレードとなるも「シドニー」の愛称としてファンから慕われ、ドラ6の高橋光信選手は代打の切り札として活躍した。

トータルで見れば絶対的エース、絶対的遊撃手、一軍リリーフとチームに必要不可欠な選手を獲得することができた、まさに神がかりのような大当たりドラフトとなった。


1998年  ~史上最高の伝説ドラフト~

1位 福留孝介(社卒・内):SS 06年MVPなど多数
2位 岩瀬仁紀(社卒・投):SS NPB通算セーブ記録
3位 小笠原孝(大卒・投):C シーズン5勝以上4回
4位 蔵本英智(大卒・外):S 04年GG賞
5位 川添将大(高卒・投):G 一軍出場なし
6位 矢口哲朗(高卒・投):G 通算4試合登板
7位 新井峰秀(韓国・外):G 2年目に戦力外
投手60点 野手80点
トータル140点

第二次星野政権3年目。前年の最下位から一転して当時のチームは2位へと浮上した。

この時のドラフトでは平成の怪物松坂大輔投手を始め、後の松坂世代と呼ばれる名選手たち。小林雅英投手、藤川球児投手、福原忍投手、上原浩治投手、里崎智也選手、實松一成選手、東出輝裕選手、新井貴浩選手、二岡智宏選手、森本稀哲選手、金城龍彦選手らがプロ入りを果たした大豊作ドラフトであった。

ドラゴンズにあっては1996年にドラ1指名を外すも社会人野球へと進んでいた福留孝介選手を逆指名でドラ1で獲得。
前評判通りの活躍で1年目からリーグ優勝の原動力となると、以降はシーズンMVP1回、首位打者2回、最高出塁率3回、ベストナイン4回、GG賞1回受賞。2008年からはメジャーに移籍、2013年からは阪神でプレーし2021年には再び中日に復帰し、2022年の45歳までプレー。まさにNPBを代表する5ツールプレーヤー、鉄人っぷりを見せたレジェンド選手となった。

ドラ2では逆指名で岩瀬仁紀投手を獲得。こちらも1年目からセットアッパーとして活躍し最優秀中継ぎを獲得し、リーグ優勝の原動力となった。
以降は最優秀中継ぎ3回、最多セーブ5回、2005年にはシーズン46セーブの現セ・リーグ記録(2016年までNPB記録)、9年連続30セーブのNPB記録、15年連続50試合登板を果たし、さらに通算1002試合登板、通算407セーブのNPB記録を樹立した、NPB史上最高のクローザーとなった。

ドラ3の小笠原孝投手は規定投球回は1度も到達しなかったが、先発ローテの5~6番手として活躍、月間MVPも1回受賞した。ドラ4の英智選手は2004年にGG賞を受賞した。

トータルで見てもNPB全体の大豊作ドラフトの恩恵を受けるかのように、球団史上類を見ない大成功ドラフトとなった。

1999年  ~少数精鋭ドラフト~

1位 朝倉健太(高卒・投):A シーズン10勝以上4回
2位 福沢卓宏(高卒・投):G 通算5試合登板
3位 山北茂利(社卒・投):A シーズン50試合登板2回
投手40点 野手0点(指名なし)
トータル40点

第二次星野政権4年目。当時は前年のドラフト大成功もあり、ついに11年ぶり悲願のリーグ優勝を果たした。

この時のドラフトは後にメジャーへと挑戦する岩隈久志投手、高橋尚成投手、川崎宗則選手、田中賢介選手がプロ入りしたドラフトであった。

ドラゴンズにあってはドラ1で河内貴哉投手を指名するも3球団競合となり外し、代わりに地元東邦高校の朝倉健太投手をドラ1指名。
また、当時のドラフトはウェーバー制がドラ3以降からなので、ドラ2では田中賢介選手を指名するも3球団競合となり外し、福沢卓宏投手を指名した。

そしてドラ3で山北茂利投手を指名したところで、なんとドラゴンズはまさかまさかのドラ3までの指名でドラフトを終了する異例の少数ドラフトとなった。

それでもドラ1の朝倉健太投手はシーズン二桁勝利を4回達成するなど、先発ローテの一角を担った。

また、ドラ3の山北茂利投手シーズン50試合登板を2回達成するなど、リリーフの一角を担った。

トータルで見ても投手3人の指名のみに終わったが、3人中2人が一軍戦力へと成長した、少数精鋭ドラフトとなった。

2000年  ~タイトルホルダー2人獲得~

1位 中里篤史(高卒・投):E 通算34試合登板
2位 洗平竜也(大卒・投):G 3年目に戦力外
3位 井本直樹(社卒・投):G 2年目に戦力外
4位 岡本真也(社卒・投):S 04年最優秀中継ぎ
5位 土谷鉄平(高卒・外):S 09年首位打者&B9
6位 山崎賢太(専門・投):G 3年目に戦力外
7位 仲沢忠厚(高卒・内):F 通算49安打
8位 辻田摂(米国・投):G 2年目に戦力外
投手33点 野手31点
トータル64点

第二次星野政権5年目。当時のチームは2位に終わり、悲願のリーグ連覇とはならなかった。

この時のドラフトは内海哲也投手、渡辺俊介投手、阿部慎之助選手、内川聖一選手、中島宏之選手、畠山和洋選手、赤星憲広選手らがプロ入りした。

ドラゴンズにあってはドラ1で中里篤史投手を指名。スカウトや選手からも認められる程のずば抜けたセンスの持ち主で、ファンから凄まじく期待された投手であったが、階段で転倒しそうになった際に手すりを掴んだことにより脱臼し右肩関節唇および同関節包の損傷という大怪我。またバランスボールからの落下で左肘骨折するなど度重なる不慮の怪我が重なり、一軍では結果を残すことができず、ドラゴンズファンの幻となってしまった。

ドラ4の岡本真也投手はセットアッパーとして活躍し、2004年には最優秀中継ぎ投手を受賞し、2004年のリーグ優勝の原動力となった。

ドラ5の土谷鉄平選手は中日時代では一軍選手層の厚みにより二軍暮らしが続いたため、「他なら出場機会があるのではないか」という落合監督の意向により2005年オフに楽天へ金銭トレードとなると、これが功を奏し、移籍1年目から一気にレギュラーを奪取し、2009年には首位打者を受賞した。

しかしながらそれ以外の選手については全く活躍することができず、トータルで見ればタイトルホルダーを獲得する選手を2人指名することができたドラフトとはなったが、土谷鉄平選手にあっては殆どが楽天時代の実績となったため、チームとしては岡本真也投手だけのドラフトとなってしまった。


2001年  ~意外性を見せたドラフト~

自由枠 -----
自由枠 -----
1位 前田章宏(高卒・捕):G 通算3安打
2位 -----
3位 田上秀則(大卒・捕):S B9を1回
4位 久本祐一(社卒・投):B 03年に51試合登板
5位 前田新悟(大卒・内):G 3年目に戦力外
6位 山井大介(社卒・投):S 最多勝などタイトル2個
7位 都築克幸(高卒・内):G 一軍出場なし
8位 高橋聡文(高卒・投):S 通算532試合登板
投手75点 野手30点

トータル105点

第二次星野政権6年目。当時のチームは5位に沈んだため星野監督は辞任となりオフに山田久志監督が就任。
そのため山田久志監督最初のドラフトとなった。

また、この年のドラフトより社会人・大学生から2名以内をドラフト会議前に獲得できる自由獲得枠制度が設けられた。

なおドラゴンズは自由獲得枠制度を使わず、ドラ1で寺原隼人投手を指名するも4球団競合を外したため、代わりに地元中京大中京の前田章宏選手をドラ1指名。
しかしプロ10年と長いキャリアとなるも通算3安打と全く結果を残すことができなかった。

また、ドラ3で田上秀則選手を指名するも中日時代では通算2安打と全く結果を残せず5年目の2005年オフに戦力外通告。しかしソフトバンクが獲得すると一気に頭角を表し、2009年には26本塁打を放ちベストナインを受賞し、大逆転を果たした。

ドラ4の久本祐一投手はリリーフとして活躍、2003年にはシーズン51試合登板を果たした。

ドラ6の山井大介投手は怪我が多かったものの、2007年の日本シリーズでは8回完全投球を果たし全国にその名を轟かせると、2013年にはノーヒットノーランを達成、さらに2014年にはNPB最年長記録での最多勝と最高勝率を獲得した。

ドラ8の髙橋聡文投手は怪我が多かったものの、リリーフとして活躍し、2010年には左のセットアッパーとして61試合登板、31ホールドを果たしリーグ優勝に貢献。晩年には阪神へFA移籍するも、通算532試合登板という、ドラ8高卒投手という低評価を覆す破竹の大活躍を成し遂げた。

トータルで見れば上位指名に捕手2人指名するも2人ともチームには貢献できなかったという編成戦略として失敗したかのように見えたものの、下位指名となった投手が大活躍を果たし、意外性を見せたドラフトとなった。


2002年  ~小粒と化したドラフト~

自由枠 -----
1位 森岡良介(高卒・内):C 通算290安打
2位 -----
3位 桜井好実(高卒・外):G 一軍出場なし
4位 植大輔(大卒・投):G 2年目に戦力外
5位 長峰昌司(高卒・投):D 通算69試合登板
6位 小林正人(大卒・投):B 通算293試合登板
7位 瀬間仲ノルベルト(高卒・内):G 3年目に戦力外
8位 湊川誠隆(大卒・内):G 2年目に戦力外
投手20点 野手10点

トータル30点

山田久志監督1年目。当時のチームは前年のBクラスから3位へと巻き返した。

この時のドラフトは松坂世代の大卒選手。和田毅投手、新垣渚投手、木佐貫洋投手、村田修一選手らがプロ入りした。なお松坂世代である多田野数人投手がとある不祥事により指名されず、結果メジャーへ挑戦するというファンをたまげさせる出来事が起きた。

ドラゴンズは自由枠を使わずドラ1で森岡良介選手を指名するも、当時の厚い内野陣の前に二軍暮らしが続いていた。
しかし2008年に試合中に選手に激しく叱責した当時二軍コーチであった高柳コーチに抗議し一触即発となり、結果謹慎処分を受け、これが原因なのかオフに戦力外通告となってしまった。
それでも退団後はヤクルトでプレーし、ヤクルトでは選手会長を務める等、一軍主力として活躍した。

ドラ6の小林正人投手は2006年にサイドスローに転向したことにより一気に開花し、対左のワンポイント起用の左キラーで通算293試合登板を達成した。

なお他の選手は一軍では全く結果を出すことができず、トータルで見れば小林正人投手以外はチームにとっては大外れとなる、小粒と化したドラフトとなってしまった。

2003年  ~オレ竜初陣ドラフト~

自由枠 -----
自由枠 -----
1位 中川裕貴(高卒・内):G  通算5安打
2位 -----
3位 石川賢(大卒・投):F  通算12試合登板
4位 佐藤充(社卒・投):D 06年に9勝
5位 中村公治(大卒・外):F 通算19安打
6位 堂上剛裕(高卒・内):D 通算167安打
7位 川岸強(社卒・投):B 08年に54試合登板
8位 小川将俊(社卒・捕):G 通算5安打
投手21点 野手6点
トータル27点

山田久志監督2年目。チームは2位に終わったがシーズン途中に突如として山田久志監督が解任され当時の佐々木恭介ヘッドコーチが代行監督を務めた波乱のシーズンとなった。
なおオフに落合博満監督が就任したため、落合博満監督最初のドラフトとなった。

ドラゴンズは自由枠を使わずドラ1で中川裕貴選手を指名するも、怪我が相次ぎプロでは僅か通算5安打で現役引退となった。

ドラ4の佐藤充投手は2006年に5試合連続完投勝利という球団タイ記録を挙げ、月間MVPを受賞する等、シーズン9勝を挙げたが、結果を出したのはこの1年だけであった。

ドラ6の堂上剛裕選手は実父が元ドラゴンズ投手の堂上照投手であり、人気もあり、代打の切り札として活躍。2010年のリーグ優勝に貢献した。

ドラ7の川岸強投手は中日時代では結果を出すことができず2006年オフに戦力外通告となるも、同年オフに楽天の入団テストを受け合格。楽天では2008年にセットアッパーとして一気に開花し、シーズン54試合登板した。

トータルで見れば長期間活躍した選手はいなかったが、短期間ながらも鮮烈な活躍を果たした選手が集ったドラフトとなった。


2004年  ~オレ竜炸裂ドラフト~

自由枠 樋口龍美(社卒・投):G 3年目に戦力外
自由枠 -----
1位 -----
2位 中田賢一(大卒・投):S 通算100勝
3位 -----
4位 川井進(社卒・投):B 09年に11勝
5位 鈴木義広(社卒・投):B 通算258試合登板
6位 石井裕也(社卒・投):A  通算330試合登板
7位 中村一生(大卒・外):E 通算50安打
8位 小山良男(社卒・捕):G 通算2安打
9位 金剛弘樹(社卒・投):F 通算27試合登板
10位 鎌田圭司(社卒・内):G 3年で戦力外
11位 沢井道久(社卒・内):G 通算8安打
12位 普久原淳一(大卒・外):G  通算0安打
投手80点 野手4点
トータル84点

落合博満監督1年目。当時のチームは現有戦力の底上げを見事有言実行し5年ぶりのリーグ優勝を遂げ、まさにオレ竜野球が炸裂したシーズンであった。

この時のドラフトはダルビッシュ有投手、涌井秀章投手、金子千尋投手、能見篤史投手という後の超一流投手がプロ入りを果たし、また阪神ではドラフト指名選手最年少となる当時15歳の辻本賢人投手がドラフト指名された。

ドラゴンズは自由枠を使用し樋口龍美投手を指名。
入団時点で29歳というオールドルーキーであり即戦力投手として期待されたが、プロ入り後はヘルニアにより一軍登板することなく2007年オフに戦力外通告となり引退となった。
ちなみに現在はドラゴンズ二軍総務を務めている。

ドラフト2位の中田賢一投手は1年目から開幕先発ローテ入りすると、2007年には荒れ球を武器に14勝を挙げ先発の柱として活躍。落合監督からは「暴れ馬」と呼ばれファンから慕われるも、2013年オフにソフトバンクへFA移籍。
ソフトバンクでは通算100勝を挙げ、晩年は阪神でプレーした。

ドラフト4位の川井進投手は2009年に登録名を「川井雄太」に変更したおかげか、球団新記録となる開幕11連勝という破竹の活躍を見せ月間MVPも受賞した。
なお2012年には登録名を川井雄太から「雄太」に更に変更した。

ドラフト5位の鈴木義広投手は1年目からリリーフとして活躍し、2011年には55試合登板で防御率1.08と抜群の安定感を見せリーグ連覇に貢献し、通算258試合と一軍リリーフを支えた。
なお2014年の引退試合では打者1人の対戦の登板であったが、横浜の黒羽根利規選手にホームランを浴びた。

ドラフト6位の石井裕也投手は先天性難聴という障害を持ちながらも「サイレントK」の異名でリリーフ投手として活躍。
2008年には横浜へトレード移籍、2010年には日ハムへトレード移籍となるも、移籍先でもリリーフ投手として活躍し、通算330試合登板を果たした。

トータルで見れば支配下11人指名という大量獲得、さらに高卒選手なし、社会人選手を8人指名というオレ竜が炸裂した即戦力ドラフトとなり、自由枠の樋口龍美投手は大外れとなってしまったものの、一軍戦力となる投手を4人も獲得することができた。
なお野手に関しては全員一軍では結果を出すことができず、まさに投高打低のドラフトとなった。


2005年  ~NPB初の分離ドラフト~

高校生ドラフト
1位 平田良介(外):S GG賞を1回、B9を1回
2位 -----
3位 春田剛(内):G 2年目に任意引退
4位 高江洲拓哉(投):G 2年目に戦力外
5位 金本明博(投):G 2年目に戦力外

大学・社会人ドラフト
希望枠 吉見一起(社卒・投):SS 最多勝等タイトル6個
1位 -----
2位 -----
3位 藤井淳志(社卒・外):B 通算634安打
4位 新井良太(大卒・内):C 通算298安打
5位 柳田殖生(社卒・内):F 通算49安打
6位 斉藤信介(社卒・投):E 通算36試合登板
7位 佐藤亮太(大卒・投):G 通算6試合登板
育成ドラフト
1位 竹下哲史:G 2年目に戦力外
2位 加藤光教:G 2年目に戦力外
投手51点 野手56点
トータル107点

落合政権2年目。当時はチーム2位であった。
この年のドラフトから高校生のみを指名できる高校生ドラフト、大学・社会人のみを指名できる大学・社会人ドラフトの二つに分けられ、また自由枠を希望枠へと名称変更になり、1球団1人まで希望枠での獲得が可能となった。
さらに育成ドラフトもこの年より始まった。

ドラゴンズは高校生ドラフトでは平田良介選手をドラ1指名し、大学・社会人ドラフトでは吉見一起投手を希望枠で獲得。

平田良介選手は入団当初は怪我等に悩まされ出遅れるも、2011年に2試合連続サヨナラ本塁打を放ち一気に頭角を表し月間MVPを受賞。
以降はチームの主力として活躍し、2015年にはベストナイン、プレミア12侍ジャパンメンバー入り、2018年にはGG賞を受賞し、同年にはサイクルヒットも達成した。

吉見一起投手は2008年に先発・セットアッパーを務め10勝を挙げ一気に頭角を現すと、2009年にはエースとして更に覚醒し最多勝を受賞。2011年には最多勝、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、最優秀バッテリーを獲得し絶対的エースとしてリーグ連覇の原動力となった。

大社ドラフト3位の藤井淳志選手は新人開幕スタメンを果たすと、2009年には規定打席には到達しなかったもののシーズン120安打を放ち、40歳までプレーし通算634安打を放ち、記憶に残る活躍をした。

大社ドラフト4位の新井良太選手は実兄が新井貴浩選手であり、人気はあったが中日時代では二軍では結果を出すも一軍では結果を残せず、2011年に阪神へトレード移籍し、実兄の新井貴浩選手と兄弟でプレーすることとなると、阪神で一気に打撃を開花させた。

トータルで見ればドラ1選手が共にチームの柱として大活躍を果たし大成功を修めたが、高校生ドラフトは平田良介選手以外は2年目オフに全員退団。育成入団の2選手も2年目オフに全員退団となるドラフトとなり、後の育成面に大きく響くドラフトとなった。

2006年  ~最強セットアッパーの獲得~

高校生ドラフト
1位 堂上直倫(内):B 規定打席1回
2位 -----
3位 福田永将(捕):B 通算546安打

大学・社会人ドラフト
希望枠 田中大輔(大卒・捕):F 通算14安打
1位 -----
2位 -----
3位 浅尾拓也(大卒・投):SS シーズンHP数NPB記録
4位 菊地正法(社卒・投):G 3年目に戦力外
5位 岩崎達郎(社卒・内):E 通算75安打
6位 清水昭信(大卒・投):D 通算71試合登板
7位 西川明(大卒・投):G 通算3安打
育成なし
投手55点 野手34点
トータル89点

落合政権3年目。当時のチームは貯金33で2年ぶりのリーグ優勝を果たした。

この時のドラフトは甲子園を沸かしたハンカチ王子こと斎藤佑樹投手らハンカチ世代がプロ入り。田中将大投手、前田健太投手、吉川光夫投手、坂本勇人選手、會澤翼選手、梶谷隆幸選手がプロ入りするも、肝心の斎藤佑樹投手は早稲田大学進学となった。

ドラゴンズは3球団競合ドラ1を見事引き当て地元愛工大名電の堂上直倫選手を指名。なおこれにより実父、兄弟揃って同一球団に所属することになった。
内野全てを守れるユーティリティとして活躍するも、打撃は伸び悩み、10年目にしてようやく規定打席到達となった。

高校生ドラ3の福田永将選手はこちらもプロ13年目にして規定打席到達と遅咲きながらも主軸として活躍。チーム屈指の長打力で月間MVPも受賞し、通算546安打を放った。

希望枠では田中大輔選手を指名するも怪我等もあり、結果を残すことができなかった。

大社ドラ3の浅尾拓也投手は球界を代表するセットアッパーとして活躍。2010年にはシーズン59ホールドポイントを挙げNPB新記録を樹立。
2010~11年に2年連続最優秀中継ぎ、さらに2011年にはシーズンMVP、リリーフ起用のみでは史上初のGG賞を受賞する等、リーグ連覇の原動力となった。

トータルで見れば高校生ドラフトの堂上直倫選手、福田永将選手が共に活躍し、大社では浅尾拓也投手という大当たりを引き当てたドラフトとなり、さらに3選手とも引退後はドラゴンズでコーチを務めることとなったため、長年ドラゴンズを支えることとなるドラフトとなった。

2007年  ~まさかの少数ドラフト~

高校生ドラフト
1位 赤坂和幸(投→外):F 通算14安打
2位 -----
3位 樋口賢(投):G 2年目に戦力外

大学・社会人ドラフト
1位 山内壮馬(大卒・投):B 12年シーズン10勝
2位 -----
3位 谷哲也(社卒・内):E 通算70安打
育成なし
投手15点 野手4点
トータル19点

落合政権4年目。当時のチームは2位ながらもこの年から導入されたCSにより巨人を破り日本シリーズに進出し、見事チーム53年ぶりの日本一となった。

この時のドラフトから有望アマチュア選手を栄養費として資金を渡し特定の球団が囲い込む栄養費問題を見直すため、1993年から続いていた逆指名制度であった希望枠が廃止となった。
なお高校生では佐藤由規投手が5球団競合、中田翔選手が4球団競合。大社では大場翔太投手が6球団競合、長谷部康平投手が5球団競合と特定の選手が大人気のドラフトとなった。

ドラゴンズは高校生ドラフトではドラ1で佐藤由規投手を指名するも競合を外し、代わりに岩嵜翔投手を指名するもこちらも競合を外し、外れ外れドラ1で赤坂和幸投手を指名。

また大社ドラフトではドラ1で長谷部康平投手を指名するも競合を外したため、地元名城大の山内壮馬投手をドラ1指名。

高校生ドラ1の赤坂和幸投手は投手では結果を出すことができず、2010年に野手転向するもこちらも結果を出すことができず僅か通算14安打となった。

大社ドラ1の山内壮馬投手は2008年の横浜戦でのプロ入り初登板で4失点KOから試合中に名古屋へ強制送還され翌日二軍落ちし以降シーズンの一軍再昇格無しという令和の時代なら明らかに大問題になりそうなデビュー戦となるも、2012年には先発の柱としてシーズン10勝を挙げた。しかし活躍したのはこの1年のみとなった。
なお引退後は名城大学の投手コーチとして、現広島の守護神栗林良吏投手、2023年SBドラ2岩井俊介投手、2023年横浜ドラ2松本凌人投手を育て指導者として活躍している。

トータルで見れば、当時のドラゴンズはまさに黄金期の最中であったためか、僅か4人の指名に終わる少数ドラフトとなった。

2008年  ~歴史的不作ドラフト~

1位 野本圭(社卒・外):D 通算185安打
2位 伊藤準規(高卒・投):D 通算83試合登板
3位 岩崎恭平(大卒・内):F 通算49安打
4位 高島祥平(高卒・投):G 通算1試合登板
5位 岩田慎司(大卒・投):D 12年シーズン5勝
6位 小熊凌祐(高卒・投):D 16年シーズン5勝
7位 井藤真吾(高卒・外):G 通算0安打

育成ドラフト
1位 加藤聡(大卒・外):G 一軍出場なし
2位 小林高也(社卒・外):G 一軍出場なし
投手15点 野手6点
トータル21点

落合政権5年目。当時のチームは3位であった。

この年のドラフトから分離ドラフトが廃止され、またドラフト前から不作の年であると揶揄されたドラフトとなったものの、攝津正投手、西勇輝投手、大野奨太選手、中村悠平選手、浅村栄斗選手、杉谷拳士選手がプロ入りを果たしたドラフトとなった。

ドラゴンズはドラ1で競合を引き当て野本圭選手を指名。しかし即戦力として期待されたものの打撃が伸び悩み、レギュラーを掴むことができなかった。

ドラ2の伊藤準規投手は甘いマスクで人気を博すも、怪我が相次ぎ伸び悩み、ドラ5の岩田慎司投手はマジカルフォークという魔球が話題となるも、2012年にシーズン5勝を挙げたのがキャリアハイで終わり、ドラ6の小熊凌祐投手も下位指名ながらも2016年にシーズン5勝を挙げたのがキャリアハイに終わった。

トータルで見れば3年ぶりに育成選手も指名したが、結果として小粒すぎる、ドラゴンズとしてもかなり不作なドラフトとなってしまった。


2009年  ~レジェンドの獲得~

1位 岡田俊哉(高卒・投):A 通算350試合登板
2位 小川龍也(高卒・投):C 通算187試合登板
3位 中田亮二(大卒・内):F 通算20安打
4位 松井佑介(大卒・外):D 通算140安打
5位 大島洋平(社卒・外):SS 通算2021安打
6位 諏訪部貴大(社卒・投):G 入団拒否
7位 松井雅人(大卒・捕):D 通算175安打
8位 吉田利一(大卒・捕):G 一軍出場なし

育成ドラフト
1位 矢地健人(大卒・投):F 通算27試合登板
2位 赤田龍一郎(大卒・捕):G 通算0安打
投手31点 野手61点
トータル92点

落合政権6年目。当時のチームは2位であった。

この時のドラフトは菊池雄星投手が6球団競合ドラ1と目玉であった。

ドラゴンズはドラ1で菊池雄星投手を指名するも競合を外し、代わりに岡田俊哉投手をドラ1指名。
2013年に66試合登板を果たすと、以降は一軍リリーフとして活躍し、2017年には第4回WBC侍ジャパン入りを果たした。
なお現在のドラゴンズの現役生え抜き投手では最古参の投手であるが、右大腿骨骨折のリハビリのため育成契約となっている。

ドラ2の小川龍也投手は2013年第3回WBCフィリピン代表入りという異色の経歴を持ち、2018年に西武へ金銭トレードとなるも通算187試合登板とリリーフで活躍した。

ドラ5の大島洋平選手は現在生え抜き野手最古参の現役ながらも盗塁王1回、最多安打2回、ベストナイン1回、GG賞9回と数々のタイトルを獲得し、社会人選手ではNPB史上4人目かつプロ14年目でNPB史上最速となる通算2000本安打も達成し名球会入りを果たした。

トータルで見れば、ドラフト下位指名で名球会入り選手を指名するというミラクルを起こしたドラフトとなったが、それ以外の野手はあまり結果を出すことができなかった。


2010年  ~エース一本釣り~

1位 大野雄大(大卒・投):SS 沢村賞など5タイトル
2位 吉川大幾(高卒・内):F 通算31安打
3位 武藤祐太(社卒・投):B 13年に58試合登板
4位 森越祐人(大卒・内):G プロ通算9安打
5位 関啓扶(高卒・投):G 3年目に戦力外
育成なし
投手65点 野手1点
トータル66点

落合政権7年目のドラフト。当時のチームは4年ぶりのリーグ優勝を果たした。

この時のドラフトはハンカチ世代が大卒選手としてプロ入りし、大石達也投手が6球団競合ドラ1、斎藤佑樹投手が4球団競合ドラ1となった。
また、澤村拓一投手、柳田悠岐選手、秋山翔吾選手などのハンカチ世代がプロ入りし、世代ではないものの牧田和久投手、山田哲人選手、西川遥輝選手、荒波翔選手がプロ入り。さらにソフトバンクの育成ドラフトで千賀滉大投手、牧原大誠選手、甲斐拓也選手がプロ入りを果たした。

ドラゴンズはドラ1では大野雄大投手を一本釣り
怪我等もあり一時期は全く結果を出せない時期もあったが、2019年にノーヒットノーラン達成、2019年から2年連続連続最優秀防御率、2020年に沢村賞、最多奪三振、最優秀バッテリー賞を獲得。NPB屈指のエース投手にまで成長した。
なお2022年には9回完全ピッチングをするも味方の援護がなかっため、完全試合を逃す悲劇が起きた。


また、ドラ3の武藤祐太投手は2013年に58試合登板を果たし、2017年オフに戦力外通告となるも横浜へ移籍し、リリーフ投手として活躍した。

なおドラ2の吉川大幾選手は4年目に戦力外となり、以降2020年まで巨人でプレーし、2024年より巨人の三軍内野守備コーチに就任。
ドラ4の森越祐人選手も4年目に戦力外となり、以降阪神、西武と渡り2020年までプレーし、現在は中日二軍内野守備走塁コーチに就任と、両者選手としては全く結果を出せなかったが、NPBでコーチを務めるという珍しいキャリアとなった。

トータルで見れば獲得人数5人、育成なしと少数なドラフトとなったが、エース大野雄大投手の獲得が非常に大きかったドラフトとなった。

2011年  ~投打の柱を獲得~

1位 高橋周平(高卒・内):S GG賞を2回、B9を1回
2位 西川健太郎(高卒・投):F 通算21試合登板
3位 田島慎二(大卒・投):A 通算460試合登板
4位 辻孟彦(大卒・投):G 3年目に戦力外
5位 川崎貴弘(高卒・投):G 通算1試合登板
6位 宗相勲(高卒・投):G 3年目に戦力外
育成なし
投手21点 野手30点
トータル51点

落合政権8年目。当時はチーム史上初のリーグ連覇を果たすも、契約満了ということで落合博満監督は退任し、後任には高木守道監督が再び就任した。
そのため、第二次高木政権最初のドラフトである。

この時のドラフトは益田直也投手、野村祐輔投手、佐藤達也投手、菊池涼介選手、桑原将志選手、島内宏明選手、松本剛選手、近藤健介選手がプロ入りした。
また、菅野智之投手が日ハムと巨人にドラ1指名され、日ハムが交渉権を獲得するも巨人以外なら入団拒否と表明し、プロ入りしなかった事件も起きた。

ドラゴンズは3球団競合ドラ1を見事引き当て高橋周平選手を獲得2019年、20年にGG賞、19年にベストナイン受賞と個人タイトルを3個獲得した。

またドラ3の田島慎二投手は個人タイトルはないものの、シーズン50試合以上登板を5回達成、全盛期にはセットアッパーやクローザーも務めた。

なおそれ以外の4選手は一軍では全く結果を残せず、5年目以内に戦力外となってしまった。

トータルでは野手1人、投手5人、育成なしと歪な編成のドラフトとなるものの、高橋周平選手、田島慎二投手の投打の柱を獲得することができたドラフトとなった。しかしそれ以外が全く戦力になれず、戦力面でも極端なドラフトとなった。

2012年  ~怪我に泣いた選手たち~

1位 福谷浩司(大卒・投):B 通算270試合登板
2位 濱田達郎(高卒・投):D 13年に5勝
3位 古本武尊(大卒・外):G 通算3安打
4位 杉山翔大(大卒・捕):D 通算104安打
5位 溝脇隼人(高卒・内):E 通算68安打
6位 井上公志(社卒・投):G 2年目に戦力外
7位 若松駿太(高卒・投):B 15年に10勝
育成なし
投手35点 野手8点
トータル43点

第二次高木政権1年目当時のチームはリーグ2位であった。

この時のドラフトはMLB挑戦を表明した大谷翔平投手を日ハムが強行ドラ1指名し、見事説得に成功し日ハムが獲得。後のMLB最強選手の礎となる前人未到の二刀流を完成させることとなった。
それ以外にも藤浪晋太郎投手、東浜巨投手、菅野智之投手、増田達至投手、則本昂大投手、小川泰弘投手、三嶋一輝投手、鍵谷陽平投手、田村龍弘選手、伏見寅威選手、宮﨑敏郎選手、鈴木誠也選手、金子侑司選手がプロ入りする豊作年でもあった。

ドラゴンズはドラ1で地元愛知県出身の福谷浩司投手を一本釣りで指名。2014年にはリリーフで72試合登板、2020年には先発で8勝を挙げたものの、伸び悩む時期が続いたが、それでも現役で通算270試合登板と実績がある。

ドラ7の若松駿太投手は高卒3年目の2015年に10勝を挙げるも、以降は怪我により一気に成績を落とし2018年オフに戦力外となってしまった。

それ以外にもドラ2の濱田達郎投手は高卒2年目の2014年に5勝を挙げたものの怪我が相次ぎ以降は全く結果を出せず、ドラ4の杉山翔大選手は2016年にレギュラー捕手となったが、以降は怪我により一気に成績を落とし、こちらも結果を残せたのは1年のみだった。

トータルで見れば、豊作年のドラフトでありドラゴンズもその恩恵を受けてはいたものの、結果を出した選手が翌年以降尽く怪我で全く結果を出せなくなる、悲運のドラフトとなった。


2013年  ~リリーフエース2枚抜き~

1位 鈴木翔太(高卒・投):D 17年にシーズン5勝
2位 又吉克樹(独立・投):A 通算463試合登板
3位 桂依央利(大卒・捕):E 通算74安打
4位 阿知羅拓馬(社卒・投):F 通算24試合登板
5位 祖父江大輔(社卒・投):S 最優秀中継ぎ1回
6位 藤沢拓斗(社卒・内):G 2年目に戦力外
育1位 岸本淳希(高卒・投):G 4年目に戦力外
育2位 橋爪大祐(大卒・内):G 2年目に戦力外
投手56点 野手3点
トータル59点

第二次高木政権2年目。当時のチームは4位と12年ぶりのBクラスとなり、高木守道監督は契約満了という形で退任し、後任には谷繁元信選手兼任監督が就任。さらに球団史上初のGM職を設け、そのGMに前監督の落合博満氏が就任した。
そのため、谷繁元信選手兼任監督&落合博満GM最初のドラフトとなった。

この時のドラフトは松井裕樹投手、大瀬良大地投手、九里亜蓮投手、田口麗斗投手、小林誠司選手、若月健矢選手、嶺井博希選手、森友哉選手、山川穂高選手、田中広輔選手がプロ入りを果たした。

ドラゴンズはドラ1で松井裕樹投手を指名するも5球団競合を外し、代わりに鈴木翔太投手をドラ1指名。
地元静岡県出身の隠し球選手指名にファンは度肝を抜かれたものの、2017年にはシーズン5勝を挙げたが、以降は血行障害を患い2020年オフに戦力外通告となってしまった。

ドラ2の又吉克樹投手は独立リーグ出身では最高順位となる2位指名であり、1年目からセットアッパーとして活躍し3年連続60試合登板を果たした。
なお2021年オフに独立リーグ出身選手として史上初のFA権行使をし、ソフトバンクへ移籍となった。

ドラ5の祖父江大輔投手は1年目から54試合登板を果たすと、以降は便利屋として活躍し、2020年にはセットアッパーとして最優秀中継ぎ投手を受賞した。

トータルで見れば即戦力リリーフを2人獲得することができた当たりドラフトではあったが、先発投手、野手に関しては当たりとは言えないドラフトとなった。


2014年  ~史上最悪のドラフト~

1位 野村亮介(社卒・投):G 3年目に戦力外
2位 浜田智博(大卒・投):G 通算1試合登板
3位 友永翔太(社卒・外):G 通算7安打
4位 石川駿(社卒・内):F 通算10安打
5位 加藤匠馬(大卒・捕):D 19年に51安打
6位 井領雅貴(社卒・外):E 通算83安打
7位 遠藤一星(社卒・内):D 通算118安打
8位 山本雅士(独立・投):G 通算3試合登板
9位 金子丈(大卒・投):F 通算11試合登板
育1位 佐藤雄偉知(高卒・投):G 入団せず
育2位 石垣幸大(高卒・投):G 2年目に戦力外
育3位 藤吉優(高卒・投):G 3年目に戦力外
育4位 近藤弘基(大卒・外):F 通算14安打
投手1点 野手15点
トータル16点

谷繁元信選手兼任監督1年目。当時のチームは4位に終わり、1985年~1986年以来28年ぶりの連続Bクラスに沈んだ。

この時のドラフトは有原航平投手、山﨑康晃投手、安樂智大投手、高橋光成投手、山崎福也投手、薮田和樹投手、栗原隆矢選手、中村奨吾選手、岡本和真、外崎修汰選手、宗佑磨選手、野間峻祥選手がプロ入り。

当時の各報道紙はドラゴンズは山﨑康晃投手をドラ1指名すると予想されていたが、実際には野村亮介投手をドラ1指名した。
これはドラフト当日になって急遽方針転換したために野村亮介投手の指名になったという裏話があるが、野村亮介投手は通算3試合登板で3年目に戦力外通告となり全く戦力とならなかった。

なお山﨑康晃投手は横浜が獲得となり、新人王、最多セーブを獲得する等、NPBを代表するクローザーへと成長し結果的に方針転換したことが最大の過ちとなってしまった。

また、それ以外に獲得した選手も戦力になったとは言い難く、2021年オフの井領雅貴選手、遠藤一星選手の戦力外通告に伴い、7年間で全選手がチーム退団した。
なお加藤匠馬選手にあっては2021年にロッテへトレードとなるも、2022年オフに再び中日へ無償トレードされ出戻りし、2014年ドラフト組が復活した。

トータルで見れば2年連続Bクラスとなったため、大卒・社会人中心の即戦力ドラフトを敢行したものの、指名した選手全員が即戦力にならなかった、トータル評価ワーストのドラフトとなった。
特に投手にあっては指名した選手全員合わせて通算18試合登板、通算0勝と全くもって戦力になれず、投手評価についても1点のみの平成30年間で最低評価となる、まさに史上最悪のドラフトとなってしまった。


2015年  ~逆転遅咲きドラフト~

1位 小笠原慎之介(高卒・投):A 規定投球回3回
2位 佐藤優(大卒・投):D 18年に42試合登板
3位 木下拓哉(社卒・捕):S 最優秀バッテリー2回
4位 福敬登(社卒・投):S 最優秀中継ぎ1回
5位 阿部寿樹(社卒・内):A 規定打席3回
6位 石岡諒太(社卒・内):F 通算15安打
育1位 中川誠也(大卒・投):G 1年目に戦力外
育2位 吉田崇(独立・投):G 3年目に戦力外
育3位 三ツ間卓也(独立・投):D 通算77試合登板
育4位 西浜幹紘(大卒・投):G 3年目に戦力外
育5位 呉屋開斗(高卒・投):G 1年目に戦力外
育6位 渡辺勝(大卒・外):F 通算34安打
投手60点 野手52点
トータル112点

谷繁元信選手兼任監督2年目。当時のチームは5位に終わり、1968年~1970年以来45年ぶりの3年連続Bクラスに沈んだ。

この時のドラフトは阪神とヤクルトで競合ドラ1指名を受けた髙山俊選手の交渉権獲得のくじを当時のヤクルトの真中満監督が外れを当たりと勘違いし大喜びするハプニングが起きた。

ドラゴンズはドラ1で地元県岐阜商の高橋純平投手を指名するも競合を外し、代わりに夏の甲子園優勝投手の小笠原慎之介投手をドラ1指名し、競合となるも見事交渉権を獲得した。
1年目から起用され、伸び悩む時期もあったが、2021年から3年連続規定投球回を達成。
2022年は10勝、月間MVPを受賞し、2023年は開幕投手を務め先発の柱として成長した。

ドラ2の佐藤優投手は2018年にセットアッパーとして42試合登板を果たすも、以降は成績が震わず2022年オフに戦力外通告となった。

ドラ3の木下拓哉選手は即戦力社会人捕手として入団するもプロ入りしてから暫くは活躍できなかった。
しかし2020年にレギュラーを掴むと、大野雄大投手と共に最優秀バッテリー賞を受賞。さらに2021年にも柳裕也投手と共に最優秀バッテリー賞を受賞し、2022年には規定打席到達と遅咲きながらもチームの要となった。

ドラ4の福敬登投手は怪我により2017年オフに育成契約となるも、2018年に再び支配下へ復帰し、以降はリリーフとして活躍し、2020年には最優秀中継ぎ投手を受賞した。なお2022年に国指定の難病である黄色靭帯骨化症を患い、2023年に復帰を遂げた。

ドラ5の阿部寿樹選手は即戦力社会人内野手として25歳のオールドルーキーとしてプロ入りするも全く結果を残せなかったが、29歳となる2019年に開幕スタメンに抜擢されると一気に覚醒し規定打席到達。遅咲きながらも以降は3度の規定打席到達となるも、2022年オフに楽天へトレードとなった。

育成ドラ4の三ツ間卓也投手は2016年オフに支配下登録されると、一軍リリーフとして通算77試合登板を果たし、平成の間に指名された育成投手では通算最多登板を果たした。

トータルで見れば社会人中心となる2年連続の即戦力ドラフトとなり、当初は即戦力として活躍できずまたしても大外れドラフトとなりかけるも、プロ入りから4~5年目に一気に覚醒を果たすという逆転遅咲きドラフトとなった。


2016年  ~ドラ1ドラ2大成功ドラフト~

1位 柳裕也(大卒・投):SS 最優秀防御率など5タイトル
2位 京田陽太(大卒・内):A+  5年連続シーズン100安打
3位 石垣雅海(高卒・内):F 通算20安打
4位 笠原祥太郎(大卒・投):D 18年シーズン6勝
5位 藤嶋健人(高卒・投):B 50試合登板1回
6位 丸山泰資(大卒・投):G 通算8試合登板
育1位 木下雄介(独立・投):E 通算37試合登板
投手73点 野手31点
トータル104点

谷繁元信監督3年目。この年から選手を引退し、監督専任となるも、成績不振からシーズン途中に谷繁元信監督は休養となり、当時の森繁和ヘッドコーチが代行監督を務めた。なおチームは1997年以来19年ぶりの最下位転落。2リーグ制以降球団史上初の4年連続Bクラスに沈んだ。
その後、森繁和代行監督が監督に正式に就任したため、森繁和監督最初のドラフトであり、落合博満GM最後のドラフトである。

この時のドラフトは山岡泰輔投手、山本由伸投手、山崎颯一郎投手、今井達也投手、平井克典投手、床田寛樹投手、坂倉将吾選手、吉川尚輝選手、源田壮亮選手、大山悠輔選手、細川成也選手がプロ入り。

ドラゴンズは2球団競合ドラ1を引き当て柳裕也投手を獲得。2019年に11勝を挙げると、2021年には最優秀防御率、最多奪三振、ベストナイン、GG賞、最優秀バッテリー賞を受賞しチームの柱に成長した。
なお2023年には9回ノーヒットピッチングをするも味方の援護がなくノーヒットノーランを逃す悲劇が起きた。

ドラ2の京田陽太選手は1年目から遊撃手のレギュラーを掴み、球団新人シーズン最多安打となる149安打を放つ等し、チームでは19年ぶりの新人王を受賞した。
以降もチームの柱として5年連続シーズン100安打を放つも、2022年オフに横浜へトレードとなった。

ドラ4の笠原祥太郎投手は2018年に6勝を挙げ、2019年に開幕投手を務めるも不整脈を患い一気に成績を落とし、2022年オフに現役ドラフトで横浜へ移籍となるも、2023年オフに戦力外通告となった。

ドラ5の藤嶋健人投手は2018年オフに血行障害を患うもリリーフとして活躍し2023年には50試合登板を果たした。

育成ドラ1の木下雄介投手は2018年オフに支配下登録を果たし、リリーフとして通算37試合登板。
しかし2021年のOP戦で右肩を脱臼し、右肩前方脱臼修復術とトミージョン手術を受けシーズン絶望となり、リハビリの最中である7月6日の練習中に倒れ心肺停止となり、8月9日に27歳の若さで逝去した。

トータルで見ればドラ1ドラ2共に大当たり、さらにドラ5の下位指名でも一軍主力を引き当てる大当たりのドラフトとなった。
しかし病気や不慮の事故で選手生命が狂ってしまった悲運のドラフトにもなってしまった。


2017年  ~高卒ドラフトへ方針転換~

1位 鈴木博志(社卒・投):C 通算114試合登板
2位 石川翔(高卒・投):G 通算1試合登板
3位 高松渡(高卒・内):F 通算29安打
4位 清水達也(高卒・投):A 50試合登板2回
5位 伊藤康祐(高卒・外):F 通算16安打
6位 山本拓実(高卒・投):C 30試合登板2回
育1位 大蔵彰人(独立・投):G 3年目に戦力外
育2位 石田健人(大卒・投):G 通算5試合登板
投手40点 野手2点
トータル42点

森繁和監督1年目。当時のチームは5位と5年連続Bクラスに沈んだ。

この時のドラフトは清宮幸太郎選手が7球団競合と目玉であり、それ以外にも東克樹投手、平良海馬投手、田嶋大樹投手、大竹耕太郎投手、村上宗隆選手、安田尚憲選手、大城卓三選手、塩見泰隆選手がプロ入りした。

ドラゴンズはドラ1で夏の甲子園大会最多本塁打新記録を樹立した中村奨成選手を指名したが、競合を外したため、地元静岡県出身の鈴木博志投手をドラ1指名。
1年目から53試合登板を果たし即戦力投手として活躍するも以降は伸び悩み、現在は先発、リリーフとチーム状況に合わせ臨機応変の起用をされている。

ドラ4の清水達也投手は夏の甲子園優勝投手であり、2022年から2年連続50試合登板を達成し勝ちパターンリリーフの一角を担う活躍を見せている。
また、アジアプロ野球チャンピオンシップ2023の侍ジャパンに選出され、見事優勝を果たした。

ドラ6の山本拓実投手は2022年に30試合登板を果たしリリーフとして台頭し、2023年シーズン途中に日ハムへトレードとなるも、シーズンでは中日・日ハム合わせて40試合登板を達成した。

トータルで見ればこの年から高卒中心ドラフトへ方針転換となり、支配下では社会人1人、高卒5人のドラフトとなったが、2023年現在ではドラ2の石川翔投手が育成契約へ、ドラ3の高松渡選手は2023年シーズン途中に西武へトレード、ドラ5の伊藤康佑選手は2023年オフに戦力外通告、ドラ6の山本拓実投手は2023年シーズン途中に日ハムへトレードとなった。
そのため、現在支配下で在籍するのは鈴木博志投手、清水達也投手の2人だけとなり、結果として高卒中心ドラフトへ方針転換した成果が出なかったドラフトとなってしまった。


2018年  ~ようやく開花へ~

1位 根尾昂(高卒・内→投):F 通算27試合登板
2位 梅津晃大(大卒・投):F 通算19試合登板
3位 勝野昌慶(社卒・投):B 50試合登板1回
4位 石橋康太(高卒・捕):F 通算33安打
5位 垣越建伸(高卒・投):G 一軍登板なし
6位 滝野要(大卒・外):G 通算8安打
投手17点 野手1点
トータル18点

森繁和監督2年目。当時のチームは5位に終わり、森繁和監督は契約満了という形で退任し、後任には与田剛監督が就任した。そのため与田剛監督最初のドラフトであり、平成最後のドラフトとなった。
また、平成元年のドラ1選手が監督として平成最後のドラフトに参加する運命的なドラフトとなった。

この時のドラフトは藤原恭大選手が4球団競合、根尾昂選手が4球団競合、小園海斗選手が3球団競合と高卒選手が人気となった。
その他には戸郷翔征投手、清水昇投手、島内颯太郎投手、頓宮裕真選手、木浪聖也選手、野村佑希選手、辰己涼介選手、近本光司選手、万波中正選手がプロ入りした。

ドラゴンズはドラ1で根尾昂選手を指名し見事4球団競合を引き当て獲得。甲子園春夏連覇の二刀流選手として人気を博すもプロでは遊撃手一本に絞り、2021年にはプロ入り初本塁打が満塁本塁打となり、将来の遊撃手レギュラーとして大きく期待されチームトップクラスの人気選手となった。
しかし2022年シーズンに2回の投手起用を経て、交流戦後に本格的に野手から投手転向となり、4球団競合ドラ1野手が投手転向する前代未聞の起用変更に全てのファンが阿鼻叫喚の渦に飲み込まれ、球界を騒然とさせた。
なお投手として最速154キロを計測する等、高校時代の二刀流選手の実力は本物であり、投手転向2年目で通算27試合登板を果たしている。

ドラ2の梅津晃大投手は1年目から4勝を挙げ将来が期待されたが、2022年春季キャンプ中にトミージョン手術を受けシーズン絶望となるも、2023年秋に一軍復帰し、球速155キロを計測する等復活を遂げた。

ドラ3の勝野昌慶投手は先発投手として着々と結果を出していたが、本人の希望により2023年からリリーフ転向すると、これが見事にはまり勝ちパターンの一角として50試合登板を果たした。

ドラ4の石橋康太選手は一軍ではレギュラーを奪うに至ってはいないが、正捕手木下拓哉選手が離脱した際にはスタメン起用され要所で結果を出し、これが評価されアジアプロ野球チャンピオンシップ2023の侍ジャパンメンバーに選出され優勝を果たした。

なおドラ5の垣越建伸投手は2020年オフに育成契約となり、今だ一軍登板なし。ドラ6の滝野要選手は2022年オフに戦力外通告となった。なお退団後に自律神経失調症を患っていたことを公表し、現役引退した。

トータルで見れば5年前のドラフトなので評価しきることはできないが、2023年になりようやく各々の選手が一軍で活躍するようになっているので、まだまだこれからのドラフトでもある。


~評価トータルランキング~

平成30年間のトップ3は、
1位 1997年ドラフト(1位川上、2位正津、5位井端)
2位 1998年ドラフト(1位福留、2位岩瀬、4位英智)
3位 1995年ドラフト(1位荒木、2位門倉、4位渡邉)

となった。
この1995年から1998年の4年間のドラフトで3回も上位指名、下位指名でも一軍主力選手を見事引き当てたことが1999年のリーグ優勝、さらに後のオレ流黄金期に繋がったと言える。

さらに意外にも2015年ドラフトが平成では4位の評価となった。このドラフトで小笠原慎之介、木下拓哉、福敬登、阿部寿樹という一軍主力選手を獲得しているので、今後の活躍次第でまだまだ評価は上がるだろう。

なお面白いのがオレ流ドラフトと言える即戦力中心の大量指名ドラフトとなった2004年と2014年では、2004年が投手に関しては平成最高評価となったのに対し、2014年では投手に関して平成最低評価という、まさに対照的な結果となった。

そしてネットでは即戦力外ドラフトという汚名が付けられた2014年ドラフトが案の定平成ワーストのドラフトとなってしまった。


平成元年(1989年)~平成10年(1998年)

投手
SS:岩瀬仁紀、川上憲伸、※野口茂樹
S:※門倉健、落合英二
A:※正津英志、※小山伸一郎、※遠藤政隆
B:森田幸一、山田喜久夫、※与田剛
野手
SS:※福留孝介、※井端弘和、荒木雅博、※矢野燿大
S:蔵本英智、森野将彦、渡邉博幸
A:※種田仁
B:※益田大介、※大西崇之、※鳥越裕介、井上一樹
B評価以上の投手:11人 (投手36人獲得)
B評価以上の野手:12人 (野手31人獲得)
「※」は他球団移籍選手

平成前期の10年間はナゴヤ球場からナゴヤドーム移転という時代であったが、1995年から1998年の4年間のドラフトでS評価以上の選手を9人も獲得したまさに奇跡の4年間のドラフトを敢行した。


平成11年(1999年)~平成20年(2008年)

投手
SS:浅尾拓也、吉見一起
S:※中田賢一、※髙橋聡文、山井大介、※岡本真也
A:※石井裕也、※山北茂利、朝倉健太
B:※山内壮馬、鈴木義広、川井進、※川岸強
    小林正人、※久本祐一
野手
SS:なし
S:平田良介、※田上秀則、※土谷鉄平
A:なし
B:堂上直倫、福田永将、藤井淳志
B評価以上の投手:14人  (投手38人獲得  内育成1人)
B評価以上の野手:6人    (野手38人獲得  内育成3人)
「※」は他球団移籍選手

平成中期のドラフトはオレ流ドラフトが中心の時代。とくに2005年、2006年のドラフトで獲得した吉見一起投手、浅尾拓也投手、平田良介選手、堂上直倫選手、福田永将選手、藤井淳志選手というチームの顔を獲得したドラフトであった。


平成21年(2009年)~平成30年(2018年)

投手
SS:柳裕也、大野雄大
S:福敬登、祖父江大輔
A:清水達也、小笠原慎之介、※又吉克樹、田島慎二
      岡田俊哉
B:勝野昌慶、藤嶋健人、福谷浩司、若松駿太、
    ※武藤祐太

野手
SS:大島洋平
S:木下拓哉、高橋周平
A:※京田陽太、※阿部寿樹
B:なし
B評価以上の投手:14人 (投手49人獲得  内育成11人)
B評価以上の野手:5人    (野手32人獲得  内育成5人)
「※」は他球団移籍選手

平成後期、今も続く暗黒時代のドラフトであり現役選手が大半でお馴染みの選手が多い。
投手に関して2014年ドラフト以外ではB評価以上の投手を毎年獲得できたのは評価したい。
しかし投高打低の影響なのかB評価以上の野手が5人、さらに2022年オフに京田陽太選手と阿部寿樹選手のトレードによりB評価以上の野手が2023年現在で僅か3人しかいないのが現在のドラゴンズの弱さを物語っている。


~まとめ~

平成30年間のドラフトでは1995年から1998年の4年間のドラフトが神業といっても過言ではないドラフトとなっており、後のオレ流黄金期の礎となったドラフトとなった。

また、平成中期から獲得した野手が不作の結果になってしまっていたことが2013年以降の連続Bクラスの原因になっていると言える。

なお当時のチーム状況により獲得する選手は変わってくるので、今回低評価となったドラフトにあっても当時のファンからして見たら間違いではないドラフトもあったかもしれない。

しかし1991年のドラフトでイチロー選手を逃し、この年にドラゴンズが獲得した野手が誰一人活躍せず、結果野手評価0点になってしまったことは当時のファンにとっても、後のドラフト戦略に地元思考という大きな影響を与えてしまったことを考えれば、まさに悔やんでも悔やみきれないドラフトになってしまったのだと感じた。

平成のドラフトではこのような結果となりましたが、令和のドラフトでは既に岡林勇希選手が最多安打やGG賞、ベストナインを獲得、石川昂弥選手が規定打席到達、高橋宏斗投手が規定投球回到達と、まさに「新時代」の如く若手選手が台頭してきています。

2023年ドラフトもSNSでは最低評価な風潮となっていますが、これからのことは誰にも分かりません。
次世代の選手がこれからどう活躍していくか楽しみですね。

ご愛読ありがとうございました。

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