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失敗を恐れず、若かりし頃に思い切って動いたからこそ成し遂げたであろうパラリピアンの知人を紹介します!

僕には、「パラリンピック」という障がいのある人の世界大会へ、日本代表として出場(パラリピアン)した5人の知人がいます。

今回紹介したい彼は、まさに一見さんのような状況?だったので知人と表現しても良いのか少し自信がないのですが…

今から25年以上前、就職活動中に某企業の試験を受けるため、待合場所で待機していたときのことです。

「試験を受けに来たんですか?」

後から入ってきた男性が僕にそう質問してきました。

「えっ?あ~そうです」

「そうですか!俺もです」

長髪で少し茶色に染めている彼は、不安そうな表情を浮かべています。

「ここが初めてですか?(就職試験を受けるのは初めてですか?)」

僕がそう質問したところ…

「いえ…自分頭が悪いんで、片っ端から…」

もう何社受けたのかもよくわからないみたいでした。

試験内容は、筆記はもちろんのこと、製造業(ライン作業)がこなせるだけの身体能力があるかを試すものもありました。(ブロックの電車を一旦ばらしてから再度組み立てる)

僕は時間内に組み立てることが出来なかったのですが、彼はケイソンながら目まぐるしいスピードで組み立て僕を見つめていた記憶があります。

※結局このときは、僕も彼も合格はもらえませんでした…

その後、県内で初となる車いすラグビーの体験会が開催されたのですが、彼はそれに参加をし魅力に取りつかれたそうです。

当時、県内ではまだ導入段階であったため、盛んに行われている都心部へ車いすラグビーを本格的に取り組むため移住をしてしまいます。

年齢的に僕と同じくらいと思いますから、当時は20歳代前後だったはずです。

仕事(就職活動)もしないで、才能があるかもわからない車いすラグビーを始めるために地元を離れてしまったという彼が、とても気になっていました。

それから数年後、パラリンピックのテレビ中継で車いすラグビーの試合を見ていると、彼がコートに出ているのを見かけます。

(お~すごい!)

あのとき、僕のよう県内に留まって就職活動を続けていたとしたら、パラリピアンにはなれなかったのかもしれません。

彼の一途な思いがパラリピアンになった礎
彼の一途な思いがパラリピアンになった礎

「若い子には旅をさせろ」と言いますが、若かりし頃に思い切って動いた彼のことを尊敬しています!


いかがでしたか?

今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!😊

読んだよ〜ってことで、スキを押してもらえたら、今後書いていく励みになりそうな気がします。🔥

できましたら、これからもたくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。🙇

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覗き方?の参考になればうれしいです!

伝えたいメッセージをみなさんへ~✨

僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。