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見上げてごらんよ!

今回は、僕が学生のころに初めて開頭手術を受けた後に始まった放射線治療時のことです。

副作用で食欲が全くなくなり栄養を十分に摂れなくなった僕は、日に日に衰弱していき、とうとう自力で放射線治療室へ行くことが出来なくなっていました。

当時、全頭部と背中(脊髄)へ平日毎日照射されていた僕には、休む暇がありません。

「辛島さん、(放射線治療室から)呼ばれたので、そろそろ準備していきましょう!」

その日も、決まった時間になると、病室に車いすを押して看護師さんがやってきます。

「自分で乗れますか?」

「いえ…今日は…行けません…」

この日は特に体調が悪くて、車いすに座れば首を支えられずにポキッと折れてしまう気がして怖い…

「そうですか…」

看護師さんはそう言われると、一端病室から離れ、首まで支えられるリクライニング式の車いすを持ってきてこう言われました。

「治療はできるだけ休まない方が良いですから、なんとかこれに乗ってください。私も加勢しますし、治療室までは押しますから…」

治療室は病棟と階数が異なっていましたから、患者専用のエレベーターに乗って行き来していました。

エレベーターに乗ります
エレベーターに乗ります

そこへは毎回前方から入っていくのですが、奥の壁には大きな鏡があってどんどん目の前に迫ってきます。ただし、この日はそれを見つめる気力などありません。入る前から下を向いてグッタリです…

そんな僕を見た看護師さんは、僕の肩に手を置きながら以下のようなことを言われました。

「辛島さん、ほら!前の大きな鏡を見てください」

面倒だなと思いながらも、重い頭を持ち上げるように顔を上げて前方の鏡を見上げてみました。

無表情な僕
無表情な僕

(あれっ…あいつ…誰?)

口のまわりは髭がモジャモジャ生えているし、目はうつろで覇気が感じられない…僕なのは間違いないのですが、なぜか他人のような気がしてなりません…

「最近のあなたはいつもそんな表情なんですよ~少しは気分が変わるかもしれませんから笑ってみませんか?」

笑顔で変わる?まさか…

そのときは、看護師さんが言われることに聞く耳を持たず…その後も無表情のままずっと鏡を見つめていたのですが、治療を受け続ける中で笑顔の力を痛感するようになります。

最初は無理して作っていた笑顔が、当時の僕はもちろんのこと、家族や知人・医療関係者の対してもプラスとなったのですから!

自分が辛く苦しいときこそ笑顔でいるということ

「心で泣いていても、それを表に出すな!きついと言うな!我慢だ!平然と笑って歯を食いしばれ!」

そんな意味合いでも捉えらそうですから、一昔前のスパルタ教育を運想させてしまうかも?一見良くない考え方なのかもしれません。

それでも僕には合っているみたいです!

どんなときも、できる限り笑顔でいようという心構えは、オジサンになった今でも受け継がれていて、僕を力強く後押ししてくれるカンフル剤として大活躍していますから!

最初のほうは、笑顔がキモかった?
最初のほうは、笑顔がキモかった?

いかがでしたか?

今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!これからも、たくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。

また、スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれたり、フォローをしてもらえたら…僕にとって励みになりますので、どうかよろしくお願いします。

僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。