日記 2024年 2月16日

 暗い毛布の中を這いずり、スマートフォンを探している。眠たいので目は瞑っているが、柔らかい布団の中で異質に固いスマートフォンは直ぐに分かった。正直、画面は開きたく無い。ブルーライトが目に刺さることを知っている。でも、開かなくてはならない理由があった。この家は最近出張で借りているレオパレスで、目覚ましなどは用意していないし、日差しは遮光カーテンで完璧に塞がれ、この部屋は社会と断絶されている。しかも、ロフトで寝ているから時間を確認するには一度下に降りて時計を確認しなければならないから、スマートフォンを開くしか無い。
心を決めて、電源ボタンを押す。

2月16日 7時20分と表示されていた。
僕は普段、6時半に起きて7時25分に家を出ていた。
「遅刻だ」
大慌てでロフトの梯子に手をかけたが、焦っていたので足を踏み外し尻餅をついた。
そのお陰で目が覚め、朝食を諦めれば始業までに間に合うことに気づいた。
 
 急いで支度を済ませ、職場に向かうために自転車に跨った。職場はここから自転車で10分の場所にある。裏通りをずっと走ればいいので信号などは無いが飛び出しだけが怖いので交差点の前は少しだけ減速しながら、途中のコンビニで昼食を買う。普段は朝から弁当を作っているが遅刻したのでそんな時間はなかった。久しぶりにコンビニの弁当惣菜棚を見るが、あまり食指が伸びるものは見当たらない。昔からそうだった。

実家では共働きにも関わらず、母が基本的に朝昼晩欠かさず食事を作ってくれた。たまに仕事が忙しく惣菜を買って済ませることもあったが、ごめんねぇと申し訳なさそうな顔をして食卓に毎度出されるので、気付けば出来合いのものに対してマイナスなイメージを植え付けられてしまっていた。

そのおかげか、休日に母がいない日でも、1人で冷蔵庫のものを勝手に漁り昼食を作っていた。最初は焼きそばなど簡単なものだったが、キッチンにあったレシピ本を参考にしてとにかく料理を作っていた。母には申し訳ないが、その日が来るのがいつの日かとても楽しみになっていた。休日だけでは満足できなくなり、夕食は母の手伝いを良くしていた。じゃがいもの皮剥きから、エビの綿取りなどの雑用が大半だったが、徐々に上達してきてからは、揚げ物などにもチャレンジさせてもらい、高校生になる頃には夕食は僕の担当になっていた。

また、クッキーなどのお菓子が基本的にバターと砂糖、小麦粉で出来ていることに気付いてからは、少しでも出費を減らすために、よく勝手にお菓子を作ったりしていた。お菓子作りの楽しさにハマってからは、作るのが難しいとされているマカロンやシュークリームなども作っていた。初めて作ったマカロンは呆気ないほどに綺麗に作れた。マカロンを作る時は、メレンゲを泡立て、アーモンドの粉と粉糖を加え、わざわざ泡立てたメレンゲを潰しながら混ぜていく。生地を垂らした時にリボンのように後が残れば上手くいっている証拠だった。それを絞り袋に入れ、天板にクッキングシートを敷き、均等に同じサイズになるように搾り、下から天板を叩いて空気を抜いて乾かす。さっき搾ったマカロン生地を指で触って生地がつかなければ乾かし終わった合図だった。乾いたら140度で余熱したオーブンに入れ、焼き上がりを待つ間に中に挟むガナッシュを作る。といっても、家庭で作るのでただの生チョコレートを作って挟むに過ぎなかった。パティスリーで買うマカロンは色んな味のガナッシュが入っていて、とても羨ましかった。もっと色んな材料があればと思ったが趣味でそれにまでお金を使いたくはなかった。

完成したマカロンを見て、母はあんた!パティシエにでもなりなさいよ!と興奮していた。
その時がお菓子作りに向いていることに気付いたきっかけだった。
進学に迷った時に、母にあんたはお菓子作るのも上手いしご飯も私より作るの上手なんだから、製菓とか食品系の学校に行きなさい。と言われたが、朝が早いし給料も低いと知ってからは諦めた。

そういえば、最近お菓子を作っていないことを思い出した。社会人になってから作るきっかけがあまり無いので、一人暮らしを始めた時に奮発して買ったオーブンも暇そうにしている。
一昨日、彼女に貰ったチョコレートのお返しを手作りすることを決め、何を作るかを悩みながら、今日の昼食を買おうとしていたことを思い出した。やばい、遅刻していたんだったと、思い適当に弁当を手に取りレジに通して自転車に飛び乗った。

今日の夜は久しぶりに、クッキーでも焼いてみよう。サクサクと事柄が進むように。

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