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一体、タコピーの「原罪」とはなんだったのか? 現代的孤独を超えて

ついにweb漫画の歴史に残る作品が完結した。
連鎖開始すぐに話題になり、インターネット中で議論を引き起こしたジャンプ+連載作品、「タコピーの原罪」だ。
ここでは、最終回の感想と、タイトルにもあるタコピーの原罪とは一体なんだったのか考察していきたい。
以下ネタバレ注意

しずかとまりなはなぜ和解したのか

タコピーが消え、あっさりと和解したしずかとまりな。
突然の展開に驚かれた方もいるのではないだろうか。しかし、この二人の和解は無理やりハッピーエンドにするためのものなどではない。きちんとした理由があるのだ。
実はしずかとまりなは極めて似た境遇なのである。
二人はどちらも家庭の事情によって困窮し、生きる希望を失った少女だ。それなのに、互いに相手を加害者だと捉えてまりなはしずかをイジめ、しずかはまりなを殺害し、文字通り傷つけあってきた。
しかし、ある存在が自分達の類似点を気づかせてくれる。
そう、それがタコピーである。
相手の、タコピーと傷ついた少女、という関係性を認識する事で自分とタコピーの関係性も全く同じものだと気づいたのだ。
和解した二人は、互いに似た境遇を共有しているため仲良くなるのも必然なのだ。
ここであそこまでひどいいじめの末に和解なんてあり得るのか、と疑問の方もいるだろうが、いじめの加害者と被害者が急に仲良くなることは現実でも起こりうる現象だ。
それに、タコピーという共通の体験を共有しているのであれば尚更だと考える。
初めから「おはなし」すれば終わる話だったのだ。

タコピーの「原罪」とは?


では、タコピーの犯した罪とは一体なんだったのだろう。
ずばり、それは道具に頼ったこと、である。
タコピーは二人との関わりの中で正しく彼女らの境遇を認識したことは一度もなく、漫然と言われるがままに道具を使用してきた。
結果的にまりなは母を殺し、しずかはまりなを殺した。
あれほど便利な道具があるにも関わらず、いや、むしろ道具の便利さに頼り切りになった結果、あのような惨事を引き起こしたのである。

そして、自分の愚かさに気づいたタコピーは自らの存在を賭してもう一度やり直す機会を作る。
結果、二人は和解した。
つまり、便利な道具では解決しなかった問題を、無能だが優しいタコピーの存在自体が解決したのである。
だから、この漫画はタコピーについてのビルドゥングスロマン(成長物語)なのだ。

便利な技術ではなく、相手と向き合っておはなしする大切さをタコピーは教えてくれたのだ。

そして、この構図は現代社会を生きる我々にもそのままあてはまっている。

SNSやLINEでいつでも誰とでも繋がれる時代においても、なぜか孤独を感じる人は無くならず、むしろ増えているとすら言えるだろう。
自然死が減る一方で、若者の自殺件数は増え続ける異常な構造が今のこの国にはある。
これはつまり、道具の便利さにかまけたタコピーと全く同じ状況なのだ。
我々の社会はツールの便利さにかまけて、その先にいる人間に注目をしてこなかった。
困ってるなら自分で連絡してね、インターネットがあるからできるでしょ?と言って突き放してきたのである。
それが前述の歪みを生んだ。
技術的に可能だからこそ、気を払わなくなり、精神的な豊かさは無視される。
これは昨今の学校のオンライン化にも当てはまると言えるだろう。

だからこそ、我々は身の回りの人間と、勿論、インターネット越しであっても構わないから「おはなし」すべきなのだろう。


タコピーの原罪はそんな現代社会への示唆を与えてくれる名作だったと胸を張って言える。


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