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感想記事【ジョン・ウィック:コンセクエンス】

はじめに

 つい先日、タイトルの通りあのジョン・ウィックを映画館で鑑賞してきた。あくまで4作品目のみの感想となるが、ご了承願いたい。
 ただ、そもそもジョン・ウィックの1作品目はすでに鑑賞済みである。普段、アクション映画どころか映画自体ろくに観ない私がジョン・ウィックを観た理由をまず知っていただきたい。現在、私はうつ病を患っている。今ではかなりの回復を見せてきているが、それ以前は外に出るのも起き上がる意欲もないほどの状態であった。ある日、私は突然の破壊衝動に駆られた。その際、映画に詳しい同居人に「なにか破壊衝動を満たせそうな作品はないか」と聞いたのが、ジョン・ウィックという作品に触れるきっかけとなったのである。しかし、その後2、3作目は観られていないうちに、今回4作目が公開された。そのため、今回は4作目のみを観ての感想記事となる。映画を観たあと、ひとことで表せる気分ではなかったため、今回はわざわざnoteに書き留める形にさせていただきたい。

あらすじ

 自分の考えを整理することと、ジョン・ウィックをご存じでない方やまだ4作目を観ていない方々への紹介を兼ね、まずジョン・ウィックという作品がどういうものであるかを、Wikipediaから引用させていただいた。

かつて裏社会にその名を轟かせた凄腕の殺し屋ジョン・ウィックは、5年前に出会った最愛の女性ヘレンと平穏に暮らすため、裏社会から足を洗う。しかし物語の冒頭、ヘレンは病で亡くなりジョンは生きる希望を失うが、彼女の葬儀の夜に一匹の子犬が届けられる。ヘレンは残される夫を心配してこの子犬を手配しており、その存在がジョンの新たな希望となりつつあった。その矢先、ジョンの愛車フォード・マスタング・BOSS429を狙った若者の強盗に家を襲われ、車だけでなく子犬の命まで奪われてしまう。わずか数日のうちに大切なものを失い、踏みにじられたジョンは、復讐のために裏社会へ戻ることを決意する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF


 このような感じで、すべての希望を失い復讐心に駆られたジョンの復讐劇が繰り返されるのである。4作目もまさしくそういう物語である。
 
 

注意

 以下、ネタバレを含むため、ネタバレを回避したい方はここで読むのをやめていただくことを推奨する。

感想

ジョン・ウィック1作目にはまった理由

 私がジョン・ウィックという作品を気に入った理由は、破壊衝動が満たされたのもあるが、ジョン・ウィックを演じるキアヌ・リーヴスの銃の扱い方の美しさであった。私は居合道をやっていたので、武器の持ち方の安定さに非常に惹かれた。どれだけ練習したのだろうか。それを考えるだけでもうわくわくするのである。うつ病で身体を動かせなかった当時の私にとっては特に、他人が自分の理想の状態を表現しているということにとても魅力を感じた。
 このような感じで、小学生男子のような理由でジョン・ウィックを好きになったのだが、今回の記事の本題である4作目では、主に人間の感情の機微について、そしてそれに対して感じた私の気持ちを文章にしようと思っている。

ジョン・ウィック:コンセクエンス(4作目)の感想

 今回の感想は人間関係の描写についてだが、相変わらずキアヌ・リーヴスの武器の扱い方には魅了された。以下、この作品を4作目と呼ぶこととするが、4作目においてキアヌが扱った武器の中に、私が把握できたものは銃(ハンドガンとアサルトライフル)、日本刀、ナイフ、ヌンチャクがあった。ヌンチャクを使うことは予告で知っていたが、日本刀まで扱うことは正直あまり期待していなかった。ただ、大阪が舞台の一部として出てくることも知っていたため、日本刀を使うキアヌが見たいという気持ちは強くあった。実際、ジョンは日本刀をほんの少しだが使っていた。ヌンチャクのほうが尺が長いくらいだったが、これは日本らしさを活かしたかった監督の意向により、日本人の役者に日本の伝統的な武器を使わせたかったのだろうと思う。
 さて、ここからが本題である。人間関係は簡易的に書き記すが、ご了承願いたい。

 ジョンは、ロシアのマフィアを皆殺しにするために復讐劇をずっと繰り返し続けていたので、名前を偽りながら逃亡や殺人を繰り返し、そして世界中が敵となっていた。4作目はそのような話から始まる。

 まずここで読者のみなさんに覚えておいていただきたいのは、ジョンは孤児であるということだ。そしてさらに、最愛の妻は病気でなくなり、妻が用意してくれた最後の希望である犬までもが殺され、孤独になった男がどうなるか?その気持ちは想像も絶するほどの失望感と怒りに襲われるに決まっているのである。この感覚は、ホアキン・フェニックス主演のジョーカーを観たときに感じたものに若干近い。運が悪いにしてもあんまりである。私までイライラしたほどだ。ただその怒りは、ジョンの殺し屋としての才能が粉砕してくれた。

 話を戻し、いきなりだが、今回の作品でジョン・ウィックの人生は幕を閉じる。つまり、"コンセクエンス"、帰結というような意味がある。日本語では意訳されており、この言葉は『報い』と訳されている。非常にセンスを感じる訳だ。

 ジョンがここまで命を狙われるのは、ロシア人の若い侯爵が、裏社会の首席連合という組織から全権を与えられ、ジョンのかつての友人であるケインという男にジョンを殺すことを命令される。当然、旧友のことを殺すなんてことするわけないと言い張るのであるが、娘の命もかかっていたのである。もうこれだけの情報でも侯爵にはイライラさせられるのであるが、ジョンはロシアマフィアに復讐をしたためだと考えると少し納得がいく。少しだ。侯爵のことはただのカスとして受け止めているため、それ以上でもそれ以下でもない。ここではっきりと宣言するが、私は全面的にジョンの肩を持つ。

 4作目の始まりは大阪の舞台から始まる。ジョンの旧友の一人、シマヅという男がジョンを匿っていた。シマヅは大阪のホテルを経営しており、アキラという娘を持つ。アキラは受付をしているが、裏の顔は殺し屋である。ここで一つ情報をまとめると、ジョンの旧友であるケインとシマヅは武術の達人であり、ジョンと同じように裏社会の人間である。が、ケインのほうは引退していた。ケインの事情が詳しく分からないので省くが、ケインもシマヅも娘を持つ父親である。この時点で、私はこの作品は親子関係もテーマなのだと考えた。

 アキラはジョンが父親シマヅのそばにいることをひどく嫌がっていた。当然である。ジョンの味方をすると命を狙われるからだ。アキラの気持ちはとてもよく分かるし、しかし、旧友を助けたいと思うシマヅの気持ちも分かる。ここで私は、ケイン親子と彼らは対称的であるということに気付く。裏社会からケインが足を洗ったのは、おそらく娘のためなのであろう。それはそれとして、シマヅのほうは裏社会で生き残っていくことを覚悟している。同じ娘を持つ父親でも真反対である。ケインの娘は作中で名前も出てこないほど穏やかな生活を送っており、バイオリンをよく街中で弾いている。反対にアキラは、弓矢の扱いに長けている。こうまで違うと少しアキラがかわいそうに思えてくるが、人間というのはそれほど単純ではないのだ。ケインにシマヅを殺されたときのアキラは、ひどく怒り、悲しみ、そしてケインを恨んだ。娘にとって父親は父親なのだと思った。

 シマヅが殺され、ジョンの味方はいなくなってしまったと思われたが、1作目に出てくる、ニューヨークのホテルを経営しているウィンストンという男が残っており、さらに、裏社会のツテを使って地下犯罪組織の王バワリー・キングという男にジョンに協力するように頼む。作中におけるバワリーは、ジョンが侯爵と闘うために質のいい武器を提供する。このシーンでホモソを感じていいなぁと思うなどした。

 ジョンがどのように侯爵と闘ったか、それは、首席連合の古い儀式の決闘であった。最初は互いに30歩ほど距離を置き、銃を撃つ。それをどちらかが死ぬまで繰り返し、生き残ったほうの提示した条件が適用されるというルールだ。ただ、これは銃を撃つ本人だけでなく、その代理人的な立ち位置になった者もそうだ。この代理人的な立場をなんというかは忘れてしまったが、ジョンの側にはウィンストンが、侯爵側にはケインが選ばれる。しかし、ここで侯爵はケインに銃を撃てという。この男、本当にやること全部が最悪である。DIOか。

 まぁ自身ではあのジョン・ウィックに銃の腕前で勝てるわけがないことは分かっていただろう。だが、ケインという男は盲目である。この決闘を申し込むことをジョンに伝えたウィンストンはすごいとこの時点では思っただけであった。

結果、勝ったのはジョン・ウィックのほうだった。侯爵はジョンが体勢を崩した際、チャンスだと思い、ケインから銃を奪い最後は自身でトドメを刺そうというまた卑怯な手を使うのであるが、ジョンはそのターンの間銃を撃っていなかったのである。それには私も気が付いていた。侯爵がジョンを撃とうとした瞬間、ジョンは侯爵の頭を撃ち抜き、殺した。侯爵の狡猾さが裏目に出て、私は内心でニヤニヤしてしまった。

 これですべて終わったと思った。しかし、"consequences"、ジョンの寿命がついに尽きたのだ。まさに、これまで彼が行ってきたことに対する報いを受けたのである。

 しかしだ。これでもまだ終わりな訳ではなかった。なんと、ウィンストンはジョンの墓を撫でてこういうのである。「よくやった、息子よ。」

 孤児だったジョンの父親は、実はウィンストンだったのである。正直言って私は、ここが最も心を動かされた場面である。ずっと息子を見守っていたのだ。しかし、ジョン自身はそれを知らないまま死んだ。それは少しもどかしく思ったが、逆に切なくていいとも思った。最後まで親子がテーマの作品だった。

 そして、ジョンの墓は妻の隣に置かれ、私は涙が出そうになった。

 以上が、ジョン・ウィック4作目の感想である。そしてオマケの映像がついているとの予告があったため、エンディングのあとも会場は明かりが点かなかった。

 その内容は、アキラによるケインの殺害であった。娘に花束を渡そうとにこにこしながら歩くケインを、後ろからアキラが刺した。この描写自体に特別な感情は湧かなかった。アニメ等でよく観るからだ。しかし、やはりこの映画は最後の最後まで親子の物語であると思った。親子の形はいろいろだなぁ、と映画が終わってからぼんやり考えていた。

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