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ワンピース映画の記録

 普段ワンピースの夏映画は観に行かない僕だけど、いつも僕と同じ推しにはまる人がヒロインのウタに落ちていたので、「これは期待してもいいのかもしれない」と劇場に足を運んだ。
 この記事は、その帰りにコメダで書いている。
 ネタバレ満載なので、もし未視聴勢がこの記事を読んでいてくれたら、今すぐ画面を閉じてほしい。そして映画館に行ってくれ。

心が痛い

 心が痛い。つら……。
 映画を観に行くきっかけになった人は「どうしようもなく世界を燃やして燃やされる人」に落ちる人なので、正直覚悟はしていた。
 していてもつらいもんはつらい。そして案の定、僕はウタが好きだ。
 あとシャンクスの顔面に拳叩き込みたい。

 エレジアに置いてきぼりにされたウタの寂しさや悲しみがわかるような気がする。
 当然のことながら僕には「海賊やってる親父と家族に知らんおっさん一人しかいない死体と廃墟だらけの島に置き去りにされた」経験はないのだけど、置いてかれたひとりぼっちの寂しさはなぜかよくわかる。置いてきぼりにされたことあったっけ?あるのかもしれない。知らんけど。
 とにかく観ている最中も終わった直後も、シャンクスの顔面に拳叩き込みたくて仕方なかった。

父親の顔面に拳叩き込みたい

 ウタを海賊稼業に巻き込みたくなかった気持ちはわかるが、なぜよりにもよって壊滅後のエレジアに置いて行くのか。
 フーシャ村に置いてけや。
 そうしたらルフィも面倒見てくれる人もいたし、もしかしたらルフィと一緒に広い世界を見に行くこともできたかもしれない。
 でもエレジアで、出ていくこともできなくて、育ててくれたゴードンさんはマジでいい人だけど「父親」と思える人ではなくて、そこで外の世界のことを知ることも学ぶこともできずに12年過ごした。
 捨てられた絶望の中で12年は長すぎる。

 ウタは思春期の反抗をゴードンさん相手にできただろうか。大人になる過程の、ある種最後の「親への全力の甘え」を、あの優しい他人であるゴードンさん相手に。
 僕は、多分できなかったんじゃないかと思う。

 甘えたいさかりの、10歳にもならない子どもが、凄惨な光景と家族に捨てられた経験でどれだけ傷ついたか。
 そういうときに頼れる親がそばにいないのが、どれだけ心細いか。
 子どものそばにいるのは、大人なら誰だっていいわけじゃない。
 特に傷ついたとき、強くショックを受けたときには、親の存在が必要だ。
 何があっても守ってくれる、揺るがない存在がそばにいてくれるだけで安心できるのに。

 それをあの「親父」はさぁ〜〜〜!!
 「よかれと思って」で娘の心ぶっ壊してんじゃあないよ。
 血が繋がってなくても親になると決めたなら、子が大人になるまでずっとそばにいる覚悟決めろやって話よ。
 海賊稼業の中でつらく痛ましい光景を目にする日が来ても、シャンクスがそばに居て一緒に受け止めてくれたら、ウタの心は傷ついたままにはならなかったかもしれないのに。

 世界一の歌姫になっても迎えに来てくれなかった。
 悪い子にななって、やっと会いに来てくれた。
 死体になってはじめて家族が島から連れ出してくれた。
 このクソみたいな手遅れ感。

 映画が始まった時点で、もう全部終わってて、何もかも手遅れだった。
 誰もかも、来るのが遅すぎた。
 シャンクスの顔面に拳叩き込みたい。

愛ある罰

 フーシャ村での思い出話、シャンクスの「愛の鞭だ」の直後の『逆光』。
 Adoの歌声好きなのでウタのPVはだいたい全部視聴してるんだけど、ああこの歌、この流れで来るんか。

 「海賊嫌いのウタ」を信じている民衆にとっては「悪党ども(海賊)をぶっ飛ばす」という歌に聞こえる。歌う場面的にも、ウタはそういう民衆の期待に応えて歌っている。

 でも、「愛の鞭だ」のあとで聞かされる「愛ある罰だ」「愛への罰だ」は、違うよなぁあれ。
 あの歌は、自分を置いてきぼりにした父親への怒りと恨みだ。
 「もう悲しくないや」は「まだ悲しい」だし、「もう寂しくないや」は「まだ寂しい」なんだ。
 事情があったのはウタだってわかってる。それでも悲しみは消えない。この苦しみは、シャンクスや赤髪海賊団の仲間を愛した罰なのか。
 僕にはそういう歌に聞こえた。
 「逆光よ」と叫ぶとき、その向かい合う太陽はシャンクスなんじゃないだろうか。
 シャンクスの顔面に拳叩き込みたい。

ウタの歌が聴きたい

 全部観終わってコメダに移動してひとごこちついて、今僕はむしょうにウタの歌が聴きたい。
 なんの憂うことも寂しいこともなく、観衆でいっぱいのドームで、関係者席で家族が見守ってて、そういうところでのびのびと歌う声が聴きたい。
 そういうライブでウタの『逆光』を聞きたかった。
 いやそういうライブできたら『逆光』は歌わんかもしれないけど。でもね。

 音源を買えばすぐにでも歌は聴ける。
 これから買って帰りの車内で聴くつもりでいる。
 でも今僕が聴きたいのは、心がちゃんと手当てされて、もう痛くなくなったウタの元気な歌声なので、それは絶対に聴けないんだよね。

 ここまで書いて若干情緒が落ちついてきた今も、シャンクスの顔面に拳叩き込みたい。
 でも、それをする権利があるのは僕じゃなくてウタだけなんだ。

総評

 とにかくつれぇ。心底悲しい。
 年取ってきて、年若いキャラがみんな娘や息子のように見える幻覚に侵されているタイプのオタクなので、心がしんどい。
 ウタを宝箱に入れた親は、きっと捨てたんじゃなくて生かそうとしたんだろうな。大事な「宝物」だから宝箱に隠しただろうな。っていう妄想が湧いてきて余計つらい。

 でも観てよかった。
 最近悲劇に心が耐えられなくて、つらい内容の作品は意識的に避けてるので、この手の感情は摂取量が絶対的に減っていたところだった。
 時には良質な激情を摂取しないと、他人の激情を喚起するものは書けないので、その観点で行くとこの映画は本当に「よい激情」だった。

 あと歌がいい。
 Adoを歌唱キャストに起用したのは大正解だと思う。
 作詞者は作品理解が深いし、Adoはウタの心情を声に乗せるのがとてもうまい。歌を聞いていて、Adoとウタの乖離を感じなかった。
 これで歌手がウタの心情がわからず、ただ自分の色を押し出して歌うだけの人だったら、ここまで物語に入り込めなかったと思う。

 最近サボっていたnote記事を衝動的に書いてしまうくらいには心を揺さぶられた。
 今すごく自分の中が沸き立っている。
 何かを作りたい衝動がある。
 早く帰って原稿しよう。

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