自己犠牲精神

パッと見は美しい『自己犠牲』
ただ、自己犠牲というものは一歩間違えたら共倒れのリスクも大いにある。
「助けたい」「支えたい」と願って行動したはずが、その相手すら救えず自身すら病んで·····というのはあまりに悲し過ぎる。本気で誰かを助けようと思うのならば、まず先に助ける者は『自分自身』であるべきなのに。
何かが不足している人ほど、この『自己犠牲』をやる。自分も以前はそうだった。
 
ならば、自己犠牲精神はどこから来るのか。
  
答えは簡単で、きっと単なる承認欲求や他者との関わりに飢えた孤独意識の強い人がそうするのだろう。誰かを助けることで「褒められたい」「認められたい」「感謝されたい」といった欲求が『自己犠牲』の正体なのではなかろうか。
純粋に心から相手を助けたいと願っているのならば、余程の急を要する事態でない限り
『共倒れ』という最悪な形で相手をも巻き込んでしまう可能性があるリスキーな行動はとらず、もっと自身に余裕があるときに動こうとするはず。
何かしら行動を起こすにしても「話くらいなら聞くよ」程度にとどめておくはずだ。
 
人助けは自己満足であってはならない。
下手をすると相手の人生すら狂わせてしまう可能性がある。
『自己犠牲』という聞こえのみ美しいだけの行為には沢山の危険が孕んでいる。そこに気付けるかどうか、そこに気付き己の今後を改めることが出来るかどうか
 
また、間違っても「〇〇してあげたのに」という感情は抱いてはいけない。
自己犠牲は所詮、自己満足で相手を振り回す行為なのだから。

              

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