伝え方/捉え方

自分の意図した通りに意見を伝えることは難しいということを再確認しました。

中3の国語の授業の中である評論文を扱いました。「メディアの情報を受動的に受け入れるだけでなく、能動的に考えなくてはならない」といったよくある内容のものでした。

私はそれに関連した内容の話をしようと思い、数日前に見たニュースの中で疑問に思った点を話しました。それは、「本日の新型コロナ感染者は月曜日で最多でした。」というものでした。私はその報道をする意味が理解できませんでした。「過去最大の感染者数である。」という報道は感染の拡大を知らせるという点においては有効だと思うし、「クリスマス後感染者が増えた。」という報道も接触が増えることが感染拡大につながることを改めて伝えるためには有効だと思います。しかし、「月曜日で最多」という報道にどうしても意味を見出すことができませんでした。ただ視聴者の恐怖を煽るような表現にしか聞こえなかったのです。私は生徒に対して、この表現に意味があると思うか、という問題提起を評論の内容に関連づける形でしたのでした。

そして今日、生徒Aから私がこの話をしたクラスの生徒であるBがその話に反感を抱いていたということを聞きました。詳しく聞いてみると、「コロナを軽視している。」「感染した人のことを考えていない。」ということをBは言っていたようです。さらにAによればBの母親が看護師であることも関係あるのではないかとのことでした。

さて、上記の通り、私はあくまでも「報道の仕方」を批判したのであって、コロナを軽視しているわけでも、まして医療従事者の方々の苦労を軽視しているわけでもありません。

さらに私の伝えたいことをBのように誤解する生徒がいるのではないかという懸念から(もちろんコロナ軽視を意図して話すわけではありませんが)、コロナの具体例でこの話をしたのは担当する中3全4クラスのうち一番学力の高いAとBがいるクラスだけでした。その配慮も虚しく散ったわけですが。

何か自分の気に入らないような内容の話が聞こえると、その話を最後まで聞くことなく(その話の真意を見極めることなく)大声をあげて話を遮る子供の姿がふと頭に浮かびました。話を最後まで聞いてくれていれば理解してもらえたのかもしれませんが、Bは私の話を途中まで聞き、私に対して「コロナを軽視する人」というレッテルを貼り、自分に都合のいいように(私には都合の悪いように)理解を捻じ曲げていたのです。

伝え方が悪かったのか、捉え方が悪かったのかは人によって見方が変わるかもしれません(私は間違えたことを言ったつもりは全くありません)。

それともコロナによってセンシティブになったこの時代に、中学生にこの話をしたこと自体間違いであったのでしょうか。

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