ニュータイプになりたい。

僕はガンダムが好きです。

色々シリーズはあるけど、特に宇宙世紀。
の中でもやっぱり人気のある逆襲のシャアはだいすき。

その中でもギュネイという男が好き。

彼は戦場の中で優位性を保てるエスパー的能力を持ったニュータイプに憧れている男で、
ニュータイプは潜在的な能力で開花するものなんだけど、彼もそれに人工的に近づけられた強化人間という存在なんです。

だけどやっぱり本物には敵わない、ってのを彼自身も理解していて、ニュータイプであるクェスという女の子に想いを寄せることになるんですね。
クェスというニュータイプの側にいることで本物のニュータイプになりたかったんだろうなっていう人。

僕は学生時代、色々としてきたつもりなのだけど、その中で本当にこの人はこの世界の綺麗なところを感覚でわかってるんだろうな、って人たちと出会ってきました。
そんな人たちに憧れてそっち側にいきたいとずっと今でも思ってて、
卒業して、写真を撮る仕事になって、そこから転職しても所謂クリエイティブ系という仕事をしている。
やっぱり大人になっても憧れは捨てきれないと思う。

僕はその感覚最強な人たちをニュータイプだと思っている。
でもそれは人生で培ってきた感覚だと思うし、なろうと思ってなれるものではないと思う。慣れたとしてもそれはあくまで強化人間なのだと思う。

自分が恩師や友人や恋人で憧れるのはやはりニュータイプ的な人だ。
社会に出て、彼らの世界に少し身を置いて自分もそっち側になれたと思ったけどやはりそれは違うらしい。
かといって強化人間になれてるとも思わない。
でもやはり近づきたい。

だからギュネイが推しなのだ。
共感できる。
でもギュネイはただニュータイプではないだけで実際普通に優秀な軍人で、自分も同じとは思わない。

せめて強化人間にはなりたい。
昔からこのコンプレックスはあった。
19歳の頃、アルバイト先の先輩にこんな感じの話をした。
『自分はセンスがない。』
そういったら先輩は、センスがない人はない人なりに努力できて、その積み重ねで生まれたものはセンスがある人には生み出せない価値がある
と言っていた。
今でもその言葉は間違いなく正しいものだと信じたいと思えるものだ。
そしてそれが強化人間、または別の何かかもしれない。

大学卒業して、自分は強化人間になれたかと思った。なんならニュータイプじゃないかと思った時もあった。
でも今は違う。ニュータイプにも強化人間にもなれてない。
それに気づいたからといって絶望するのも違う。
もっとできる努力があるはずだから。

ちなみにガンダムにおける強化人間の人たちは基本的に悲しい、可哀想な結末を迎える人が多い。
(ニュータイプの人たちがそうではないとは言い切れないが)

強化人間の領域には努力次第でたどり着ける気はする。気はする。
だからまだ頑張ろう。

こんなことを考えるきっかけになった今日、悔しい思いをしたがもっと頑張ろうと思った。

もっと頑張ろうと思える。これは意外と良い一日の終わりかもしれない。

あともう一つ、ギュネイが好きなのは、彼は自己中で、結局クェスの内面や孤独に何も目を向けてなかった人だったこと。
彼は何も理解してなかった。これが強化人間かもしれない。

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