マガジンのカバー画像

きみは短歌だった

26
運営しているクリエイター

2018年3月の記事一覧

【課金する①】 ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。/穂村弘

「あらゆる言葉が無料なのが間違っている」と、同居人は一時間泣いたあとで言った。 もう辞めてしまえばいいと僕は思うのだけれど、同居人は職場で散々なことを言われているらしかった。そしてどうしようもないことに、職場の皆さんは総じて悪意がなく、これまで彼らが従ってきた「常識」に照らして、いつもの言葉を「普通」に使っているだけだった。彼らの「常識」や「普通」は、同居人を傷つけた。この世界には、その場にいない誰かを笑いながら罵倒することで親密さを共有したり、弱者は消費されてこそ価値が付

【入りこむ②】 夏みかんの中に小さき祖母が居て涼しいからここへおいでと言へり/小島ゆかり

蝶々が超苦手だ。 わたしは結婚するまでずっと、両親と、兄と、それから祖父母と一緒に暮らしていた。祖父は家庭菜園に凝っていて、祖母は草木の好きな人だった。苺も採れたし、葱や紫蘇も植わっていた。梅の木と柿の木と夏みかんの木があった。正直、節操がない。とにかく一年を通じて家を囲むように何かしら生えていた。だから良い虫も悪い虫もわんさかいて、春になればモンシロ、夏が近づけばアゲハが飛んだ。 幼いわたしは、当然、虫を捕まえるようになる。ある日、わたしはアゲハを捕まえた。大きくて美し

【入りこむ①】 惣菜パン惣菜パンひとつ飛ばして窓、そこらじゅう夕日が殴る/柴田葵

「パンが並ぶパン屋の窓はパンがある限り開くことはない」ということに気がついたのは、大人になってからだ。 実存するパン屋は客商売なので、ある程度人通りのある場所でないと成立しない。そして、人通りのある場所は大抵埃っぽい。剥き出しのパンが棚にある以上、窓があっても開けることはできないのだ。 アパートのはす向かいにある小さなパン屋は、男性が一人で切り盛りしていた。商店街の一角、学生たちが通る道沿いにあるので、ある程度は売れているらしい。土曜の朝、卵サラダロールを買ってパン屋を出