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泉太郎『Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.』展は何を意味していたのか。解読を試みます。

非常に難解な展覧会が開催されている。オペラシティアートギャラリーという、マニア向けでもなんでもない、おばあちゃんから子供まで来そうな場所で開催されている。

会場に入ると、各ロッカーにひとつづつ入っているマントを着るように指示される(着用は任意)。マントは白い。

マントを着て、最初の部屋に入る。QRコードを読み込み、音声を聞くように指示される。座って音声を聞く。
音声は、ひそひそ声で、この場所の「ルール」を説明している。いくらでも良い音質で音声を作れる現代において、ひそひそと、ジャラジャラしている音声を提供するのはどういうことだろう。音声は、17分ある。「ルール」を全て覚えていないと展示が理解できないのではと不安になり、頑張って聞く。(結果として、いくつかのキーワードは展示に関連していたが、全ての内容について伏線回収があるわけではないようだ。)気に留めておいた方が良さそうなフレーズとしては、「野生化」や、白いマントを着て「美術館の白い壁と一体化すること」があったと思う。
目の前には、映像が投影されている。映像では、アルファベットが底面に描かれたティーカップのようなものが10個ほど並んでいる。背景は白。ティーカップの中身はトイレの様相である。ティーカップの中でトイレのように水が流れ、ティーカップが傾き、水が排水される。ティーカップ底面のアルファベットはイニシャルとして私たち各人を象徴し、水洗は各人が禊(みそぎ)を受ける儀式を表しているのではと筆者は考えた。

音声を聞き終わり、マントを着たまま、次の場所へ。
人が作り出した文明社会のものを象徴するかのような様々なモノを合わせた塊が、3箇所にある。一つはプロジェクター、植物、日焼け止め、プールサイドで着るガウンなどの組み合わせ、二つ目は蜂、扇風機、先端が人間の足のような形になっている倒れたスチールのスタンド、鉢植え植物と散らばった植物の栄養剤、三つ目は墜落した宇宙船のような鉄製の枠、内側にはテレビがいくつも並んでいる。宇宙船の周りには髪の毛、犬、ポップコーンなどが複数、規則的に置かれている。なお、これは宇宙船ではなく、古墳だということを後からキャプションの文章とスタッフさんとの会話から知る。

様々なモノの寄せ集め、点滴バッグなど

そのほか、同じ部屋には、パイナップルの点滴バッグがかかった点滴スタンド(その一つには男性の顔が映し出されたスクリーンが鳥籠に入って枕に横たわっている)、倒れたボードのようなものがある。

点滴バッグのそばで、鳥籠にはいった男性を移したスクリーンが横たわっている


その部屋を一周した後は、別の部屋に行く。別の部屋で、新たな指示が渡される。着ていたマントを使って、テントの形の自分の墓を作れと言うのだ。白いマントの裏側は黒くなっている。白いマントを裏返し、黒いテントの材料にし、周辺に用意されている水の入った2リットルペットボトル12本と、部屋の手前で受け取れる棒を使って黒いテントを組み立てる。マントを脱いだ時、肉体があらわになり、恥ずかしい気持ちになる。先程まで自分は白い壁と一体化し見えないものであったはずなのに。ペットボトルを運んだり、旧マント(重い)を持ち上げて棒をポジショニングしたり、重労働だ。自分の墓を立てるという違和感を感じる。テントの墓ができ上がり、中に入る。これで私は、墓の中の肉体となった。

指示が壁に書かれている。読みにくい。
テントの支柱となる棒
テントの作り方の説明。読みにくいが、他の人がやっているのを見て同じようにする。
テント(墓)完成

人数制限のあるVRを体験しない限り、ここまでで展覧会は終了だ。なんと二部屋しかなかった。自らモチーフたちに歩み寄って考えながら進んだのでないならば、ただマントをまとって謎の物体の周りを一周し、テントを立てただけの時間となってしまう可能性がある。

入り口にある以下のキャプションが、理解のための大きな助けになる。キーワードが挙げられており、展示されている各物を、これらのキーワードに割り当てることができる気がする。

複雑で不条理なプロセスを経て立ち上がる泉の作品は多様で一括りにはできません。…本展では、古墳や陵墓、ストライキ、再野生化、花瓶、鷹狩におけるマニング(懐かせる)やフーディング(目隠し)他、数々のキーワードが絡み合う思考のプロセスと、コスプレ、キャンプ、被葬のような体験を織り混ぜ、不価値に向き合い続けるための永久機関を立ち上げます。

鑑賞者は以下のことを期待されているのだと思う。まず現代社会の矛盾や意味のない消費行為を、美術館の「壁」になりきることで俯瞰する。次に、時間と共に自分と一体化したマントを次の部屋で脱ぎ即ち捨て、現代社会に染まった自分を墓に葬るという儀式をする。墓の中で、からっぽになった自分を実感する。
キャプションにあるとおり、現代・過去・未来の数々の事柄に対して、体全体を使って行ったり来たりし、日常では感じることのない自らの不甲斐なさのようなものに向き合うのだと思う。

この展覧会のユニークなところは、単に見て鑑賞するという「目」からの解釈のみではなく、「身体全体」を使って鑑賞するところにある。マントという物体が自分の体の一部となったり、自分の体を入れるための入れ物になったりすることで、壁との同化や埋葬という行為を「自分がしている」という気持ちになる。デジタル上で作品を鑑賞することや作品に触れないで鑑賞することが主流だったこの2、3年であったが、この展覧会で全身を使って感じるということの意味をもう一度取り返したような気にもなれる。 

トイレの近くにも作品がある

作家によるステートメントが公表されている。これがイメージを膨らますものになるはずなので(あるいはより混乱させてくれるので)、読んでみてほしい。なお会場には配置されていなかったと思う。https://www.operacity.jp/ag/exh258/j/statement.php

なお、1日の鑑賞者数が限られているVR作品は、古墳の中に入って、寝転がり=自分が埋葬され、そこでの光景を見るというものである。その光景とは、フクロウのような目をした目の部分だけのカラフルな仮面が、いくつも自分の上空をこちらを見ながらゆっくり移動しているというものである。埋葬された自分が色々な人から見られているように感じる。上述の「墓」に入った時の、自分が死んで別の世界に向かおうとしている感覚とは似ているが(だから人数制限で見られない人がいても仕方がないという位置付けなのか)、より世界に入り込むことができると思う。「墓」のあった部屋は普通の電気で明るく照らされており、体育館のように雰囲気がないのであるが、このVRでは実際の作家の世界のなかに物理的にあるいはVRにより作られた架空の物理的感覚の中で体験することができる。

VR鑑賞会場。古墳の中で、さらに古墳をかぶって鑑賞する。

会場全体、体全体で体感する泉の世界は、他では体験できないものだ。観賞後に頭にひっかかったままの部分もあるだろう。例えば展覧会名の『Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.』。これはどう解釈できるだろうか。


開催概要 Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎

  • 期間 2023年1月18日[水] ─ 3月26日[日]

  • 会場 東京オペラシティ アートギャラリー 交通アクセス フロアマップ

  • 開館時間 11:00 ─ 19:00(入場は18:30まで)

  • 休館日 月曜日、2月12日[日](全館休館日)

  • 入場料 一般1,200円[1,000円]/大・高生800円[600円]
    中学生以下無料

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