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旅のしたく

 娘と横浜に行くことになった。6年ぶりの泊まりがけの旅行である。彼女にとっては久しぶりの旅行なので、なんとかうまく運ぶようにサポートしたくて、ここのところずっと頭の中でシミュレーションしてる。とうに成人した子に対して過保護かなとも思うけど、まあいろいろあるもので。

 娘は23年前、先天性心疾患児として生まれた。4歳で19時間の根治手術を乗り越えて、いったんは元気になった(運動制限あり)。しかし小3の時に、今度は突発性側湾症になった。彼女の背骨はあっという間に曲がってしまい、これ以上の湾曲を止めるためにコルセットを着けるようになった。
 このことがきっかけになったように、心臓周りに2箇所の血管狭窄が見つかり小6と中1で2度、再手術。中2の冬に肺炎を起こし、右の肺がそのまま半分無気肺になってしまう。再手術のあと、傷に障るためコルセットが着けられなかった間に側湾が進んだのが遠因だった。他の内臓に影響が出たため背骨の曲がりを矯正することになり中3で手術。その冬、今度は睡眠時無呼吸の症状が顕著になり、就寝時に酸素吸入が必要になった。
 中学校3年間は入院・手術の繰り返しだった。そのせいで心不全と呼吸機能の低下が進み、10分の通学路を何倍もの時間をかけて休みながら登校。着いたら保健室で休み、ようやく授業に出られるのは3時間目あたり、その後も疲れたら保健室で休みながら授業を受けていた。
 先生方のご尽力で卒業はできたが、普通高校に通うのは体力的に無理だったので、私立の通信制高校に進学。なんとか3年で卒業はしたが体調はゆっくりと悪化し、息切れがひどくなり、外出の時も酸素ボンベを帯同するよう指示された。進学を考えていたが、この健康状態では大学に通うのは無理だった。呼吸不全・肺高血圧が進み、19歳の冬とうとう入院。肺に水が溜まって真っ白だった。
 1ヶ月かけてなんとか体調は戻ったが、酸素吸入は24時間に。睡眠時無呼吸を補うために、夜間は人工呼吸器も併用することになった。リビングとベッドサイドに大きな機械を2つも連れての退院になり、娘はだいぶ凹んでいた。これでもう泊まりのお出かけは無理かなぁ。ぼそっとそんなことを言ってた。

 病気の話はここまで。長くて申し訳ない。
 退院直後からコロナによる自粛生活が始まり、感染リスクの高い彼女は家から出られなかったが、おかげでゆっくり静養できた。体調は低めだが安定、食事もきちんと3食摂るようになり、体重も増えてきた。
 やがて長引く自粛生活に痺れを切らし、少しずつ街中へ買い物に出かけるまでになる(母が同行)。食に興味があるので、KALDIや久世福・茅乃舎などをつぶさに見て歩く。そしてお気に入りのラーメンやイタリアンでお昼を食べて帰るコース。ボンベを引っ張りながら歩き回る時間も回を重ねるごとに少しずつ長くなった。
 こうやって少しずつ楽しいことを増やしていけば、娘の今の「家の中で完結しているような生活」が変わるだろうか。
 情報はTVやネットから得られるし、それについて考えることもあるようだけど、話ができる相手が家族だけというのはいささか心もとない。もっと外からいろんなものを受け取ってほしいんだけど、とわりと切実に思っていた。

 そうは言ってもこの体調でできることはかなり限られている。ボンベ帯同で外出するようになってから、公共交通機関での移動が意外と負担になるのがわかったので、手始めに車の免許を取らせた。久しぶりの自動車「学校」だったが、ちゃんとひとりで職員の方とやり取りをして、首尾よく免許を手に入れた。父親の念入りな運転指導のおかげで、混雑してる街中にはまだ挑戦していないが、スーパーやショッピングモールへは余裕で行けるようになった。
 ほんとうは飲食店で働きたかったひとなので、我が家の食生活も手伝ってもらうことにした。1週間の夕飯の献立を決め、それに沿って買い物を考える(指示通り私が買ってくる)。最初から作ると疲れてしまうので、あらかた私が作ったところで最後に味決めをしてもらう。これで毎日やる家事ができた。
 でもうまくいくことばかりではない。私がやっていた請負のデータ入力の仕事に入れてもらった。在宅で自分のペースでできるし、統括している方とのメールのやりとりもきちんとできていたし、〆切に遅れることもなく本人もやる気満々だった。けれどコロナ禍のあおりを受けて不運にもその仕事自体がなくなってしまった。せっかく出来ることを見つけて、少額ながらも自力でお金を稼げるチャンスだったのに……私の方がショックだった。
 だが私が凹んでいる間に、彼女はさっさと通信講座で『調剤薬局事務』の資格を取った。ひとりでコツコツ勉強して目標達成した。強い、そして切り替え早……ちょっと見直した。

 少しずつ前に進んでいる実感がうっすら感じられるようになってきたある日、唐突に話を切り出された。
「今度、観に行きたい舞台があるんだけど」
 これだった。

 いわゆる2.5次元ミュージカル、2次元キャラクターに扮した俳優さんたちがラップ&ダンスを繰り広げる、人気のライブだった。Amazon primeで過去作品がレンタルできるのを発見し、嬉々としてシリーズ全作品を順番に借り、レンタル期間中1日1回再生していたのは知ってる。リアルで観たいという想いが募り、ついに天元突破したらしい。
 しかし公演会場は横浜。日帰りはちょっと厳しい。
「泊まりになるけど大丈夫?」
「うん、酸素の機械も呼吸器も借りられるよね?」
 確かに。早めにお願いしておけば、どちらも出先で借りることは可能で、宿泊先に搬入・搬出してもらえるのだ。
「行くならホテルとか予約しちゃうけど、チケット当たんなかったらどうする?」
「うーん……その時はただの旅行ってことで」
 なんと彼女はそう応えた。てっきり「その時はキャンセルで」と言うと思ったのに。こんなおねだりは初めてかもしれない。やっと旅行に行く気になったか。ならば行かねばなるまい横浜。
「――わかった。行こう。替えのボンベはお母さんがリュックでしょってくから」

 まずはホテル。とにかく移動が体の負担になるので、できるだけ会場の近くに決めた。それから、酸素濃縮器と人工呼吸器を搬入出させてほしい旨を伝える。
 その一方でチケットの抽選にエントリー。人気の公演だとは知っていた。しかし、公演後全キャスト卒業という突然の発表があり、プラチナチケットの倍率はさらにはね上がった。絶対当たりたい娘(と私)は行ける可能性のある公演すべてにエントリーし、奇跡的にひとつ当選した。「10億の宝くじよりチケット当たりたい!」と言っていた娘は「へえー10億当たるってこんな感じか」などと冷静を装っていたが、ほおが緩みっぱなしだった。
 こうしてめでたくライブ参戦旅行と相成った横浜行き。酸素濃縮器と人工呼吸器をお借りする業者さんも、書類を書いていただいた主治医の先生も、訪問リハビリの先生も、みんなが「いいねぇ、楽しんでおいで」と言ってくださった。
 娘は財布とバッグを新調した。どちらも小学生の頃から使っていて、バッグはだいぶへたっていたし、お財布はお札が四つ折りでしか入らないお子ちゃま仕様だった。新しいものは大好きなお店で購入、財布はずうっと憧れていた綺麗なグラデーションカラーの長財布。だいぶ大人っぽくなってそこだけは年相応になったかな。私はボンベを背負うためのリュックを買った。
 ところが一昨日のこと。人工呼吸器をお借りする業者さんから「ホテルの予約日が聞いていたものと違ったので確認してほしい」と連絡があった。慌てて電話で確認したら、なんと私と同姓同名の方が4日後に予約していて、その方と間違えたらしい。すごい偶然のアクシデント。ドッペルゲンガーか? と我が家騒然。笑い話で済んでよかった。
 
 娘は中3の修学旅行に行かなかった。先生方は「車椅子でもいいから一緒に行こう!」と言ってくださったのだけど、ディズニーリゾートも東京観光も、一緒に回る仲良しのみんなに迷惑をかけるから、と自分でやめにした。ずっと主治医から「普通学級で大丈夫」と言われてそうしてきたけれど、折に触れ「ついていけない」という実感があったのかもしれない。ここで「私もやる!」と奮起できるタイプなら大成するのだろうけど、娘は引いてしまうタイプだった。それでも周りに追いつこうと頑張って、挙句に体調を崩したのが最後の入院の時だった。毎日くたくたで、顔色は真っ白で、どんどん弱ってきて、もしかしてこのまま消えてしまうんじゃないかという恐怖。エゴかもしれない、可能性を潰してるのかもしれないけれど、親としてはあんな思いはもう二度と味わいたくない。
 だから、彼女が旅行に行く気になるくらい、身体も心も元気になったことが嬉しい。張り切ってボンベ(予備)担当で、ライブも一緒に参戦しちゃおう。いっつもあんたが観てたおかげで、曲にも耳馴染みができてるし楽しみ……あれ。
「ねぇ、もしかして同行するの前提で、私にもに過去作観せてた?」
 娘はにっこり笑って親指を立てた。洗脳か。やられた。

 なんやかんやありながらも、いよいよ出かける日が明日に迫っている。荷物はだいたい詰め終わった。毎日山ほど飲んでいる娘の薬も2日分持った。あとは当日朝に詰めるものだけである。
 この旅行がうまくいけば、また娘のささやかな「出来た」が増える。それが次の一段を登る後押しになるかもしれない。まあでもそんなことより、愉しんでくればそれでいいかなぁ。
「不調だけど、不幸じゃないからね」
 これはいつか娘が言っていたことば。いい言葉だと思う。
 とりあえず明日の朝、寝坊しませんように。


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