49歳になりました

無事に誕生日を迎えた。奥さんも猫もそれなりに元気に生きてる。
よかった。

仕事して、Webを見て、動画を見て、読書して、たまにバグを探す、という特に何もない日常を日々淡々と過ごしていくという、特に特筆することもなく多分誰にも憧れられないような暮らしをしている。こういう日がずっと続けばいいんだけど。

仕事は相変わらずそこそこ順調で特に書くこともない。書きたくてもたぶん守秘義務みたいのはあるので書けないのだが。

健康面ではあまりよくない。胃と肺に要経過観察な事象があり、相変わらず腰は痛くて最近は駅まですら歩けないくらいだし、四十肩も完全には治っていない。

最近、大阪で入院したころだったと思うけど、夜に友人とビリヤードに行ってたときのことを思い出している。何度か行ったのだが、常に30分くらい経つとガクンと成績が落ちるのだ。今考えると右手が限界だったのだろう。キーボードって素敵だ。

昭和の世の中なら、年金はもらえないけど仕事もできない、微妙な身体障害者として、たぶん生きるのに精一杯の辛い暮らしをしていたと思うのだけど、インターネットのおかげで余裕のある暮らしができている。ローンもない。よかった。

それでも油断して散財などせず、いつ悪化して働けなくなっても生きていけるような生活レベルを維持しようとしている。

東京に来てそろそろ25年。

学生の頃や新大阪で仕事していた頃に、ローカルの深夜番組でだけ見ていた同じくらいの年の何人もの若手芸人だった人たちが、まだ元気にテレビに出ていたり、あの頃サンテレビでしか見なかった店のCMが東京のゴールデンタイムに流れてたりすると不思議な気分になる。

大阪で就職した頃には自分も東京に来るとも思っていなかったし、いつ潰れるかわからないムックのアルバイトにふらっと入り込んだときには、ずっと居続けられてるとも思わなかった。

運良くムックが売り上げ好調で続いてくれたのと、交通事故の慰謝料がマンションの頭金くらいの入ってきたおかげだ。

最近、偶然昔の通帳を見る機会があって、意外と振り込まれてるのにびっくりしたのと、この通帳、千駄木のデザイナーさんの事務所の近くで新しくしてもらったんだよなあとか記憶が蘇ってびっくりした。通帳はその後ネット銀行を使うようになったのでもう使ってない。

地元に地縁も血縁もなく、どちらかというと見下されている側だったので、無理に大阪に居続ける理由もなかったのだけど、関西にいると、特に理由もなく地元で仕事して結婚して骨を埋めるような気がしていたのだ。

東京に来て、そういう誰にも強制されていないのに自分はここでしか生活できないという思い込みや、なんとか生きられてるからいいやという現状に満足する意識から脱却できたのかもしれない。

まだ25年前は大阪と東京は今より精神的な距離でいうとずっと遠く、インターネットがあったにせよ、今のようにスマホでリアルタイムに情報を得られることもなく、頻繁に往復している人でなければ、今思う以上に未知の国だった。

とはいえ地元への執着というか、見返してやりたいという気持ちは少しだけ残っていたようで、同級生が住んでいたマンションの一室がもうすっかり古くなって安く売られているのを見て、子供の頃欲しかったものをコレクションするおじさんのように、買ってやろうかと思った。

けれども、冷静になると、さすがにあそこに積極的に戻る理由もない、現状むしろ避けたい場所だということに気づいたのでそっと閉じた。スニーカーたくさん買ってるおじさんって子供の頃買ってもらえなかったのかな。






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