キタサンがダービーを勝った時の話

キタサンブラックですっかり有名になったキタサン冠の北島三郎が馬主を引退するという。古い馬券オヤジなのでキタサンと言えば北島三郎にダービーの栄光をもたらしたキタサンオーカンを思い出す。

ダービーといっても東京競馬場ではなく園田競馬場で行われた楠賞全日本アラブ優駿なのだが、私はそこでキタサンオーカンが勝ったのを見ていた。

キタサンオーカンの勝った1995年の楠賞全日本アラブ優駿は、大本命が前哨戦の菊水賞、のじぎく賞を勝っていた女傑フェイトスターで、それに中央から武豊とともに遠征してくる森厩舎の快足馬ムーンリットガール(アラブに相手はおらずサラブレッドとのオープン特別に出走したりもしてた)がどこまでやれるのか、ということで一部の奇特な競馬ファンの間では盛り上がっていた。

その奇特なファンの一部に含まれていた私たち競馬大好き大学生も講義をさぼって、京都から園田までのこのこ遠征したのだ。

ムーンリットガールは中央のアラブ最終世代で、最後の中央馬の園田遠征だという思いも少しだけあったけど、まさかその後すぐにアラブ競馬自体が消えてしまうとは思ってもみなかったし(その頃すでに週刊競馬ブックにJRAの補助金が消えるので終わらざるを得ない警告が書かれてはいたのだが気にもしていない)、現在のように園田でサラブレッドが走るとも思っていなかった。コーナーがきつい地方競馬ではサラブレッドを走らせるのは困難だと言われていたのだ。現に福山と益田は廃止になってしまった。

すでに数回園田競馬場を訪れていた私たちは、いつものように入り口でホルモンを買って、入ってみると、ダービーだからなのか武豊だからなのか平日なのにこれまで経験したことがないくらい超満員だった。適当に数レース勝ったり負けたりして、そして、メインレース。よくわからないのでほぼ勝ち確だと言われていたフェイトスターから流した記憶がある。さすがにダートの経験もなく距離に不安があるムーンリットガールは過剰人気だと思っていた。

レースはムーンリットガールがいきなりスピードに任せて逃げまくる。しかしながら2周目の勝負所で馬群に飲まれていく。そしてフェイトスターが勝つのかと思いきや、フェイトスターは伸びず、全くノーマークの馬が上がってきて場内も騒然となる。その馬がキタサンオーカンだ。曾和厩舎、小牧太のその頃の園田の大正義コンビではあったものの、さすがにここでは家賃が高いと思われていたのだが、勝ってしまった。2着が距離伸びていいと言われていたオーキッドグレイド(こちらも曾和厩舎)、3着がその後重賞を勝ちまくる福山のタッチアップ。フェイトスターは4着だった。

私たちは誰も勝てずとぼとぼと歩いて駅まで戻った。

キタサンオーカンはその後勝てず、フェイトスターは重賞をたくさん勝ち、通算で8勝する。楠賞全日本アラブ優駿はムーンリットガールのハイペースに狂ったのか実力通りに決まらなかった不思議な結果だった。キタサンオーカンの父はキタジマオー、ぱっとしない成績だが、父マルゼンスキー母輸入アラブという良血馬なので北島三郎が種牡馬入りさせたのだろう。期待通りキタサンオーカン含め重賞勝ち馬を7頭輩出している。甥にマーキュリサンダーがいる。

まだこのときには中央の重賞すら勝っていなかったキタサンの大野商事はキタサンチャンネルやキタサンヒボタンで重賞を勝ち、ついにキタサンブラックで馬主としても国民的な認知を得ることになる。母父サクラバクシンオーで菊花賞なんて勝てるわけないという世間の声をあざ笑うかのように菊花賞と春の天皇賞を鮮やかに勝ち、菊花賞と春の天皇賞を勝つようなステイヤーが種牡馬と成功するわけないという世間の声をあざ笑うかのように大成功をおさめ、馬主としては大逆転だ。

芸能人の馬主としては北島三郎よりも前川清の方が印象に残っている。大学の友人がアミサイクロンのマーチステークスの8万馬券を当て、どうしてその馬券を買えたのか意味がわからなかったので聞いたところ、アミサイクロンの前前走は前川清が馬主のヒゼンマサムネの2着だったから本線にしたと自信満々に答えたからだ。


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