聞こえにくいと話しにくい
ここ数週間のトピックなので繰り返し書いていますが、5年前に手術をした右耳の聴力がすごく落ちている感じです。
状況的には、「手術の時に鼓膜に留置したチューブが外れた」「外れたことで鼓膜は奥に引っ込んでしまい、(たぶん)鼓膜の裏に水が溜まった」「結果的に鼓膜が振動しづらくなり聞こえにくい」なのだそうな。(主治医からの説明)
チューブは1〜2年で外れる人がいるみたいだから、5年間入っていたのはよく持った方でしょうかね。
今は「手術前はこういう感じだったかも?」と思える感じの聞こえの悪さで、「これまでの聞こえにくさなんて可愛いものだな」と思えるくらいです。
何気に厄介なのが、「自分の話し声の聞こえ方」も変わっているところですね。
結局のところ、自分の声も聞き取っているわけなのですけど、自分の声が聞こえにくいのです。
知らないうちに大声になっているかもしれません。
例えるなら、片耳に耳栓をガッチリはめ込んでいる感じでしょうか。
片耳だけ聞こえにくいし、自分が話した声も変な音で聞こえます。
これが、何を生み出すかというと「話したくない」気持ちを生むのですね。
左耳は聞こえるわけなので、片耳でコミュニケーションを取る選択もあるにはあるのです。
けれど、それを選ぶ気持ちが失せるほどの「自分の話し声が変な風に聞こえる」現象・・・
聴こえないけどコミュニケーションを楽しむ人もいることでしょう。
聴こえないからこそコミュニケーションを楽しむ人もいることでしょう。
いろいろな捉え方ができるでしょうけど、今の私は「声によるコミュニケーション」「会話」とはできるだけ距離を取りたい。そんな気持ちです。
意味のある会話、必要な会話は、いいのです。
苦じゃありません。
これといって話す必要もないけど話す、みたいなのが辛いのです。
COVID関係で、人間同士の接触が制限されましたね。
その結果、意味のないやりとり、不要不急の会話が、いかに大切だったか見えてきたことと思います。
けれど、今の私は会話自体が苦痛。。。繰り返しますが、必要なコミュニケーションには苦痛を感じません。
特に意味のないやりとりこそが楽しいのだ、というのも知っています。体験しています。
けれど、現状はそれを楽しめない。
そのうち手術をするのは決まっています。
けれど、手術の結果、満足する聴力が手に入るとは限らないみたいです。
頑張れば、努力すれば、我慢すれば、会話にも取り組めます。
少なくともプライベートでは会話は減っていくでしょうね、この感じは。
でもまあ、振り返った時に「そんなにおしゃべりを楽しむ人」でもなかった気がするので、特に困らないのかも。
仕事や、日常生活でも会話が必要な場面は聞こえにくいながらも、なんとか会話しています。だから、困らないのかも。
なんでもない、意味のないおしゃべりはしなくなるのだろうなあ。そもそも、なんでもないおしゃべりをする相手、いたか?
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