不完全だからこそ

すごくよくわかる。

と、心から思える文章だった。

私の場合は、わずかにとはいえ片耳の聴力は残っている。

神経に触れるサイズの真珠種だったらしいけど、とりあえず取り除いた。5年前の話だ。

今のところ、「やっぱり聞こえにくい」だけで目眩とか神経麻痺の症状はない。恵まれている。

恵まれていると思えるようになるのも、「聞こえにくいだけ」と思えるようになるのも、長い時間を必要とした。長い長い時間を。

私もこのライターの方と同じように頭蓋骨に穴を開けた。5年経って7割くらいは戻ってきている感じだ。触ればまだ凹んでいる。骨の回復力はすばらしい。

「すごく聞こえにくい」ことでの不自由さは、この文章にとても共感できる。というか、程度の差はあるだろうけど、ほぼ同じ体験をしている。

あたりまえは、あたりまえじゃない。

何も問題ないように見える人でも、大体の場合、何かが欠けている。

それが身体的なものなのか、心理的なものなのか、わからない。

物理的な何かなのか、機能的な何かなのか、わからない。

欠けているのも個性だし、欠けた部分を補うように他の個性を手に入れていることもある。

自分が幼少期から不完全な存在だったせいか、一見満たされている人に嫌悪感があった記憶がある。でも満たされている人なんていない、と大きくなって気づいた。

そして、自分も不完全な「だけ」ではないことにも気づく。

なにか不完全だからこそ知り得たことはたくさんある。その1つ1つは不完全じゃなかったらわからなかったことかもしれない。

聞こえなくて困ることも多いけど、聞こえなくていいものも世の中にはあるので、私は自分の不完全な聴力を「盾」にしている。聞こえなくていいものから我が身を守るために。

紹介したnoteは、私と同じように聴力が不完全な方が書かれたものだけど、文章からは私よりもポジテイブな何かを感じた。きっとたくさん辛い思いをしたのだと思う。そのぶん、優しさを感じる。私も優しくなれたらよかったのかも、と少し思った。

ちなみに私の体験記はこちらにまとめてある。まだまだ続くだろうなあ。



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