本当の問題は人知れず進行しているのだろう

昨今の我が国の問題をあげようとしたら、何から手をつけたら良いかわからないほどにたくさんあって困ってしまいます。
ウクライナ情勢のせいなのかCOVID-19のせいなのか、物価が上がっているとニュースでやっていました。ウクライナ情勢とCOVID-19の他は大した問題ではないと感じてしまうレベルで。と、言っても私はさほどテレビのニュースは見ません。見たとしてもニュースで言っていることの逆を頭で想像しながら聞いています。
食べ物から日用品からたくさん値上がりします。もうしたのか?普段買い物に行かないからわかりません。

そういう目の前の生活の問題もそうだし、COVID-19対策のこともそう。問題と呼べそうなものはたくさんあるけれど、長いこと手をつけず、これといった改善をしようともせず、ただただ放置に近いのにお金ばっかりかけた政策を実行して問題はどんどん深刻になっているのが食糧問題と人口問題ではないでしょうか?

食糧問題も根元の根元まで掘り下げていくと人口問題とぶつかりますし、だいたいのことは人口問題に行き着くと思います。
統計上、日本の総人口がこの先減っていくのはわかりきっています。
わりと昔から言われています。統計はすごいです。ずばり当たっていますから。
人口が減るだけならまだしも、高齢者の割合が大きくなります。子供が少ない年が続いているのだから当然です。そこに加えて若者の自殺者数も増えているので最悪です。
人口が減るだけでも問題が起きるのに、そこに加えて若者が少ない(高齢者率が上がる)のだからお先真っ暗に見えて仕方ありません。人口の問題は人口が減ることと子供が少ないことがセットです。でも、子供が少ないのは日本に限ったことではないようです。日本の問題は子供が少ない上に高齢者率が高いこと。高齢者率のトップランナー。

政府は「子供を産んでください」と口では言いました。(こんな風には言っていないですね)
けれどお偉い方々は「これだけ一時金用意したから子供産むでしょ。」とタカをくくっていたのかもしれません。そんな上から見下ろす態度が透けて見えます。
子供を産むときのお金がなくて子供が産まれないのではないのですよ。子供を育てていく社会になっていないから子供を産む決断ができないのですよ、たぶん。結婚したカップルが子供を迎える割合は多いみたいです。けれどそもそも結婚できない、結婚しない状況に置かれる人が多いから子供が生まれない。そんな考察を見たことがあります。それなのに、子供を産んだ後には補助を出します、っていうのは問題が見えていないのか、問題を無視しているのか。。。若者が生活しにくい社会になっていますよ、って偉い人たちは気づいているはずですけど、なぜか本格的な支援というかそこをサポートする行動に移らない。
そんな社会だから子供を産んだとしても育てるのが苦しくなっていくのですよ、偉い人は知らないかもしれませんけど。
お金を用意すれば政府の印象はよくなるでしょうけど、子供は増えないのではないですかね。

政府が成長戦略をとり続ける限り、生活者としての国民とは距離ができていく気がします。もう成長戦略は通用しないくらい日本は斜陽なのです。だって成長を支える人口が少なくて、高齢者が増えていくわけなのですから。そこでとった対策は高齢者に働いてもらって、高齢者も成長を促してね、でした。「何かしらの生産」を人生では続けるのだ、と誰かが言っていました。生きている限り生産活動をする生き物なのでしょう。生産活動はいわゆる仕事もそうですし、家庭菜園とかもそうです。「死ぬまで働かされるのか」と嘆く人もいるでしょうけど、なんの生産活動もしないで時間を過ごすのは、それはそれで結構きついですよ。認知症の人が増えてしまうかもしれません。それであれば生産活動をしてくれた方がまだいい、都政府は考えたのかは知りません。

脱成長の計画で、それでいて持続可能な社会システムを考えないといけないのでしょうけど、もちろん私はわかりません。小コミュニティ、地方分散が鍵になるとは何かの本の受け売りです。でも、そう思います。
人口がどんどん増えて、GDPが高まっていって、なんでも右肩上がりだった時代にしか生きてこなかった人が、なんでも減っていって物価と税負担だけ上がっていく時代を牽引していけるのでしょうか?これが一番言いたいこと。
あとは、右肩上がりを経験して、美味しい思いをどっぷりしてきた人が、右肩下がりの社会や生活に耐えられるでしょうか?これも大きな疑問。
勝手な想像ですけど、戦中戦後の生活を生活が染みついた人は、落ちていく、縮んでいく、しぼんでいく社会や生活も耐えられるような気がします。
けれど、そういう人は今、最も支援を必要とする世代になっていて今からその支援を減らすことに耐えられないでしょう。

生き続けるモチベーションは何だろう?
何か楽しみがあって生き続けているのでしょうか?
それは、この世、この国、この社会に希望を持っているとも言い換えることができるでしょうから、それはそれですごいことのように思います。
今の社会で希望を見いだせるのは、特殊なグループだと思います。
かといって絶望ばかりではないでしょうけどね。私自身は楽観的に捉えていますし、多少の希望は持っています。
まあ、それはおいておいて。高齢になって、それでもこの先の日本で生き続けたいと思うそのモチベーションがすごいな、と感じる次第です。
右肩上がりを経験してきた人が右肩下がるしかない社会で、それでも生き続けたいと願うのがすごい。いや、別に死にたいわけではないですけど。殺されるのも嫌だし、自殺も嫌ですが、「長生きしたい」という感情が生まれているのがすごい。
縮みゆくこの社会を目の当たりにして、私個人は「いつまでも健康で長生きで」とは到底思いません。
死にたいわけではないです。けれど長生きしたいわけでもない。生きるチャンスを与えられているなら生きようかな、くらいのテンションです。自然の掟に、運命に身を委ねる。そんな感じです。

人口はどんどん縮小していきますし、縮小して良いかなと思います。
その縮小社会の中で、成長戦略を夢見るのはもう終わりにしたら良いと思います。脱成長を基本にするだけで、政策はがらっと変わるでしょうから。まあ、ハードランディングは望みませんので緩やかに変わっていってほしいですね。私は勝手な意見ばかり言っています。小市民なのでお許しください。

経済成長すれば、全て丸く収まる。そんな風に偉い人たちは考えているかもしれません。でも、もう無理です。社会構造的に。諦めましょうよ。資本主義的考え方も変えていかないといけなくなるでしょう。どの程度変えるのかは頭のよい人が考えてくれます。たぶん。かといって社会主義、全体主義が良いとは思いません。彼の国を見ていると恐怖しか感じません、あそこで暮らしたい気持ちは湧いてきません。

さて、右肩上がりを望む人はさし当たってこれからの時代の人に席をお譲りいただきたいな、と感じます。高齢者が皆そうだとは言いません。地方分散、小コミュニティでの循環を望む高齢者もいます。だから、年齢じゃない。経済成長を過去の栄光を夢見る人、それしか知らないからそれに倣おうとする人から順に席を譲っていただきたい。でもまあ、これからの社会のリーダーはもうすでに動き出しているだろうから、その席をもらわずに、国のシステムに依らずに新しいシステムを考え創り出しているかもしれません。そう考えると、成長を夢見る偉い人たちはそのまま夢見心地で寿命を全うされていくのかもしれません。

民衆が自分の望む生き方を選べたら、最高です。そうなってほしい。

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