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地下のない1階のエレベーターで「上ですか?」と聞く人は幸せなのかもしれない

地下のない1階。つまり最も下のフロア。そこにあるエレベーターは上にしか行かない。いや、むしろ上にしか行けない。

でも、そのエレベーターに乗るときに、

「上ですか?」

と聞いてくる人がいる。

おそらく上に行こうとして下に向かうエレベーターに、もしくは下に行こうとして上に向かうエレベーターに乗ったことが何度もあるのだろう。だから確認しているのだ。ただそれだけのことなのだが、いま自分がどこにいるかを考えずに、答えを他人に委ねている時点で成長していないと言える。

大げさな言い方をすると本質がまるで見えていないし、見ようともしていない。地下がある建物かどうかは所見ではわからないだろうが、簡単に確認できる方法はある。

例えば、エレベーターの呼び出しボタンで「上」しかない場合は、いま自分がいる階より下はないと判断できる。そして、自分が「上」ボタンを押して呼び出したなら、「チーン」と鳴って扉が開くエレベーターは上に行くものと判断できる。

これは、何も難しいことではない。普通に判断できること。

でも、その判断すらしない。することを諦めているのか、判断すべきことだと気がついてもいないのか。

とにかくエレベーターが来たら、乗っている人に確認する。

「上ですか?」

誰も乗っていなかったらどうするのか。そのときは自分で判断しているはず。おそらく。そのとき判断できるならば、誰かに答えを委ねるのはなぜなのか。

誰かに甘えて生きていくのはすごく楽だし、苦労しなくてすむかもしれないし、それはそれで幸せなんだと思う。そしてこんなことをヒゲメガネがnoteに書いているなんて思ってもいないし、自分のことだと気がつかないかもしれない。

細かいことを何も考えずに、ゆるゆると、だらだらと、気をはらずに、まったりと生きていける人が羨ましい。そんな人間になりたいと少しだけ思った。

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