門番と呼んでいる
電車の乗降口ちかくに立っている人を、心の中で門番と呼んでいる。座席が埋まっているときだけでなく、電車内がガラガラでも、あの場所を好んでいる人のことだ。
人の好みにどうこういうつもりはないけれど、単純に、純粋に、いや、明確に邪魔なのだ。
だから、心の中で門番と呼び、門を守るため、矢面に立ってくれている尊い人なのだと思うことにしている。
中にはその職務を全うせず、大きな荷物を足元に置き、乗り降りをさらに妨げようとする門番もいるけれど、逆に彼は彼なりに門を守っているのだと思うと、どこか穏やかな気持ちになれる。
また、門番はときに左右それぞれに配属される。浅草、雷門(風雷神門)の風神・雷神像さながらの光景であるが、そこにありがたさはない。
そんな門番にも、降りる駅はある。門を守りきり、誇らしげな顔で降りていくのだ。そして、誰が任命したのかわからないが、どこからともなく次の門番がやってくる。
私が降りたあとも、終電を迎え車庫に入るまで、いろんな門番が守っているのだろう。
ありがとう門番。でも、もう休んでくれていいぞ。
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