カフェオレが飲めなくなった日
変化というものは
振り返ってみて「変わってたな」
と思うこともあるし、
意識的に「変えよう」
とすることもあるし、
突如としてくる場合もある。
わたしはブラックコーヒーが苦手で
基本的にコーヒーが飲みたくなったら
カフェオレか、ミルクを入れるかのどちらかだった。
もちろん砂糖入り。
けれど、少し前から
カフェオレを飲んだあとには必ず
胃が張るような違和感があり、
胃の調子が悪いのかな?
と思いつつも
カフェオレが飲みたい欲は止まらなかったため
様子をみつつ、飲み続けていた。
けれど、ある日気づく。
カフェオレを飲んだあとの口の中の重さが、気になる。
でも、ブラックは苦手だ。
それならば、と、アイスコーヒーにミルクを入れて飲んだ。
だめだ。
そもそもミルクが合わない。
口に合わない。
飲んだ後ののっぺりとした感じが合わない。
そうして、意を決してブラックコーヒーを飲んだ。
(砂糖は入れてるけど)
うわ、おいしい。
すっきりとする。
のっぺりさがない。
アイスコーヒーとはこんなにも飲みやすいのか。
変化とはいつ起こるかわからない。
予期できること
予期しないこと
予期したのに違う変化になるもの
いろいろだ。
…フルーツバスケットの主人公の透も、
「不変を否定しておきながら不変を望んでいた」んだっけ
などとこの記事を書きながら思い出した。
透は最終的に、不変を手放した。
かつて大切だったもの、大切にしたかったものの手を放した。
そうして、変化を受け入れて、新たな未来を手に入れた。
(透は、自分で自分の矛盾に気づいたんだよね)
(終盤に来るまではずっと他のキャラの苦しみに
フォーカスが当たっていて聖母のような立ち位置だったけど
透の最大の葛藤がここにあふれてるなあと今にして思う)
そこに気づくまで、至るまでの道のりは
少し長いものではあるけれど、
変化の兆しがある人は一度手に取ってほしい物語です。
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