過去のおはなし いち

小学校六年生の時。

卒業制作の一環だったのだろうか、歌でも、何でも録音をしましょう、みたいな企画てきなもので、班で、理科室に向かった。

黒い、取っ手のついた、テプラみたいな録音機。みんなはなにを録音したのだろう、覚えてない。
わたしはなぜ、歌を歌おうと思ったのだろう。でも、勇気を出したような気がする。でも、実際は、大笑いをされて。はずかしくなって、やめる、って言ったら、じゃあおれたちは隠れているから、ってみんなが理科室の机の向こうに隠れて。

もう一度勇気を出して歌ったけれど、やっぱり、笑われて。繰り返したのはその二回だけだったはずだけれど、レコーダーを巻き戻して録音してを繰り返しているうちに、テープが変な音をあげていた気がする。きゅるきゅる、きゅるきゅる。涙目になって操作して、でも時間になっちゃって。結局、そのテープはどうなったんだろう。なんのテープだったんだろう。笑ったのは誰だったんだろう。根本のような気がしたのに、彼は中学からの同級生だ。じゃあ、誰だったのだろう。

ひたすらに、ひたすらに、恥ずかしかった。何が恥ずかしかったのか。笑われたことが、恥ずかしかった。馬鹿にされたことが、はずかしかった。勇気を出したとか、自分のやりたいことをやったとか、そんなことは覚えてない。自分を表現したら、笑われてしまう、恥ずかしい目にあってしまう。それが、印象付けられたのかもしれない。笑い声も、相手の顔も覚えていない、覚えてるのは理科室の風景と、誰もいなくなったように見えた理科室の風景と、あの、黒いテープレコーダー。複数人が笑ったという事実。「私が歌って笑われた」という、情報。
これは、思い込みの一環なのだろうか。
感情と事実と真実が切り離せなかった。

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