BUNKYO MACHITABI⑤
はじめに
こんにちは。
地域おこし協力学生団体 Your Local Club(以下 YLC)です!
BUNKYO MACHITABI は、YLCメンバーで文京区(2020・21年度は旧本郷区)を歩きながら、学生目線で文京区の魅力を発信・発見しようというプロジェクトです。
さて、今回は本駒込周辺の街歩きをしてきました🚶♂️
(下の地図の赤で囲まれたエリアです)
※なお、当団体では新型コロナウイルスの感染状況を慎重に見極めながらまちあるきを行っています。今回のまちあるきは、緊急事態宣言が解除された11月に実施されました。また、感染予防のため、<マスク着用>、<ソーシャルディスタンスの確保>、その他「3密」の状態にならないことを徹底した上で実施しています。
それでは、街歩きスタートです!
東洋文庫
まず初めに向かったのは東洋文庫です。東洋文庫とは、東洋学の研究図書館で、なんと、世界5大東洋学研究図書館の一つにも数えられているんです。ビッグスケールですね...!
さて、駒込駅から10分ほど歩いていくと立派な建物が見えてきました👀
入口はこんな感じです。
よく見てみると、様々な言語で「ようこそ」と書かれています。
国際的ですね。主にアジア系の言語で書かれているのがわかります。なるほど、入口の時点で東洋感を醸し出してるといったところでしょうか。
さあ、早速チケットを買って中を見ていくことにしましょうか。(我々は後から知ったのですが、六義園とセットでチケットを買うとお得になります。詳しくはこちら。)
最初のコーナーがこちら!とても素晴らしい眺めでした...。
わかりますか、この本の量。カメラの画角に収めるのも難しいほどに、大きい本棚にびっしりと本が並べられています😲
ガラス張りの展示を見てみると、古書の中身やその説明があります。歴史好きにはたまりませんね。
このような昔の書物以外にも、例えば昔の中国の甲骨文字や、昔の新聞、地図、などなど、ビジュアルで楽しめるものがたくさんありました(もっと写真撮っておけば良かった)。
特に中国の文字の変遷のコーナーは、最初、甲骨文字から始まって、時代がどんどん進むにつれて文字や媒体が変わっていく様子を、ビジュアルで楽しむことができて圧巻でした!
六義園
東洋文庫にて、日曜日のお昼を知的に過ごしたわけですが、頭を使った後はリフレッシュしましょう。ということで自然を求めて六義園に向かいます。東洋文庫から少し歩くとすぐに着きます。
看板を読むと、
和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園
とあります。実際、後で一つご紹介しますが、六義園には茶屋が沢山あります。なのできっと、昔の人はここで、抹茶を飲みながら、可愛いお菓子を食べながら、綺麗な景色を眺めながら、和歌を詠ったりしたのでしょうか。なにそれめっちゃかっこいい😎
さてチケットを買って早速入口を通り抜けることにしましょう。
するとまず、立派な木々が歓迎してくれます。
ここから茶屋までしばらく散歩します。ご覧の通り開放感があってとても気持ちのいい散歩をすることができました!
写真を見るだけでも心が洗われる気がします。やはり自然は尊い!都会のど真ん中にこんなに開放感のある自然があるのは驚きでした。これを読んでいる皆さんもぜひ六義園に行って自然に癒されてはいかがですか?
さてさて、吹上茶屋につきました。
ここで美味しい抹茶と綺麗なお菓子をいただきました!お菓子が可愛らしすぎて食べるのがもったいないと思えるくらいでした。
すぐそこには綺麗な景色が広がっています。
美しい風景を見ながら美味しいものを食べるというのはなんと贅沢で幸せなことなんだろうか。至福のひとときでした...。
美味しいものを食べながら少し休憩したところで、六義園の出口まで散歩していきます。途中階段があったので、登ってみました。
皆さんなかなか階段に苦戦していました。やはりコロナで外出が久々だったのでしょうか。なんてことを思っているうちにすぐに頂上に着きました。
上から見るとさらに開放感がありますね。風もいい感じでとても気持ちがいいです。苦労して階段を登った甲斐がありました。
さて、突然ですが、ここでクイズです。六義園内でこのように木に藁を巻いている様子がよく見られました。これはなんのためでしょうか?
、、、
決して、木の腹巻きではありません!
正解は、、、、、、
「こも巻き」と言って、これを巻いておくことで、害虫を木から守ることができるんだそう。冬の間、この藁に害虫が住み着くようになるので、春先にこの藁を丸ごと燃やすことで害虫駆除になっているんだとか。江戸時代から伝わる害虫駆除方法で、今では駆除目的というよりかは、風物詩として残されているみたいです。
さて、綺麗な風景といい、美味しい抹茶といい、とても充実した時間を送ることができました。そろそろ次の目的地へと向かうことにしましょうか。
最初から最後までずっと綺麗な景色が広がる素晴らしい庭園でした。六義園で撮れた綺麗な写真は、大量にあって載せきれません。それくらい綺麗な風景がずっと続いてました。
駒込富士神社
さて、富士神社に向かう途中に次のような碑が置いてありました。
写真だと読みづらいかもしれませんが、次のように書いてありました。
大正十一年、この地に私たちの暮らしをまもる土木技術の研究開発を推進するため、内務省土木試験所が設置されました。昭和二十三年 建設省土木研究所と改称、昭和五十四年 筑波学園研究都市に移転しました。現在も、我が国の土木技術に関する研究及び開発を総合的に実施し、災害を防ぎ、豊かな国土と快適な生活環境をつくるため、たゆみない努力を続けております。 平成八年十月吉日 建設省土木研究所
土木研究所の詳しい活動内容はこちらからどうぞ。私たちが快適に生活できるように防災の研究をしてくださっている研究者の方々には感謝してもしきれません。日本の耐震技術は世界トップレベルと言われてますが、その中心がかつてここにあったということですね。関東大震災の前年に設置されたようですが、その大変な時期に研究者たちが復旧のために頑張っていたことを想像すると、うるっときますね。ありがとう、と心の中で感謝しつつ、目的地に向かって歩いていきます👟
歩いていくと駒込富士神社の鳥居が見えてきました。端っこを通らないと行けないんだっけ?と確認しながらくぐります。
すると色鮮やかな石碑がたくさん並んでいるのが見られました👀
よく見ると赤い文字で「富士山」と書かれている碑がありますが、実はこの斜面に積まれている岩たちは富士山から運んだ溶岩なんだそう。
階段を登ります。写真だとうまく伝わらないと思いますが、かなり急な斜面だったので注意が必要です。怖い怖い言いながら登っていくと、、、
駒込富士講社祠が見えてきました。
こちらに見えるのが、曽我御霊社です。日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ちで出てくる曽我兄弟を祀った祠らしいです。
全体的に静かで、落ち着いていて、ずっと居たくなるような不思議な空間でした。
駒込名主屋敷
住宅街の中にひっそりと建っているのが次の目的地、駒込名主屋敷(こまごめなぬしやしき)です。道端に案内板が立っていて、そこから脇道に入ったところにあるのですが、案内板も目立つものではないので見落としやすい印象です。
駒込名主屋敷は江戸初期に名主(村の長のこと)を務めた高木家の屋敷で、現在も居住者がいらっしゃいます。表門の横の方に小さく張り紙がしてあり、建物内部は見られませんが、外観は自由に見学して良い、とのことです。
左の小さい木戸から中に入ると前庭が広がっていました。外から眺めた時の想像以上に広かったですね...!
こちらが主屋です。旗本以上の武家にのみ許されたという式台付きの玄関があるのが見どころですが、写真を見返したところ写っているものがありませんでした......😭
こちらは離れです。
また、奥に進むと井戸もありました。
時代を感じる建物と木々が生い茂る庭からは、住宅地の中でここだけ別世界のような感じがしました。
天祖神社
駒込名主屋敷から歩いてすぐの所に次の目的地、天祖神社(てんそじんじゃ)はあります。天祖神社は天照皇大神を主祭神とする神社で、伊勢信仰に分類される神社です。
天祖神社に向かって歩いていると何やら立派な看板が見えてきました。
天祖神社の隣にある縁結び子育地蔵尊です。300年ほど前に創建され、古くから信仰されているそうです。
裏手から天祖神社の境内へ入ってすぐ見えたのが狛犬の像です。
こちらが本殿です。まちあるきの実施が11月上旬だったので七五三詣りの案内もしていました。
こちらは神社の正面入り口から見た様子です。
石畳の参道が真っ直ぐで綺麗...!境内は緑豊かで他に人影もなく、穏やかで落ち着いた雰囲気でした。
諏訪山吉祥寺
次の目的地は、諏訪山(すわやま)吉祥寺!
迫力のある門がお出迎えです。
諏訪山吉祥寺はもともとは江戸城内(現在の千代田区の皇居のあたり)に建てられた後、徳川家康の入府に伴い駿河台(現在の本郷一丁目あたり)へ移り、明暦の大火などの火事によって最終的にはこの駒込の地に落ち着きました。転々としている歴史にびっくり👀
ここで豆知識!明暦の大火で吉祥寺の門前に住んでいた人々は武蔵野市東部に移り住み、開拓を進めました。このことから現在の「吉祥寺」という地名が生まれたそうです!(なんと吉祥寺駅周辺に”吉祥寺”という寺院が所在した事実はないそうです。面白いですね〜)
こちらも長い長い道...本堂が遠い..!
やっと見えました!本堂前はサッカーができるんじゃないか(もちろんやっちゃダメです)と思えるほどのとても広いスペースがあり、高い建物もなく、東京都23区内では滅多に味わうことのできない解放感がありました。
どうやら東京大空襲の際に多くの建物が消失してしまったことがこの解放感の原因で、現在は本堂、客殿、庫裏のみが復興されているとのこと。
南谷寺(目赤不動尊)
お次は最後の目的地、南谷寺(なんこくじ)です!通称目赤不動尊と呼ばれています。
到着した頃には良い感じに陽が沈み、寺院越しの夕焼けがとても綺麗でした。🌆
目赤不動は江戸五色不動のうちの1つで、かつては動坂(どうざか)上に庵が結ばれていましたが、鷹狩り(戦国武将の娯楽。鷹を放ち、獲物を捕まえさせるそうです)をしていた徳川家光が目赤不動を訪れたことがきっかけで現在の地を賜わり、この地へ移ったそうです。
先ほど”江戸五色不動のうちの1つ”と書きましたが、この目赤不動尊の他に、目白、目黄、目青、目黒不動尊が存在します。
目白...目黒...なんだか聞いたことがありますね。
そうです。東京都民にはお馴染みの目白や目黒という地名は、これらの不動尊があることからその名をとっているという説があるそうです!(諸説あり...)
こうやってまちを歩いてみると、思いがけない歴史の発見があってとても楽しいですね!
〈まとめ〉
本駒込周辺では、六義園や東洋文庫ミュージアムなど、のんびりとくつろぎながらも学びがあるようなスポットが多かったと思います!歩きながら寺院を1つ1つ見ていくとその土地の由来や特徴が分かったり、歩いていてとても楽しい地域でした!
みなさんもぜひ、文京区を歩いて、歴史や文化を味わってみてください!
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