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フィグとガーデニア

子どものころに住んでいた家には小さな庭があり、実のなる木がいくつか植わっていました。
枇杷とぶどう、そしていちじくです。
誰が植えたのか大人たちに尋ねたことはありませんでしたが、私が生まれるずっと前からそこに根をおろしていたようです。
当時は祖母と祖父、父と母、弟、そして母方の叔父や伯母が何人か同居していた大所帯です。
狭い家ではありませんでしたが、現代の家庭事情からは想像もつかないような賑やかな毎日でした。

その果樹たちは、特に肥沃ではない普通の住宅地の庭にありながら、そして誰かがこまめに手入れをしていたわけでもないのに、甘く大きな果実を毎年揺らしてくれました。
その中でも、とりわけ無花果は夏になると大きな実をたくさんつけました。
毎日毎日、夕方近くに木に登り、(大人なら、背伸びして手を伸ばせばとれた高さだと思います)片手に抱えたカゴにいっぱい無花果の実をとるのです。それはどろりとした濃密な甘さと、奥ゆきのある深い香りの実でした。
当然、家族だけでは食べきれないので、近所のお宅に配って歩くのが私の日課でした。
お向かいの新川さん、二軒お隣の山下さん、そのはす向かいの西村さん……。
よそのおばさんの喜ぶ顔を見るのは、とても嬉しかったです。
毎日収穫していた私は、家族のだれよりも美味しく熟した実の見分け方が上手でした。
手触りや大きさ、膨らみ方、色艶や香りなど、柔らかく甘く熟した実を選び出すのは、とても楽しい作業でした。
小学校五年生のとき、家を改築することになりました。新しい家ができるまで、家族全員が一緒に暮らせる借家が見つからなかったので、小さなアパートを借りて数ヶ月間、みんなバラバラに暮らしました。
それまでみんなが生きていた家。その庭にあった、弟と私が遊んだブランコや小さな滑り台とともに、ぶどうも枇杷も、そして無花果の木もなくなりました。
その時の寂しさや悲しさ、どんな気持ちだったのか、どうしても思い出すことができません。
新築の家に引っ越したとき、嬉しかったのかどうか、あまり憶えていません。
大人になってから思い出すのは、古いモノクロ写真で見ているからなのかも知れませんが、誰もいない庭で揺れているブランコと無花果の木の様子です。
真夏の強い日差しの下で、日傘を差している誰かの影とともに、それらはひっそりと写っています。
無花果の曲がった枝の影が、対面式になっているブランコのステップのあたりを黒く沈ませています。
そのブランコは確か、赤い色で塗られていました。
その横に、弟の足漕ぎ式のスポーツカー。
家族がいちばん多かった、楽しい頃でした。

最近ではドライフルーツのショップなどでも、よく無花果を見かけます。
でもそれには『フィグ』というプレートがついていて、記憶の中の『無花果』と同じだとは、どうしても思えないのです。
乾燥させたものは、あんずでもいちごでも生のものより縮むのは当たり前ですが、
「どうして無花果がこんなに小さいの!」
と、どうしても口に入れる気にはなれません。
生で売られているものでも、初めてデパートの地下で見た時は衝撃的でした。
私にとって、無花果は「買う」ものではなかったからです。
なんだか、子どものころの大切な思い出を踏みにじられたような、場違いな怒りを感じて、その時に買うはずだった桃を忘れて帰ってしまいました。

それからもうひとつ、くちなしの花も、私にとっていちじくと同じように売っていてはいけないものの一つです。
家を改築したあと、玄関の脇に祖母がくちなしの苗を植えました。
いつからあんなに大きく美しい花をつけるようになったのか、その記憶は曖昧ですが、祖母が丹精して咲かせるくちなしは、それはもう見事な色と質感の花びらを持っていました。
この世の中に、あんなにも美しい「白」があるのか、あんなにも香しい花が存在するのかと思うほど、その花の色と香りは今でも鮮明に甦ってきます。
そのくちなしが咲く玄関前の情景は、馥郁とした記憶です。
葉の一枚一枚を裏返して、害虫がついていないかと丁寧に育てていた祖母。ごろごろ転がるような大きくて白い芋虫は、まとめてお寺の池の周りにあった何かの樹の葉に載せに行っていました。芋虫の引っ越しです。あれは何の幼虫だったのか、その時に誰にも訊ねなかったので、とうとうわからずじまいでした。
その祖母が高齢になって自分でくちなしの世話ができなくなったとき、害虫が増えるからといった理由で、伯母の一人がその木を根ごと撤去しました。それは仕方のないことです。
私はとうに大人になって家を出ていたので、しばらくの間くちなしがなくなったことも知りませんでした。
あるとき祖母に会いに行って知ったのですが、祖母はとても悲しんでいました。
「なにも伐っちゃわなくてもねぇ…」
その悲しそうな横顔と、十数年前にくちなしの世話をしていた楽しそうな祖母の顔が重なって、私は何も気の利いたことを言えませんでした。
初めてお花屋さんで売られているくちなしを見つけたとき、その香りが何か人工的なものを含んでいるように感じられて、ちょっとイヤでした。

だから、「フィグ」も「ガーデニア」も、私にとってはウソっぽく感じられて、その名前も好きになれません。
そういえば、過去に住んでいた調布市でも世田谷区でも、家の周囲にはくちなしの木があって、六月になると雨の音と冷たさにまぎれて、あのなんとも言えない芳香を感じることができましたが、いま住んでいる場所では、どこのお宅もくちなしを育てていないようです。
紫陽花は、それぞれの玄関先で青やピンクや紫色の花を重そうに広げているのに、くちなしのあの白い花びらを見ることはありません。
でもやっぱり、わたしが見たいのは、香りを感じたいのは、祖母が育てた「あの」くちなしの花なのでした。
失われたものだかからこそ、こんなに焦がれるのでしょうね。


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