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【小説】晴れた日の月曜日なんだけど 第4話

 絵美子さんが出勤する区役所の管内に集中的に振り込め詐欺の電話がかかってきた。絵美子さんは楽しみにしていた「おしゃべり会話」の番だったが、途中から注意喚起の電話をかけまくることになる。午前中に会話したおばあさん宅にも振り込め詐欺の電話があったことがわかった。


4.ねえ。誰か教えてあげて


 木曜日は区役所の3階へ出勤する日だ。高齢者の自宅に安否確認の電話をかけ、何人かとは時間をかけておしゃべりするという仕事のはずだった。

 福祉課のパーティションの中に入ると2日前、火曜日と同じメンバーが座っていた。パートの鈴木さんと田中さんだ。火曜日と違うのは2人とも窓から反対側の席に座っていて、窓側の席が空いていた。
 絵美子さんは
「おはようございます。今日は先日とは席が違うのですね」
「ええ。後で主任から説明があると思うのですが、やり方を変えるようですよ」
 パーティションの入口側の空いている席に座った。

 しばらくすると主任の加藤さんが入ってきた。
「絵美子さんは昨日、お休みだったので改めて説明します。これまで『安否確認』の電話と『おしゃべり会話』の電話をそれぞれ2人ずつで対応していましたが、おしゃべり会話を1人で担当し、残り3人が安否確認に回ります。みなさんも経験されていると思いますが、安否確認の電話でも、相手の方が話し始めると、それを遮ってまで電話を切るということしていませんよね。一方で、おしゃべり会話では、話題が無くなって無言になってもほとんど1時間は電話を切らずにいます。おしゃべり会話でそこまで時間をかけなくてもいいのではという意見もありました。そのため、安否確認の割合を増やします。そして安否確認でも相手にあわせて、もう少し柔軟に話し相手になってもいいということにします」
 絵美子さんが
「目標の電話件数はどうするのですか? おしゃべり会話が10件もあると1人では対応できませんが……」
「安否確認35件、おしゃべり会話5件にします。全部で1日に40名のお年寄りに電話することになりますので、これまでの合計35名よりは5名多く対応できると思います。電話してほしいという高齢者からの希望が増えているのですが、まだ全員に対応しきれてないのが現状です。少しでも件数を増やしたいと思います」
「全部、安否確認の電話にしてしまえばいいのではないですか。柔軟に対応していいということであれば、安否確認だけでも充分に対応できるように思いますが……」
「そのことも課長と相談したのですが、今回はおしゃべり会話を残して様子を見ようということになりました。だけど、実は私も安否確認だけでいいかなと思っています。近いうちに一本化する方向に進めたいと思っています」

 横にいた鈴木さんが聞いた。
「それで、今日の分担はどうするのですか?」
「絵美子さんは火曜日に安否確認を担当してもらったのですよね」
「ええ。そうです」
「今日はおしゃべり会話をお願いします。鈴木さんと田中さんは私と一緒に安否確認の電話をしてください」

 絵美子さんは全部を安否確認に変更することを提案したのだが、本当はおしゃべり会話の方が良かった。急かされることもなく何気ない会話を続けられるこの仕事が好きだった。

 おしゃべり会話リストの一番上は栗本さん。先週、安否確認で電話したおばあさんだった。

「もしもし。栗本さんのお宅ですか」
「はい。栗本です」
「区の福祉課のものです。今日はお話しする日ですので、電話しました。いま、このお時間は大丈夫ですか? おしゃべりしても差し支えありませんか?」
「ええ。大丈夫です。いつもありがとうございます」
「先週も私が電話したのですが、覚えていますか?」
「ええ。そうですよね。聞いたことがある声ですものね」
「それ以降、この1週間はおかわりありませんでしたか?」
「ええ。大丈夫でしたよ」
「そうですか。それはよかった。お食事は摂れてますか?」
「ええ。毎日3食、食べてますよ」
「それはいいですね」
「最近、若い人は朝食を抜くってテレビでやっていたけど、あなたはどうなの? ちゃんと食べてるの?」
 こういう逆質問も時にはある。
「私は、黄金色こんがりに焼いたトーストにバターを塗って、コーヒーも自分で淹れて、目玉焼きは半熟にしてケチャップをつけて食べてます」
「あら、洒落たブレックファストよね」
「ええ。トーストに遠慮なくたっぷりのバターを塗るのが好きなんですよね。栗本さんはどうなんですか? 朝食は洋食なんですか、和食なんですか?」
「私はごはんが好き、かな。卵焼きも好きだし、目玉焼きも好き。納豆も時々食べるんですけど、最近、近くに納豆屋さんができたんです。都会にはめずらしい納豆専門店なんです。スーパーに置いてある納豆もいいのだけど、そこで売っている納豆もおいしいんですよ。小粒と大粒があって、納豆のタレも小粒用と大粒用で別なんですよ」
「へぇー。タレにもこだわっている納豆屋さんがあるんですね。どこのお店か私にも教えてもらえますか?」
「いいですよ」

 そんな、他愛もない話しを続けるのだ。

 絵美子さんにとっても、この『おしゃべり会話』は楽しい時間だ。けれども、希望者が多すぎて行き届かないのであれば、より多くの人とのコミュニケーションを取る方法を考えた方がいい。すぐにできることというのは、より短い時間で済む安否確認に人手を集中させるということだともわかっている。そうであれば、この会話をいまのうちに楽しんでおかなければ。

 もう一人のおしゃべり会話も終わった頃に、課長の小林さんがパーティションの中に入ってきた。
「見回り班からの情報共有がありました。区の一部地域で集中的に振り込め詐欺の電話がかかっているようです。高齢者のお宅にうかがったところ、態度がおどおどしていたので、話しを聞いてみたらお金を振り込むようにという電話があったことがわかりました。午前中に高齢者宅を訪問した見回り班からの報告だけで数件ありました。区の代表番号にも情報提供の電話が入っていましたので、区全体で10件から20件。もっとあるかもしれません。」
「……」
 朝から電話をかけていたお年寄りが被害にあっていないだろうか気になった。少なくとも今日の電話でおかしな雰囲気はなかったのだが……

「区の広報車をその地域に回して、スピーカーで注意を促す呼びかけを始めています。警察でも情報を把握していたようで、パトカー数台でその地域を回っているそうです。パトカーにもスピーカーがついていますので……。たぶん、相手は同じ市外局番で下4けたを順番にかけているのだと思います」
 ふーん。何となく古い手口のように感じた。まだそんなことをやっているんだ。
 課長は持ってきた大きな地図を広げた。区の緊急避難先に印がついている地図で、区役所のどの部署でも常備していてすぐに取り出せる便利な地図だった。課長はその地図にマーカーで大きな丸を描いた。
「かなり、広い範囲ですね」
「区全体の4分の1ぐらいありますね」
「この範囲以外にも同じ市外局番はあるのですが、いつも電話をかけている高齢者で該当する市外局番の人たちが住んでいるのがこの丸の中です」
「それで、私たちにはどうしろと?」
 主任の加藤さんが課長に聞いた。
「朝に配った今日のリストに電話するのは一旦中止してください。午後のスタート時間までに新しいリストを作成します。同じ市外局番の人たちのリストです。その人たちに注意喚起の電話をしてほしいんです」
「今日かけるのは何件ぐらいですか?」
「200件です」
「200件!」
 机に座っている4人は顔を見合わせた。ここでの通常の電話ペースでは、1人1日20件もかけられない。それが午後だけで1人50件もかけなければならないのだ。そんな件数は絶対に無理だと思った。
「とにかく、電話してほしいのです。安否確認もする必要はありません。通話記録のメモも詳しく書く必要はありません」
「いくらなんでも、様子は聞かないと……。それに私たちの電話に親近感を持ってくれている人が多いので、一つ二つくらいは世間話ししておかないと」
 課長は考え直したようで
「そうですね……。相手に応じて臨機応変に対応していただいてもいいのですが、『多くの人に注意喚起しなければならないので切らせていただきます』と説明して、電話を切ってもらってかまいません。よっぽどのことがなければ理解してもらえると思うのですが、対応が不親切だという苦情になってもかまいません」
「でもその苦情の電話が折り返されたら私たちが受けなければならないのですよね」
 みんな、折り返し用に1回線開けている電話のことを心配した。
 その言葉に課長が続けた。
「折り返し電話を受けるように、もう1人の主任に入ってもらおうかと思っています」
「このパーティションの中にですか? 余裕はありませんが……」
「詰めて座りましょうか?」
「いえ。お昼休みの間に、施設課にパーティションの中のレイアウトを変更してもらいます」
「できるのかな……」
「それじゃ、私たちはすぐ休憩時間に入って、たっぷり時間を取って食事してきていいということですか?」
「ええ。そうしてください。午後の電話が始まったら途中の休憩もあまりとれないと思いますので。午後1時ごろにみなさんが戻ってきたら説明します。それまでにレイアウト変更が終わるかがわからないので1時過ぎでかまいません」
 課長がパーティションから出ていく間際に、思い出したように
「あっ。それと、主任の加藤さん。施設課の人たちがここに入りますので、リストとメモは全部保管庫に入れて鍵をかけておいてください。それと、みなさんも筆記用具などの個人の持ち物をロッカーに閉まって鍵をかけておいてもらえませんか。机も移動しますので」

 4人は総務部の部屋を出て
「どうしましょう。やっぱり、職員食堂ですよね」
「そうしましょう。でも、職員食堂は昼食の時間は長居できないから、食事が終わったらコーヒーでも飲みに外に出ましょうよ」
「スタバかなー。でもいつも人が一杯で、4人がいっしょに座る席はないと思いますよ」
「それじゃー。手前のユニバコーヒーに行ってみましょうか。奥まっていて、目立たない場所にあるから、もしかしたら座れるかもしれませんよね」
「埋まっていても、近くに公園があるから、ベンチでゆっくりしてもいいですけど」
「日差しは遠慮したいけど……。まあ、今日はしょうがないか」

「でも、残りの時間で200件でしたっけ。電話をかけて、つながったらすぐ切るってことですか」
「午後1時から6時までの5時間で200件。4人でかけるから1人50件。1時間あたり10件。6分に1件と考えれば、できそうにも思うけど、対応後の処理や休憩も考えるとギリギリか、少し残ってしまうかもね」

 そんなことを話しながら7階の職員食堂に向かっていった。

 

 課長は1時を回ってもいいと言っていたけど、日頃の習慣もあって1時少し前には戻ってきてしまった。
 総務部の部屋に入ると、パーティションで囲まれた場所が広がっていた。
 そういうことか。パーティションで区切っているだけだから、すぐに配置を変えられるんだ。施設課だったら追加のパーティションは用意しているだろうから、場所を広げることもすぐできるわけだ。
 中に入ると、部長用の広い机が窓とは反対側に4人を見る方向に置かれ、そこにも大きなモニターとパソコン、電話が設置されていた。そして、施設課の人がまだ作業を続けていた。

 しばらくすると、課長が入ってきて、後から女性がついてきた。
「ご存じの方もいると思いますけど、以前、電話班を担当してもらったことがある主任の菊池さんです」
「菊池です。よろしくお願いします」
「鈴木さんと田中さんはいっしょに仕事をしてもらっていましたよね」
「はい」
「絵美子さんは初めてでしたか?」
「はい。竹本絵美子といいます。いつも下の名前の絵美子と呼んでいただいています」
「そうなんですね。絵美子さん。菊池です」

 施設課の人が
「課長。待機呼たいきこのカウンターも接続しましたよ」
「待機呼って?」
 鈴木さんが施設課の人に聞いてみた。
「企業の電話にかけると、『つながるまでお待ちください』って案内が流れることがあるよね。その時に何人待っているかがわかる表示器なんだよ」
「そんな機械があったんですね」
「前の区長の時に、区長室の電話が話し中だったことが多くて、秘書席の電話に取り付けておいたんだよ。そのままになっていたのだけど、ほとんど使われていなくて。区長に事情を話したら、持って行って有効活用してくれって。それで、すぐこっちに持ってきたんだ」

 課長は持ってきた注意喚起する人のリストを5人に配った。200人分のリストとメモを束ねたもので、普通のノートぐらいの厚さになっていた。
「主任の加藤さんと鈴木さん、田中さん、絵美子さんはこの200人を分担して電話をかけてください。主任の菊池さんは折り返しの電話に出てもらいます。菊池さんはいま担当している仕事もありますので、電話がかかってこない時間は本来の仕事をしてもらいます。広い机を用意したのはそのためです。菊池さんが仕事の資料を持ち込むのは例外として許可しますが、資料は最小限にしてもらっています。菊池さんが持ち込んだ資料は記録しておかなければならないので、資料の名前を菊池さんのメモに記入してください。主任の加藤さんは、資料を持ち込むことを特例として了承してもらったことをメモに書いておいてください。私の業務記録にも記入します。持ち込んだ資料に個人情報が記述されていないことを今日の業務が終わった時に3人で確認する形にします」
 難しそうな話しだ。主任の加藤さんが
「確認したことを、どなたに報告するのですか」
「区長と局長、区役所の個人情報の担当者の3人で、その3人にはこのことをすでに話しています。緊急電話連絡が終わった夕方に結果を報告し、承認してもらう予定です」
 鈴木さんが
「この200人の人たちにはどういったことを話せばいいのでしょうか」
「表紙をめくった2ページ目に簡単なスクリプトを載せています」
 5人が一斉にページをめくる音がした。

  ・最近、この区で振り込め詐欺が頻発しています
  ・身に覚えのない電話には出ないでください。
   出てしまってもすぐに切ってください
  ・金品を要求してくるのは怪しい電話です。
   何も答えずすぐに切っても問題はありません
  ・相談したいことがあったら遠慮なく区の福祉課に電話してください

「これだけですか」
「ポイントだけを載せました。相手との会話の中で理解してもらえるようにアレンジして話してください」
 スクリプト(シナリオ、電話会話の例)にもなっていなかったが、昼休みの1時間程度で作るとしたら、これくらいなのだろうか。
 主任の菊池さんが
「折り返しの電話番号に、こちらの直通番号が載っていますが、この番号を案内して怪しまれませんか? 私たちの電話自体が怪しい電話に間違えられるかもしれませんし」
「そうか。それも考えておかなければならないか」
 もう一人の主任、加藤さんが
「この人たちはこれまでも安否確認などで電話したことがある人たちですよね」
「ええ。そうですが」
「それであれば、この電話番号はその時にも案内していますので、それほど怪しまれないのではないかと思いますが……」
 鈴木さんが
「でも、その番号を覚えている人って少ないと思いますよ」
 課長が
「区役所の代表番号、下4桁が1111の番号にかけてもらって、こちらに転送してもらうというのはどうですか?」
 菊池さんが
「直通番号を伝えて怪しまれたら、代表番号にかけてもらうということですか? それがいいと思います」
 怪しまれるかもしれないって言ったのは菊池さんなのにすぐに納得してしまった。代表番号でも、それを知らない人には怪しまれるのに変わりはない。それっぽく見えるというだけだ。
 でも、もう電話をかけ始めなければならない。シミュレーションを何パターンも試しておいたほうがいいに決まっているが、時間との兼ね合いもある。200件もかけなければいけないのだ。菊池さんが折れた理由もわかる。もう始めないと……

 課長が
「それでは代表番号の係りにも、緊急に注意喚起の電話をかけることを伝えておきましょう。それでは2人の主任、よろしくお願いします」

 課長がパーティションの外に出ていった。
 施設課の人は
「何か不具合があったら、これが私の直通の携帯番号だから、ここにかけてください。今日はいつでもかけつけられるようにしておきます」
とメモを主任の加藤さんに渡して出ていった。

 加藤さんが
「それではいつものように表紙に自分の名前を書いてください」
 もう一人の主任の菊池さんが
「いまは、リストに名前を書き込むことになっているのですね」
「ええ。このリストはパーティション外に持ち出し禁止です。席を立つときはリストを私に預けてください」
「そこまでやるようになったんだ」
「そして、メモ書き用にリストの後ろに白紙を綴じていますので、必ずそこに書き込んでください。電話した記録もそこに書き込んでください。個人のメモやノート、携帯電話やスマホは机の上に置いてはいけないことになっていますが、さきほども課長から話しがあったように菊池さんは本来の仕事をしながらということですので、そのための資料は机の上に置いて作業してください。電話の内容や電話をかけてきた相手の情報はリストの後ろの白紙に書いてください。他の用紙や電子ファイルに書き込んだりしないでくださいね」
「対応が厳しくなっているのね。課長から細かくルールを決めるようになったって聞いていたけど、こういうことなのね」

 絵美子さんは自分が担当するリストの1番目から電話をかけた。
 偶然にも午前中に電話した栗本のおばあさんだった。
「もしもし、栗本さんでしょうか」
「はい。どちらさまですか」
「〇〇区福祉課です。午前中に電話したものです」
「あら、またかけてきたの。今日は電話が多いわね。でも同じ日に電話をしてくれるってどうしたのかしら」
「実は振り込め詐欺の電話が多くなっているので、注意喚起の電話をかけ直しているところなんです」
「あら。午前中あなたの後にも電話がかかってきたのよ」
「知っている人ですか?」
「知らない声だったのだけど、区の税務課だっていうから話しを聞いたのよ。そしたら、税金が未納だから払ってくださいって。いままでそんなことはなかったのにね。そしたら、コンビニでカードを買ってきてくださいって。戻ってきた頃を見計らってまた電話しますって言ってましたよ」
「それでコンビニでカードを買ってきたんですか?」
 この言葉でパーティションの中にいるみんなが絵美子さんのほうを見た。
 主任の加藤さんはもう電話をかけ始めていた。代わりに菊池さんが立ち上がって絵美子さんの隣にやってきた。
 栗本のおばあさんは
「いえ、これから買いに行こうと思っていたところ」
「栗本さん。カードを買いに行かなくていいですよ。このまま、待ってもらえますか。電話は切らないでくださいねー」
 栗本のおばあさんが動揺しないように、少なくともこちらは落ち着いて話さなければいけない。わざとゆっくり話した。

 受話器を持ったまま、菊池さんにもわかるように用紙を机の端にずらして栗本さんの名前に赤ボールペンで丸を付けた。そして、菊池さんの目の前で「区の税務課」「未納分の支払い」と余白に書き込んだ。
 菊池さんはパーティションの外に出ていき、課長を連れて戻ってきた。
 課長も絵美子さんのリストをのぞき込み、携帯電話をかけはじめた。
「佐藤くんかな。リストD、1ページ目の先頭の栗本さん宅に向かうことはできますか?」
「……」
「そう。ではお願いします」
 課長は携帯電話を切って
「しかし、よりによって区の税務課を名乗るとは……」
 そして、絵美子さんに向かって小さな声で
「区の税務課がコンビニのカードで税金を納入してもらうことはありません。それに未納があればまず郵便で連絡することになっているはずです。見回り班があと10分で到着します。それまで電話を続けてもらえますか」
「わかりました」
 電話を切ってしまうと、そこに振り込め詐欺の2回目の電話がつながってしまうかもしれない。見回り班が到着するまで電話を続けたほうがいい。
 栗本さんとの電話に戻った。
「栗本のおばあさん。お待たせしましたー」
「どうしたのかしら?」
「栗本さんが取った電話は詐欺の電話だと思います。区の見回り班がご自宅にうかがいます。これまで見回り班が来たことはありますか?」
「ええ、何回か来ていただいて、箪笥たんすの上にある荷物を取ってもらったことがありましたねぇ」
「見回り班の佐藤というものがそちらに向かっています。それまで、私とおしゃべりしてもらえませんか?」
「ええ。ソファーに座りたいのだけど、待っていてもらえますか」
 間があってから
「よっこいしょっと。いいですよ。何を話しましょうかね」
「立ちっぱなしだったのですね。気がつかないでごめんなさい」
「いえ、大丈夫ですよ。散歩がてらにコンビニまで行ってみようと思ったのだけど、何があったのかしらね」
「よくウォーキングに出かけたりするのですか?」
「ええ。毎日、少しは歩くようにしています。雨の日は部屋の中で足踏みだけしてますけどね」
「そうなんですね。どれくらい歩くのですか?」
「少し離れたところにちょっとした公園があるんですよ。坂があってその途中に滝があったりして。木が生い茂っていて、晴れた日は陽を遮ってくれるので、私にはちょうどいいんですよ」
「素敵な場所なんですね」
「そうなのよ。それに、自転車も入っちゃいけないことになっていて安心して歩けるのよ。あっ。でも、走っている人はいますよね。怖い顔をして走っているのよ。何のために走っているのかしら。苦しかったらやめればいいのに。それにカーブは内側を走ろうとしてぶつかりそうになることもあるのよ。迷惑よね。身体を鍛えるために走るのだったら、カーブの外側を走って距離を稼げばいいのに。矛盾しているわよね」
「そうですよね」
 確かにその通りかもしれない。練習のために走っているのだったら、曲がり角の内側ではなく、外側を走ればいい。前のランナーを追い抜く練習を高齢者やゆっくり歩いている人をランナーに見立ててやっているとしたら、かなり悪質だ。取り締まってほしいくらいだ。と、栗本さんの話しを聞いて思った。
 相手の気持ちになって悲しんだり、怒ったり、喜んだりするのがこの仕事では大切なことだと思っていた。そして、いったん同じ気持ちになって、そのうえで楽しいことに話しを向けるのが絵美子さんにとって心地よかった。この仕事を朝から夕方まで続けられる理由だった。
 栗本のおばあさんは公園で近くの保育園の子どもたちが散歩に来ているのを見かけたり、ベビーカーを押しているお母さんに『かわいいお子さんですね。おいくつ?』と話しかけたりしていると、うれしそうな声でしゃべっていた。

 会話を続けている間に、電話口からチャイムの音が聞こえた。
 隣にいた課長が絵美子さんに
「佐藤くんが玄関の前に到着しました。中から話し声が聞こえているそうです」
 絵美子さんは栗本さんに
「いまのチャイムは私たちの見回り班だとおもいます。ドアのスコープで外を確認して、開けていただけますか」
 受話器を課長に預けた。
 課長は携帯と受話器の両方から鍵が開く音を確かめていた。そして
「ドアが開きました」
と言って受話器を絵美子さんに返した。
 受話器から栗本のおばあさんと見回り班の佐藤くんの2人の会話が遠くに聞こえていた。

 佐藤くんが
「部屋の中に入っていいですか?」
「あなた方の係りの人と電話していたのですが」
「電話に出ていいですか」

 その後に、大きな声で
「絵美子さんですか? 見回り班の佐藤です。それでは、こちらで引き取りますが、いいですか?」
「ええ。栗本さんがよければ」
 佐藤くんが受話器を栗本さんに返したようで
「あら、あなた絵美子さんっていうの、そう呼んでいいかしら」
 自分の名前は伝えていなかったのだが、見回り班との会話でわかったようだ。
「ええ、かまいませんよ。佐藤くん●●が栗本さんとお話ししたいというので、私はこれで失礼しますがよろしいですか?」
「ええ。また電話してくださいね。あなたとは、またお話ししたいわ」
「そうですね。私も次の電話を楽しみにしています」
 電話がまた佐藤くんに戻った。
「それではこちらで引き受けますので。ありがとうございました」
という言葉を最後に電話が切れた。

 課長から
「警察も向かっているので、後は大丈夫だと思います。絵美子さんは少し休憩を取ってください。その後で電話を続けてもらえませんか」
「いいですか」

 リストの束を主任の加藤さんに預け、パーティションを出て、また7階の食堂に向かった。
 自動販売機のカフェラテで気分転換した。

 戻ってみたら、同じような詐欺の電話が他にも2、3件あることがわかった。1件6分と見込んで始めたものの、電話がつながらなかったり、つながっても話しが長くなったり。それに、栗本さんのように実際に振り込め詐欺の電話があったら最低でも30分はかかってしまう。その日の夕方までに電話できたのは4人全員で100件程度に過ぎなかった。

 みんなクタクタだった。
 絵美子さんは自宅に戻ってほどなく眠ってしまった。

 (晴れた日の月曜日なんだけど 第4話 終わり)


※晴れた日の月曜日なんだけど 第5話 は 7月23日に更新する予定です。


※念のための注意点です

これはフィクションです。
登場人物や企業、団体などは架空のものです。
また、この小説の中に出てくるルールやサービスも私の想像にすぎません。
同じような名前や社名、団体名、グループ名、規則などが存在したとしてもこの小説とは何の関係もありません。
ご了承ください。

(和泉佑里)




【小説】晴れた日の月曜日なんだけど 第1話


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