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野球部のマネージャーだった話

高校の時、野球部のマネージャーだった。

選手との淡い恋など全くなく、私は謎に野球のスコアをつけるのにハマった。本当に完璧に綺麗につけられるようになったので高校を卒業してからスコア付けのアルバイトもしたことがある。

地元の県大会、私はスコアラーとして選手と共にベンチに入り応援席で応援はできなかった。どんなに盛り上がる試合でも落ち着いた様子でスコアを記さなければならない。

マネージャーをやってよかったことは段取り力がすごく身についたことだと思う。私はなぜか選手に尽くしてるという感覚はなく自分がテキパキ動くことにフォーカスしていた。運動が苦手な私が役に立ってるから嬉しい、とかではなく私は私のできることをやろう!みたいな気持ちでマネージャー業をしていたと思う。

準決勝で敗れた時も泣きながら集計していたのを憶えている。今やらなくても後から集計してもいいのに。

そんな私も自分はプレイするわけでもないのに最後の大会では本当に甲子園に行くと思い込んでいた。一つ、二つと勝ち進んでいく中、無名の学校だけど甲子園行っちゃうんじゃない?って本気で思っていた。17歳って無謀。

自分が選手なら自分の実力わかってだろうからそんなこと思わなかったのかもしれないが。

準決勝で敗退した後、しなければいけない受験勉強など手につかなかった。勝ち進んだ高校の試合を記録員として見て、スコアを記していたような気もする。

私の県の甲子園出場校も決まり、夏の甲子園が始まった。

ギラギラした熱気の中 すごい選手がいた。

大きな体に無表情。その選手はとても同じ年の高校生には見えずプロ野球選手のオーラしかなかった。

5打席連続敬遠されても表情が変わらない彼。同じ高校生とは思えない。あ、格が違うんだな、甲子園に出る選手は。

私は私のできることをしよう。うん、とりあえず勉強しよう。

松井選手ありがとうございます。私にやる気を与えてくれたこと感謝します笑


#高校野球の思い出

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