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今までなくしたものと今あるもの

僕は今日まで生きてきて、数えきれないほど沢山のものをなくしてしまった

人を純粋に信じることもできなくなってしまったし、感情のままにやりたいことを始めてみることも難しくなってしまった。
思えば、結婚の約束をした彼女に仕事と私どっちを取るのか選んで欲しいと言われたこともあった。
いつのまにか沢山のものを無くしてしまった。

振り返ると、何かを得るために何かをなくしていったような気がする。

僕は若い頃、早く大人になりたかった


なぜだかわからないけど、早く大人になって自立して1人で生きていきたかった。

そのために、中学の頃から隠れてアルバイトもしたし、高校では学校をサボって掛け持ちでアルバイトをしたこともあった。
17の夏には目標の100万が溜まってるはずだった。
ただ、100万貯まることはなかった。
知らない間に口座のお金は抜かれ、引き出しの裏にあったお金もなくなっていた。
僕は気づいたその日に家を出た。
16の冬の終わりだったような気がする。

はじめのうちはとても楽しかったように思う。
友達のうちに転がり込んで、高校に行ってバイトをして。
ただ、長くは続かなかった。
1ヶ月くらいで友達のうちを出て、公園で寝泊まりするようになった。

運がよかったんだと思う

1週間もしないうちに住むところが決まった。

アルバイト先の社長が見かねて、部屋を借りてくれた。
その日から本格的な1人暮らしが始まったけれど、想像以上に一人で生きていくのは大変だった。
当たり前のことだが、何をするにもお金がいる。
家賃、光熱費、生活費。
もっと言えば、明るい部屋でテレビを見るのも、温かいお風呂に入るのも、おなかがすいたらメシを食うのも、とにかくタダでできることはない。

きっとこのころからだと思う。お金に執着するようになっていったのは。

生きていくということ

生きていくにはとにかく金がかかる。

あの頃の僕は、生きていくためという自分勝手な大義名分を掲げていろいろなことをやった。
給料全額ギャンブルに使ったこともあるし、ナンパという名目で飯をおごってもらうこともあったし、道行く人にお金を借りることもあった。
時には、ねずみ講でお金を稼ぐこともあれば、だまされてお金をなくすこともあった。
今の時代では、笑い話にもできないことがたくさんあるような気がする。
きっとそのころから、お金と引き換えにいろいろなものを失ったんだと思う。

水商売

家出少年あるあるだろう。

僕は水商売の世界に入った。
たぶん運がよかったんだと思う。
僕はトップに立ったことがある。
同年代で水商売をしている人間が少なく、物珍しさもあってお客様はかわいがってくれる人が多かった。
当然、お客様から求められるものも多く、先輩からの風当たりはきつかったが、お金は稼ぐことができた。
いろいろなものと引き換えに。

金で売れるもの

もちろん今の時代とは違うし、水商売の人間がすべてそうではない。
だけど、あの頃の僕はお金で売れるものは何でも売っていたような気がする。

時間も生活も自分も。
売った代わりと言っては何だが、ウソは見破れるようになったし、人の外見に左右されることもなくなったし、ようやくだがお金はお金でしかないことに気づくことができた。

無知が罪なのか知ることが罪なのか

僕は何も知らないがゆえにだまされることも多かった。が、知らないおかげでたくさんの人のやさしさに触れることができたし、たくさんの人に助けてもらってきた。
だから、この世界にはほんとにやさしい人たちがたくさんいることを知っている。
だけど、同じように人をだまして蹴落として自分だけが良ければいいという人たちがたくさんいることも知っている。

今は年を取ったからなのか、経験してきたからなのかはわからないけど、たくさんのことを知ることができた。
胡散臭い話に乗ることはなくなったし、だまされることもなくなった。
けれど、純粋に人を信じることができなくなったように思う。

ない物ねだりなのかもしれない

世の中には知っておかないと身を守れないことがたくさんある。

オレオレ詐欺だって知っていれば引っかかる人は少ないだろうし、美人局だって知っていれば危ない橋はわたらないだろう。
だけど、世の中には知らないほうが幸せなことが山ほどある。
だまされてたなんて知らなければ悪気はなかったんだからで許せるだろうし、愛する彼女が浮気してたって知らなければ二人幸せでいいのかもしれない。

大きな声で言う人はあまりいないけれど、疑うよりも信じるほうがいいなんてほんとはみんな知ってるんだから。

今あるものを大切にしたい

僕は後悔することが嫌いだ。

社会の中で大人になるには、何かを得るために何かを捨てないといけないのかもしれない。
そしてそれは、1度捨てると元には戻らないのかもしれないし、人として大切なもののような気もする。
けれど、何かを得るために努力したのなら、なくしたものを嘆くよりもがんばったことを認めたい。
周りと比べてないものを羨むよりも、自分にあるものを大切にしたい。

だってそれは、いつまであるのかわからないんだから。

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