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お耳たんじょう日~ 信じる心・思いやりの心・感謝の心とは~ご笑覧あれ!コージリのファンタジー童話

どうもコージリです。

今回は、私コージリのオリジナル作品
童話「お耳のたんじょう日」を紹介します。

童話は時として心を癒し、
人生を客観的に見つめなおすきっかけを与えてくれます。

この童話は、
現代人に「信じる心」「思いやりの心」「感謝の心」の大切さを
訴求すべく執筆したものです。

子供向けの童話というよりは、大人向けの童話といった趣があります。

コージリの家族やそれをとりまく人々のふれあいを描いた、
ノンフィクションとフィクションがシンクロした童話です。

信じるとは、家族とは、思いやりとは、愛とは・・・。

今を頑張って生きるあなたに、
私の思いが通じて頂ければ幸いです。
ではご笑覧あれ!




お耳のたんじょう日

第1章 この世…
ゆうくん誕生

4月8日…。それは、お釈迦様のご生誕された日。
その有難くも同じ日の夜、午後10時48分、ゆうくんは誕生しました。

看護師さんに抱かれ、お父さんの前に現れた赤ん坊は、それはそれは、
玉のように大きな男の子でした。

「とっても元気な、大きな男の子ですよ!」

看護師さんの優しい言葉に、
お父さんは感激と安堵感から思わず泣いてしまったようです。
(あらあら。このお父さん、これから先が思いやられるわ)

看護師さんは少しあきれながらも、
新米のお父さんを満面の笑みで見守っています。

ゆうくんのホントの名前は裕一朗。
ゆうくんのお父さんが、裕福になってほしいという希望をこめて、
そして『朗』という字にこだわりをもってつけた名前です。

「朗らかに、明るく、たくましく育て!」
お父さんの想いそのものでした。

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オナラの威力


ゆうくんが生れてしばらくたってから、
田舎のおじいちゃん、おばあちゃんを呼んでお宮参りに行った時のこと。
神主さんの祝詞の途中、社がきしむかのように、

「ブウーッ」「ブウーッ」

という、大きな大きなオナラの音が2発響き渡りました。

音の主は、おばあちゃんの腕にしっかりと抱かれ、
グウーグウーいびきをかいてぐっすりと眠るゆうくんその人です。

おばあちゃんはもとより、おじいちゃんも、お父さんも、お母さんも、
ぐっと笑いをこらえてゆうくんの健やかな成長をお祈りしました。


気になる耳…

生後8ヶ月。

夜泣きがひどく、お母さんをとっても悩ませたゆうくんですが、
ハイハイやつかまり立ちも上手になって、
やんちゃ盛りをむかえているようでした。

そんな頃、お母さんには気がかりなことがありました。
「ゆうちゃーん」と呼んでも、おもちゃの音を鳴らしてみても、
振り向かないことが多いのです。

まさか、聞こえてないとか…。
お母さんは少し不安になってきました。

いやぁー、うちの子に限って…。
いちまつの胸騒ぎを感じながらも、お母さんとゆうくんは、
それから約半年の月日を夢のように過ごしました。

そして半年後


「ねえ、お父さん。ゆうの様子がやっぱりおかしい…」

と心配顔のお母さん。

「どんな風に」

お父さんはテレビを見る目はそのままに、
耳だけ向けて聞きかえしました。

「なんかねえ、呼びかけても振り向かない時の方が、圧倒的に多いのよ」

「そんな事ないんじゃない」

と、そっけないお父さんの返事。

「いや、絶対そう。それじゃー試しに呼んでみるよ」

お母さんはそう言うと、
口元にそっと手を当てゆうくんに呼びかけました。

「ゆうちゃーん、ゆうー」

二人の目は、じっとゆうくんに注がれました。

「……」

「ゆうちゃーん、ゆうー」

「……」

3秒たっても5秒たっても、何秒たっても…。
ゆうくんは黙々と積み木を組み立てて遊んでいます。

お父さんとお母さんは、互いに顔を見合わせて、
不安そうに首をかしげました。 

案ずるより行くか、検診

1週間後、ここは市内のK大学病院。

ゆうくんは、まわりを不思議そうに見渡しながら、
それでも楽しそうに「キャッキャッ、キャッキャ」とはしゃいでいます。

そんな無邪気なゆうくんをしり目に、
お母さんはゆうくんの普段の音に対する反応を、
あーでもない、こーでもないと思い浮かべては、不安がつのるばかりでした。

「くすのきさーん、くすのきゆういちろうさ~ん。中へお入りください」

緊張の瞬間、お母さんはサッと立ちあがり、
ゆうくんを抱き上げると、シズシズと診察室に入りました。

診察にあたってくれたのは、優しそうな女のお医者さんです。
お母さんは、ゆうくんの聞こえの状態を、ゆっくりと話し始めました。

出産までのお母さんの健康状態、
どんなお薬を飲んだかと言うこと、ゆうくんが生れた時のこと、

ドアのバタンという音に大きくバンザイをして反応したこと、
おかしいと気付くまでは偶然にも振り向いて反応したこと、などなど…。
 
一応の問診がおわると、
ゆうくんの音に対する反応を、器械をつかって調べてみることになりました。

それは、ゆうくんの頭や顔にいっぱいの電極をつけて、脳波を図るというものです。
検査中、ゆうくんには睡眠薬でしばらくの間眠ってもらいました。

人は、寝ている時も、聞こえていれば脳は反応するそうです。
ゆうくんが眠る検査室のガラス越しで、助手の先生がいろんな音を送り続けます。

ゆうくんは眠りの中でどんな音を聞き、
どんな夢を見ていたのでしょうか。

かすかな揺れを示すオシロスコープの針の反応は、
一体何を言おうとしていたのか…。また、結果が出るまでの1週間、
お父さんとお母さんはどんな思いで過ごしたのでしょう。

そんな両親の思いを、知るよしもないゆうくんは…。
ヨチヨチ歩きも軽やかに、すべって、ころんで起きあがり、
前に向かって歩き続けるのでした。

悲しい知らせ…

お母さんが、ゆうくんの聞こえに首をかしげてから、
カレンダーが6枚サヨナラし、季節も冬から夏へとかわっていました。

いざ今日は運命の時…。
お父さんとお母さん、そしてゆうくん。

期待と不安をちらつかせながら、K大学病院まで直行しました。
ふだんは明るいお父さんも、今日はさすがに口数が少ないようです。

ゆうくんの行動をソッと目で追いながら、
何やらジイッと考え込んでいる様子。

「くすのきさ~ん、診察室までお入りくださ~い」

お父さんとお母さんは顔を見合わせ、うなずくと、
一緒に並んで診察室へ入っていきました。

「あちらにいらっしゃる、Y先生の方からご説明がありますので、
こちらにかけて、お待ち下さい」

そう言う看護婦さんの視線の先には、
別の看護婦さんとニヤニヤ話している、
ちょっとインテリ風の若い男の先生の姿がありました。

それから2、3分待ったことでしょうか。

そのY先生、
メガネをきらりと光らせながら、ドッカリとイスに腰を下ろすと、
検査の結果の説明ではなく、淡々と結果だけを話し始めました。

そして、冷たくも、明るく、ハッキリとした口調で、
こう宣言されました。

「お子さんの耳は、両方とも聞こえてないですね。
先天性の高度難聴なので治りません。

市内の療育機関を紹介しますから、そこへ行って下さい」

お父さんはそれなりに難聴についての本を買い込み、
お勉強していたものですから、色々と質問をしようとするのですが、
そんなお父さんの必死の思いを、さえぎるように…。

「とにかく、今の医学ではどうしようもないですね。
詳しい事はそちらの施設で説明があります。
そちらの方で聞いてください」

とY先生。

「どうしようもないのは、お前のほうじゃ、いい加減にせいッ!」

と怒鳴りつけ、つかみかかりたいはずのお父さんでしたが、
何をかくそう、そんな気力も失せるほど、
ショックで返す言葉さえ見つからなかったのです。

なんて横着な態度…。

「いちいち、患者の病気や死なんかにこだわってたら、
医者なんかやってらんないヨ!」

と言わんばかりの、冷たい人だな。
と、お母さんも感じました。

それくらいショッキングな、
Y先生の対応と、裕くんの耳の検診結果だったのです。

お昼時の街の中は、いつもと変わりなくとてもにぎやかで、
また、忙しく時を刻んでいきます。

そんな中を、ゆうくんを抱っこしたお母さんとお父さんは、
まるで霊柩車に乗っているかのような面持ちで
寂しそうに病院をあとにしました。

両親の涙

重い足取りで、帰宅すると、父さんはしばらく寝こんでしまいました。

そこにヨチヨチ歩きのゆうくんが父さん遊ぼう、
と近寄っていきます。

「耳が聞こえん…」

お父さんはそうつぶやくと、
ゆうくんのむちむちした足首を
ギュッと握りしめました。

ゆうくんが覗きこんだ、
お父さんのその目からは、
大粒の涙がいっぱいこぼれ落ちていました。

どうしてお父さんは泣いているのかなぁ。
ゆうくんは不思議そうにお父さんを見つめました。

そして食事の支度もままならず、
台所に立ち尽くしているお母さんも、
同じように大粒の涙をながしました。

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その晩、田舎のおばあちゃんからの電話が鳴りました。

おばあちゃんは、
電話に出たお父さんにそっと話しかけました。

「ゆうくんのお耳はどうだったの」

昼間、いっぱい泣いて少し落ち着いた様子のお父さんは答えました。

「うん、やっぱりダメだったよ」

「そう…」

おばあちゃんも返す言葉がありません。

「ちょっと待ってて、じいちゃんに代わるから…」

おばあちゃんから知らされるともなく、
やりとりでわかっていたのでしょう。

電話口にでている筈のおじいちゃんからは、何の言葉も返ってきません。

「ウウウウッー、ウウウウッー…」

やがて電話口から嗚咽の声が聞こえてきました。

「ダメやったか、ダメやったか…。
医者どんは治らんて言うたかぁ。ウウウウッー…」

しばらくの間2人は、ただただ泣くばかりでした。
そして、おじいちゃんが言いました。

「普通に、誰とも変わりのなかごと、育てんばじゃろう…」

「うん、大変ばってん、がんばるからな…」

お父さんは返しました。

心やさしいお医者さん

それから3日もしない内に、
おじいちゃんとおばあちゃんが、ゆうくんに会うために、
はるばるやってきました。

おじいちゃんは、いてもたってもいられなかったようです。
翌日、お母さんとおじいちゃん、おばあちゃんは、

ゆうくんを連れて、
こども病院という大きな施設へもう一度だけ検査にいきました。

実は、もっとくわしく検査をしてみた方がいい、
と言うお友達の助言があったからです。

でもそれ以上に、
Y先生の言葉をそのまま受け入れたくなかったお母さんは、
こっそり予約を入れていました。

ゆうくんは小さな手から血をとられたり、
また眠らされて、頭の輪切りの写真を撮られたりと、
泣きわめきながらも、なんとか全ての検査を終えることができました。

そして、優しそうな男の先生から検査の結果が報告されました。

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「お母さんのお気持ちは痛いほどよくわかります。
残念ですが・・・、
息子さんの耳はやはり悪いようです。

申しわけないことなのですが、今の医学で
はどうしようもない、というのが現状です。

ほかは全て異常ありませんでした。」

K大学病院のY先生は、私の後輩です。
ご両親のお気持ちを逆なでするような対応をして、
誠に申しわけございませんでした。

私からも十分注意しておきますので、
お気を落とさずに、希望をもって療育に頑張られて下さいね」

ゆうくんのことは残念だったけど、
この先生のお話を伺い、
お母さんはとっても晴れやかな気持ちになりました。

とにもかくにも、この大きな玉のような男の子、
実は大きなハンディをもって生まれてきたのです…。


いざ、療育

ここは、市内にある某療育施設。
心身障害者の自立の支援をする、厚生労働省が受け持つセンターです。

難聴、肢体不自由、知的障害など、
心身に障害をもった子ども達が親や家族に付き添われて通ってきます。

そこにはお母さんに抱っこされ、
徒歩と地下鉄をつかって通ってくるゆうくんの姿もありました。

ここでは、ゆうくんだけでなくお母さんも一緒になって、
いっぱい勉強をしなければなりません。

なにしろゆうくんは、まだ1歳半、
予習も復習もできないのですから、
センターで教わったことを、お家で実践するにしても、お母さんが頼りです。

「お母さんダメですよ。そんな話しかけ方じゃ!
ゆうくんには全然伝わりませんよ」

担当の先生の厳しい声がとびます。
お母さんは冷汗をかきながらも、
いつもよりオーバーに、しっかりと、ゆうくんと向かいあいました。 

「ゆうーちゃーん、ゆうーちゃーん!」

「そうそう。呼びかけはしっかり前から、
ゆうちゃんの顔をみて。

そして口を大きくあけて、大きな声で呼びかけてください。
そして、ジェスチャーも大きく!」

これって結構体力のいる作業だわ…。
これから先も、ずうっと、ずうーっと続くのよねー…。

と、お母さんは半べそをかきはじめました。
そんなお母さんの心を見透かしたように、

「お母さん頑張りましょうね。
ゆうくんが一日も早くお話ができるように。
それにはお母さん、そしてお父さんの力がどうしても必要なんですよ!」

担当の先生のお言葉は、時に厳しく、時に優しく励ましてくれます。
それから平日と昼間はお母さん、週末と夜はお父さんも交えて、
ゆうくんの療育のためのお勉強会が、いくどとなく繰り返されていくのでした。

補聴器デビュー

人は視力が落ちたり、目に不自由を感じたらメガネをかけるように、

耳が不自由になったお年よりなどは、
補聴器というものをつけています。

ご多分にもれずゆうくんは、
早くもそんな時がやってきてしまいました。

メガネで言えばレンズに当たる、
耳に直接つける部分のイヤモールドができあがり、
ゆうくんも補聴器デビューの時を迎えたのです。

センターで担当の先生から初めて補聴器をつけてもらい、
ゆうくんは何だか不思議な気持ちになっていました。

「ガァー、ガァー、ガァー」

お耳の中がむずがゆく感じるけど、
耳骨を通じてなんかお耳に感じるものがあるなぁ。

そして、

「アー、アー、アー」

と言うと、ゆうくんはお耳に手をあて、
何か聞こえるよ、というポーズをとりました。

「ゆうくん、お耳のおたんじょう日だね」

しばらくして担当の先生が言ってくれました。
お母さんもうれしそうにうなずきました。

ところがその補聴器、
センターではなんとかつけてくれるゆうくんですが、
家ではなかなかつけさせてくれません。

お母さんは、ハタと困ってしまいました。

それから3週間後、
いつものように手をさえぎっていやがるゆうくんに、
お母さんは泣きながら懇願しました。

「ゆうくん、お願いだからつけてっ!」

どうしてお母さんは泣くのかなぁ。
僕が悪いことをしているのかなぁ。

お母さんの熱意に負けてかゆうくんは、
その日を境に、いつでも補聴器をつけてくれるようになりました。

メガネをかければ、見えにくかったものでも、
程度の差はあれハッキリ見えるようになるものです。

だけど補聴器は音を増幅する機能をもつだけの器械です。
正直言ってはじめから聴力が極めて弱い、
ゆうくんのような高度難聴児にとって、
周囲の雑音をひろって聞かせているようなものなのです。

ちょうど、携帯電話で、電波状態の悪い中を、
相手の声のボリュウムをあげて、
顔をしかめながら聞きとっているようなもの。

そんな状況の中で音をひろって、
相手の口の形を頼りに言葉を覚えていく…。

2歳に満たない子どもに、
これからそれをさせ続けていかなければならないのです。

お父さんも、お母さんも、
これで言葉が話せるようになったら、ゆうは絶対天才児だ!
と、心の中で思ったものでした。

超常現象好みのお父さん…①

ゆうくんのお耳の障害が判明した頃からほぼ同時進行で、
お父さんは、なんか打開策はないかと情報集めに躍起になっていました。

最初に情報をくれたのは、
お父さんがいつもお世話になっている先輩のTさんです。

悲しみをしまい込み、
なんとか仕事にとりかかったお父さんの職場に、
そのTさんからの電話が入りました。

「くすのきさ~ん、元気ですか~。頑張ってますか~。
希望をもってくださいよ~。あきらめちゃいかんよ~」

やつぎばやに淡々と優しく、
メッセージが飛び込んできます。

実はTさんの子どもさんが小さい頃、喘息がひどく、
ある人の紹介でそこへ行って治してもらった事があるから、
是非行って見たら、と言うことでした。

お父さんは今でも、この時の感激を、
そしてTさんへの感謝を忘れていません。

さてその翌日、
お父さんはさっそく連絡をいれて
そのH先生のもとを訪ねてみることにしました。

H先生は初老の一人暮らしの女性で、
優しく出迎えてくれました。

「かわいそうにねぇ…」

「私は『これ』で何人もの人を救ってこれたけど
『これ』で私が治すんじゃなくて、
あのお地蔵様が私にパワーをくださって、治していただけるんですよ」

といって、神棚のお地蔵さんの御札の方を指差しました。

そして『これ』というのは、
H先生の指だと言うことを手を広げて見せてくれました。

ゆうくんがぐずるので、
お母さんがゆうくんをおぶったままで治療は始められました。

ゆうくんの耳や首筋のところを、
つかむでもなく軽く触るように、H先生は押さえていきます

H先生は、

「良くなるにつれて耳を触らなくなって、機嫌がよくなりますよ」

といわれました。

そして、
「元気で生きていられるということに、
感謝の気持ちをもって頑張っていけば、きっと良くなりますよ」

と言ってくれました。

ゆうくんとお母さんは、
それから何度かH先生のもとを訪れることになるのです。

お母さんの療育修行…①

お母さんは毎日ゆうくんと向き合って、
センターから出される課題を家で実践しながら、

ゆうくんの細かい仕草や反応などを日記につけては報告する、
あわただしい日々が続いていました。

ボール遊びから、おままごと、
いろんな遊びを通して、ゆうくんの感情の変化を逃さずキャッチして、
呼びかけ、話しかけを工夫しなければなりません。

なんせ、健聴な子どもなら無理せず簡単に伝わる音声を、
口の動きや雰囲気だけでどうやって覚えさせるかという大きなテーマが、
どっかりとのしかかっているのですから。

 ゆうくんは
「イナイ、イナイ、バー」も
「オーイ」や「バイバイ」もまったく言えないのです。

それでもやっと
「イナイ、イナイ、バー」が身振りとともに
「アー」という発声が意識的にでるようになった頃でもありました。

「ア・イ・ウ・エ・オ」という母音を、
やっとマスターできたにしても、

「カァ・キィ・クゥ・ケェ・コォ」
などの子音をマスターする事は、山のように大きな壁でした。

はじめての夏休み

1歳の夏、
ゆうくんは初めてお父さんの田舎に帰りました。

おじさんも、おばさんたちも、そしてイトコの子ども達も、
いっぱい集まって歓迎会をしてくれました。

お父さんは 4 人兄弟の末っ子で、
その上には2人のお姉さんと、一番上のお兄さんがいます。

だから、ゆうくんにとってはイトコにあたるお友達が、7人います。
ゆうくんはその頃から人見知りもせず、
イトコの子ども達ともすぐにうちとけて

「キャッ、キャッ」

とはしゃぎまわっては、とってもうれしそうです。

みんなはじめて見る顔だけど、
少しボクと顔がにているような気がするなぁ。

な~んて思ったかどうかは別として、
その日のゆうくんは夢のように愉快な、
楽しい気持ちになりました。

お父さんもニッコリうなずき、
おいしそうにビールをグビッと飲み干しました。

そして、
「障害の壁より強し、血のきずな…」

と、心の中で一句つぶやき、
楽しいお酒をいっぱい、いっぱい飲んだのでした。

おじいちゃんのこと

ゆうくんのおじいちゃんとおばあちゃんは、
そこからもう少し離れた暖かい南の島に住んでいます。

おじいちゃんのお家からは海も近く、
台風が来てもビクともしない
大きなたくましい防風林が生い茂っています。

「裕一朗、この木の枝につかまってみれや」

おじいちゃんはそう言うと、
ゆうくんを抱っこしてゆうくんの腕と同じ位の木の枝にぶら下がらせました。

ゆうくんはしばらくボーッとしていましたが、
木から落ちないようにしっかりと小さな手で握りなおし、

枝がゆれて自分の体が前後に動くのを楽しむかのように、
足をバタバタさせました。

また、おじいちゃんは海岸通りの落ち葉を手にとると、

「これはねぇ、葉っぱだよ」

と言って、その辺の葉っぱをいっぱいかき集めて、
ゆうくんの手のひらにのせました。

ゆうくんは手のひらの葉っぱを、
おもいっきり空中に放り投げてみました。

緑色や黄色い葉っぱ、
木の実や、木の枝の小さいクズなどが、

上からヒラヒラおちてくる様子がなんか不思議と面白くて、
何度も何度も繰り返しました。

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「おもしろいねぇ」

「きれいだねぇ」

おじいちゃんは、独特の言いまわしで話しかけるのでした。

ゆうくんのおじいちゃんは以前、小学校の先生をしていました。
お母さんはフト思いました。

ふだん、めったに
「木の枝につかまれ」だとか
「葉っぱを拾ってみろ」とか言わないものよね…。

お母さんはおじいちゃんの言動を、
馬鹿らしいと思ったわけではありません。

ふつう思いつかない、どうでもいいことを、
話しかけながらさりげなくする所が、やっぱり教育者だなぁ、
と感心したのでした。

ちょうどあのサリバン先生が、
ヘレン・ケラーに『みず』というものを、

実際に手でさわらせて、
感覚的にイメージとして教えられた事を思い出したのでした。

これも情操教育の一つなんだろう、
とお母さんは思いました。

お母さんの療育修行…②

ゆうくんも2才になり、
もうしっかり自分で歩くことができました。

週に3回、お母さんと手をつなぎ、
センターへ通園しています。

個別教室だった療育も、
男の子が2人、女の子が3人のクラスになりました。
その名も「ありんこ園・バナナ組」です。

園では、専門の先生による聴力検査や言語指導、
保育の先生による指導など、
細かいカリキュラムにそって授業が進められていきました。

お母さんもたくさんの仲間ができ、
苦労話や日頃の生活について話し込んでは、
気を紛らわせているようです。

それでも専門の先生達は、
絵本を使っての話しかけ、読み聞かせ方など、
ことこまかに注文をつけてきます。

うれしそうな表情、悲しそうな表情などの感情表現や、
からだ全体を使ったゼスチャーの仕方など、

「子供たちが集中してお話を聞けるように、
もっと工夫をして下さい」

と、お母さん達は怒られてばかりです。

「そんなの上手くできたら、
とっくの昔に女優さんになってるわよ!」

ぼやきたくなることもしばしばでしたが、
これもゆうくんのためと、お母さんはただひたすら黙々と頑張りました。

超常現象好みのお父さん…②

そんな、前向きなお母さんの、
ゆうくんとの療育生活を知ってか知らずか、
お父さんも別の分野で前向きに、次なる手段に取り組んでいました。

お父さんの頭の中は、
いつもどうやってゆうくんの耳を治そうか、
という事でいっぱいです。

テレビや雑誌は心霊相談、心霊治療や超能力、気功などなど…。
『奇跡を起こす』という標題で、
お父さんの目を釘付けにしてしまいます。

夜となく昼となく、
念力パワーに思いをめぐらすお父さん。

そして決断即実行。

電話をかけまくり、
パンフレットをいっぱいとりよせました。

「ゆうくん、待ってろよ」

「もうすぐ治してあげるからね…」

なにもわからないゆうくんは
「アー、アー」「ウー、ウー」
うなずきながら、じっとそのパンフレットを見つめるのでした。

週末のゆうくんは大忙しです。
お父さんに連れ出され、

西に良く当たる祈祷師がいる、と聞けば相談に行き、
東にご利益のあるお寺がある、と聞けばお願いに行きました。

しかしながら、
どれ一つゆうくんへの効能を顕してくれる場所はありませんでした。

それどころか、
こっちではお父さんの、

あっちではお母さんの、ご先祖様の「うらみ」だとか
「たたり」だとかの話をしては、高額のお金を要求してくるのです。

お父さんお母さんにとっては、
身におぼえの無いことですが、

そのことが原因でお互いをののしったり、なじったり、
しまいには口を利かなくなることもありました。

いつもやさしいお父さんの怒った顔や、
お母さんの悲しい表情は、
何もわからないゆうくんの小さな胸を、傷つけてしまうのでした。

そんな時、心霊治療のH先生から電話がありました。
最近体の調子がおもわしくないようです。

と同時に、
効果が現れないゆうくんの耳の症状にも、
少しもどかしさを感じているようでした。

「しばらく、治療を休ませて下さい」

と、お母さんに連絡が入った頃は、季節も冬を迎えていました。
気がつけば、その日がH先生との最後の会話となったのでした。

光明との出会い

ゆうくんが2歳になった年の、夏の終わり。
お父さんとゆうくんは、あるお寺に来ていました。

この日のお父さんには、今までのように、

「どうして…」「どうすれば…」

というような気負った気持ちは
不思議とありませんでした。

それどころか、
お寺のご住職の優しい人柄や、

お参詣する人やお寺の風情などに、
ふるさとのような懐かしさを感じて
いました。

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ゆうくんも広い本堂を所狭しと走りまわっています。

また、ふと立ち止まり、荘厳な光に照らし出される御本尊をじっと見入ると、
不思議な気持ちになっていくのでした。

「お子さんは、お父さんとお母さんを、
この仏様の御教えにお出会いさせるために生れてきた、菩薩様なんですよ」
ご住職の言葉は、お父さんの心にズシン、と響きました。

そしてこのお寺の存在が、
心の中をポッと明るく照らしてくれる
『心のともし火』になってくれそうな気がしたのでした。

お寺参り

今までさんざん、
お父さんにふりまわされてきたお母さんですが、

お父さんに懇願されて、これが最後よ、
とばかりに平日はゆうくんと、休日は家族そろって、
お寺参りをする日々が始まりました。

「御本尊に向かって、
しっかりと『お題目』をお唱えして下さい。

素直正直に、一心におすがりすることで、
必ず御宝前様からのお力をいただけますよ」

ご住職のお言葉は耳に心地よく、とても励みになりました。
お寺は毎朝休みなく、6時半から始まります。

まだまだ幼いゆうくんですが、
早朝七時頃には、お母さんに引っ張られるように
手を引かれてアパートを出ていきます。

「くすのきさんちも大変ねぇ、
あんな朝早くから療育に出かけないといけないなんて」

同じアパートに住む奥さんから同情され、
苦笑いするお母さんでした。

お父さんも早起きをして、
出勤前に必ず会社より遠いお寺にお参詣し

『ご供養』という名の朝ご飯を頂いてから、
会社に逆戻りするという毎日がつづきました。

ありんこ園の卒園式

ゆうくんが、4歳の誕生日を迎える年の春。
今日は、ありんこ園の卒園式です。

お世話になった先生方や在園生のお父さん、お母さんたちが、
いっぱい集まってくれました。

4月からは、聾学校の幼稚部か一般の幼稚園か、
いずれかの道を進むことになります。

今日はゆうくんのお母さんが、
卒園する子供達のお父さん、お母さんを代表して、
答辞を読むことになっていました。

お母さんは、ゆうくんが「おかあさ~ん」
と呼んでくれる日が本当に来るんだろうか、と悩んだ日々。

それでも大きな希望を持って、
センターの門をくぐった時のことなど、
いっぱいの思い出を、上手に上手に読みあげました。

「ハンディキャップは『優秀な人に与えられる負担条件』だから、
障害を克服して始めてその価値があるのだと思います。

そんな大人になってほしいし、
そうなれるよう、私達も頑張ります!」
と力強く締めくくりました。

フィナーレは、
みんなにアーチをつくって見送られ、
心地よいリズムにのって卒園生とそのお母さん、お父さんが退場します。

「♪い~つの~こと~だか~、思い出してご~らん~、
あんなこと~こんなこと~、あっ~た~でしょう~♪」

センターの課題でいろんな所に出かけていきました。

山の中のほらあな探し、公園の木陰でのどんぐり拾い、
松林でのマツボックリ拾い、雨の中のカタツムリ探し、
お相撲さんの稽古を見に行って、抱っこしてもらったこと、などなど。

ゆうくんの療育に携わった2年半の歳月が、
走馬灯のように思い出されます。

ゆうくんに手を引っ張られ、
アーチの下を、大きな体を小さく丸めながら退場するお父さんは、
感動で胸が一杯になるのでした。

幼稚園時代の夏休み…

ゆうくんはこのごろ、テレビのアクション劇や、
お父さんが借りてきたブルース・リー、
ジャッキー・チェンのビデオに夢中です。

なんだか急に男の子らしくなったようです。

お父さんの影響で、空手も始めるようになり、
くすのき家も活動範囲が広がってきました。

「エイ、エイ、アー(ヤー)」

発する気合も高らかに、めきめき上達していくゆうくんでした。

ゆうくんは夏が大好きです。
なぜなら、たくさんのイトコ達と気を使うことなく、
腹いっぱい遊べるからです。

キャッチボールや、潮干狩り、
花火に、カブトムシ採り、極めつけはお墓参り。

その光景は、お父さんの田舎に帰ったときの夏の風物詩です。

「ゆうく~ん、ここへおいで~。
風が涼しくて気持ちいいよ~」

「ア~イ」

ゆうくんはイトコのカズ君が大好きです。

馬が合うのか、
必ずカズ君の後をついていきます。

「おばちゃ~ん、ボクはね~、ゆうくんのお話が全部わかるよ。
ゆうくんもボクのお話がわかるんだよ。
ねっ、ゆうくん!」

ゆうくんはニッコリとうなずきます。
ゆうくんのお母さんも、うれしそうにうなずくと、

「みんな、カズ君のように優しい子ばっかりだといいのになぁ」

とポツリとつぶやくのでした。

カブトムシ

おじいちゃんも、7人の孫達がとっても大好きです。
一人一人の個性を考えて、いろんな言葉をかけてくれます。

「裕一朗はカブトムシが好きだねぇ」

「明日は朝早~く起きて、近くの山に採りにいこうかねぇ」

「一杯とれるといいねぇ」

ゆうくんは、目をランランと輝かせ、
おじいちゃんの口元をジッと見つめて、

「ウン、ウン」
とうなずきました。

夜もいっぱい遊んだ後、
広間いっぱいに大の字になって、

ゆうくんは7人のイトコ達と一緒に、
ぐっすりと夢の中へ入っていくのでした。

「起きろ~、カブトムシ採りにいく人は起きなさ~い」
お父さんの大号令がかかりました。

少し薄暗い中を出発し、
目的の雑木林に着く頃には、
すっかり明るくなっていました。

ここは、おじいちゃんが、
孫たちが遊びに来た時にぜったい連れてこようと、
ひそかに目をつけていた、絶好の場所のようです。

生い茂るクヌギの木の枝や葉っぱ、幹を、
目を凝らして見つめていると、

木のてっぺんに近い小枝に、大きな黒々としたカブトムシが、
じっとしがみついているのが見えます。

「カブトムィとってぇ。カブトムィとってぇ」

ゆうくんの歓喜の叫びに、
お父さんは答えてやらねばなりません。

子供達の声援を受け、
はりきって木に登ろうとするお父さんですが、
お父さんの重みにたえかねて、木の枝が

「ミシッ、ミシミシッ…」
と音を立て始めました。

少し急な斜面で、このまま折れたら、
ちょっとやばいかな、
一瞬お父さんはためらいましたが、

 「ヨシッ!」

と大きく手を伸ばして、と同時に、

 「ドスーン…」

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雑木林中に、大きな鈍い音がこだましました。

「大丈夫かー」

「おじちゃん、だいじょうぶ~」

「オトータン、カブトムィ、とってぇ」

おじいちゃん、そして子供達が叫びました。

木の根っこにでんぐり返ったお父さんは、
大きくしりもちをついてしまいました。

しかし、次の瞬間、手にした大きなオスのカブトムシを、
大きくかかげて、みんなの大歓声をうけたのでした。

ご供養だ~い好き

ここはお寺の本堂の中。

ゆうくんはお父さん、お母さんと一緒に
お数珠を両手にひっかけて、
『お題目』をお唱えしています。

「ゆうちゃんは、おりこうさんだねぇ」

このお寺に通うようになってから、
なにかとお世話になっている
遠藤のおばちゃんが声をかけました。

お父さんも、お母さんも、
決してゆうくんがおりこうさんだとは思っていません。

なぜなら、いつも
「ギャー、ギャー」騒いでは、
みんなに迷惑をかけてばっかりだからです。

さっきも、早く終われとばかりに、
もうおしまいのポーズをとって、
お父さん、お母さんの邪魔をするのです。

「ゆうくんはホントにおりこうさん。
きっと、お陰をいただけるからねぇ」

ほかにいっぱい騒がしい子供がいても、
みんな誰彼となく、ゆうくんにだけ同じようなことを言っては、
ゆうくんの頭をなでて、にこにこ笑いかけてくれるのでした。

 お唱えするのは嫌がるゆうくんですが、
『ご供養』というお寺でのお食事はとっても大好きです。

ご馳走があるわけではないのですが、
みんなと一緒に食べる様子や、大きなお鍋でつくった、
お味噌汁や炊き立てご飯の味が、子供ながらに気に入っているのでしょう。

いつも、たくさんおかわりをするのでした。
ゆうくんは人がいっぱいいて、賑やかなのが大好きなのです。

『敬老の日』のお祝いにと、
お寺で恒例の敬老式がありました。

ゆうくんはその場で、
お父さんと空手の型を演武して、

いっぱいのおじいちゃん、おばあちゃんたちから
拍手喝采をうけました。

「ゆうちゃんも、大きくなったわねぇ…」

どこからともなく、感嘆のため息がもれました。

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本当にそうです。
2歳半からお寺に通い始めたゆうくんも、
もう5才になっていました。

ピカピカの1年生

ゆうくんは、幼児期の最初の1年間は聾学校で、
年中さん、年長さんは、普通の幼稚園に通いました。

発表会の劇で主役を演じたり、
たくさんのトラブルや喧嘩も経験しました。

健聴児との統合教育の場も乗り越え、小学校入学の季節を迎えていました。
真新しいランドセルを背負って、ゆうくんもピカピカの1年生です。

そして、2年ぶりに聾学校の門をくぐることになりました。
そこには、久しぶりに会うリカちゃんやマリちゃんの顔がありました。

「ユウイイロウくんアー(ゆういちろうくんだ)」

リカちゃんが走り寄ってきました。
照れるように、リカちゃんの頭をコツンとこづく、
ゆうくんの成長した姿がそこにありました。

「ゆういちろうくん、ゆういちろうくーん」

若い担任のミポリン先生の授業は、
ゆうくんを集中させることから始まります。

注意力散漫なゆうくんはいつも、
授業の邪魔ばっかりしています。

授業を見学に行く度にお母さんは、
こんな筈じゃなかったのにぃと、いつもあきれてしまいます。

その年の秋、
中古ながらも新居を構えたゆうくんのお家に、
おじいちゃんとおばあちゃんが、6年ぶりに訪ねてきました。

その日は、お父さんもお休みを取り、
お母さんも揃って4人でゆうくんの授業参観に行きました。

背後に、自分にそっくりの面々を発見したゆうくんは、
一瞬顔をしかめてうつむきました。
すかさずミポリン先生が、

「今日は、ゆういちろうくんのおじいちゃんとおばあちゃんが来てくれましたよ~」

とみんなに話しました。

いつものクセで、
おじいちゃんはゆうくんの後ろにピッタリ寄り添い、
ジイッとゆうくんの授業を見つめています。

ゆうくんは、嫌だなぁと思いました。

しばらくミポリン先生の授業の進め方や、
ゆうくん達とのやり取りを観察していたおじいちゃんが、

「あなたは、教えるのが上手ですねぇ」

とミポリン先生に言いました。

お母さんは、
また先輩風吹かせてもー、と思いながら、

「父は、以前教員だったんですよ~」

とすかさずフォローしました。

「ああ、そうだったんですか~」

ミポリン先生はニコニコ笑いました。

はじめて見るゆうくんのいきいきとした授業風景や、
ゆうくんの耳に障害がわかった時のことなど、

いろんな思いが重なりあったのでしょうか、
その瞬間、おじいちゃんは顔をクシャクシャにして泣いていました。

それを見たゆうくんは
「アレッ」という顔をして思わず苦笑い。

リカちゃんも、マリちゃんも
「アハハハ~」と笑いました。

おばあちゃんと、お父さん、
たまたま居合せたマリちゃんのお母さんも、

クスクスと笑いながらも、
目を潤ませて、こみ上げてくるものを感じたのでした。

また、ある日のこと、
お母さんが久しぶりにゆうくんの授業を見学に行こうと、
校舎の横を通りかかった時のことです。

聞きなれた大きな声が教室の中から響いてきました。
あわてて、教室に入り、

「すみませ~ん。
今うちの子が大きな声で怒鳴っていませんでしたか…」

お母さんは、申し訳なさそうにミポリン先生に話しかけました。

「いいえ。今から漢字のテストをするんで、
ゆういちろうくんは、100点とれますようにって、
お寺のお題目をお唱えしてたんですよ~」

とミポリン先生は教えてくれました。

お母さんは口をポカ~ンとあけ、
少しほほを赤らめながら、

「あ~、そうだったんですか」

と、ひとことだけ答えたのでした。
その夜お母さんは、

「顔から火が出る思いで、恥ずかしくって仕方なかったわ」
と笑いながらお父さんに話してくれました。

後日その事を、お父さんはおじいちゃんに
お話した事がありました。

おじいちゃんは嬉しそうにうなずくと、

「いいじゃないか。
それは、おまえたち両親の『思い』であり、裕一朗の『魂』なんだから」

と、言ってくれました。
おじいちゃんは『思い』とか『魂』という言葉をよく使う人でした。

ゆうくんの思い

今日は2年生の終業式の日です。
4月からは、ゆうくんも3年生になります。

同じクラスの3人の中では、比較的聴力が良く、
お話が上手にできたリカちゃんは、
新学期から地域の小学校に編入することになりました。

「ユウくんワー、オウチノ、チカクノ、ガッコウニハ、イカナイノ?」
とまじめな顔で、リカちゃんはゆうくんにたずねました。

ゆうくんは「へへへ…」と笑いながら、
「ボクワ~、オハナヒガ、ヘタラカラ(お話がへただから)」
と言いかけ・・・、

そして、そうだという顔をして、

「デモ、ボクノオトウタント、オカアタンガ、
イツモ、オテラデ、オネガイシテクレテルカラ、
モシ、オミミガナオッタラ、ボクモ~、イキタイナ~ト、オモッテルヨ」

と得意そうに言ったのでした。
この話をリカちゃんから聞いたリカちゃんのお母さんは、

「胸がいっぱいになって、涙がでそうだったよ」

と、あとでゆうくんのお母さんに話してくれました。

負けて勝て

一人だけ校区外の学校に通うゆうくんでしたが、
この頃には、地域のソフトボール大会にも誘ってもらえるようになりました。

ユニホームももらって、
ゆうくんは嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

いつも学校から帰ると、
テレビをみたりゲームをしたり、
一人で遊んでばっかりのゆうくんでしたが、

この時ばかりはサッサとユニホームに着替えて、
一目散に練習に出かけていきました。 

そんなある日、
お父さんはゆうくんの練習風景を見にいったことがありました。

そこには、ニコニコと嬉しそうなゆうくんの姿はあったのですが…。
お父さんの見た光景は、

『お前、あっち行け』

と手で追いやられ、それでも怒らないで怒らないで一人
でボールを天に向かって放り投げる、
明るいゆうくんの姿でした。

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お父さんは、いじらしさで、胸が一杯になりました。
冷たくされても、ぐっとこらえて、明るくふるまうゆうくん。

しいて争そわず、心で相手に勝つことを知っているかのようでした。

「そうだ。ゆういちろう、負けて勝て…」

お父さんは、心の中でつぶやいて、その場を立ち去るのでした。

おじいちゃんの入院

その年の6月、
おじいちゃんが入院しました。

特に悪い所はないようなのですが、
気力がなく「疲れた…」とすぐ寝てしまうようになったのでした。

おばあちゃんは「じいちゃんの不精病よ!」とぼやいていました。
おじいちゃんは島を離れ、裕くんのイトコ達の住む町の病院へ入院しました。

それからゆうくんとお父さんは、
週末のお休みを利用しては、
おじいちゃんのお見舞いに行くようになりました。

毎年、お盆とお正月に2回だけの里帰りだったのが、
毎月2回になりました。

出費がかさむ、お父さん達は大変ですが、
ゆうくんは、お見舞いに行くのがとっても楽しみでした。

なぜなら、
一番心が通じ合えるいっぱいのイトコ達と遊ぶ機会がふえるからです。

「おー、裕一朗か…」

呼びかけるおじいちゃんの声のトーンもか細く、
ホントに蚊が泣いているようです。

ゆうくんは、じいちゃんは大丈夫かなぁと、
とっても心配になりました。

おじいちゃんの様子は、
お見舞いに行けば行くほど、悪くなっていくようでした。

島を出るときは、
歩くのがしんどくなったんで、ちょっとリハビリに行ってくる、
という軽い気持ちで出てきた筈でした。

日に日に口数も少なくなり、
手足にスパゲティのような細長い管を通されて、
点滴で栄養をとって眠っているおじいちゃん…。

ゆうくんが赤ちゃんだった頃のように、
紙オムツをはかされて、やせ細って行くおじいちゃんを目の当たりにして、
ゆうくんはなんとも言えない、悲しい気持ちになりました。

 おじいちゃんは、ゆうくんとお父さんが

「またくるからね…」

と帰ろうとすると、
必ずゆうくんの手を力なく握りしめては、
顔をクシャクシャにして泣いてしまいます。

そして、そばで介護をしているレイおばちゃんに、
ゆうくんにお小遣いをやるからサイフをよこすよう催促をするのでした。

仏様のお水

秋も深まりつつあった頃、
お母さんは『お供水』という、

有難いお寺のお水を持って、
朝早くから汽車に乗って、おじいちゃんの病院へと向かいました。

「このお水を飲んで、早く良くなってください…」

お母さんの思いでした。
またそれは、
お寺のご住職のお慈悲のお気持ちでもありました。

実は『お供水』をお持ちするように
お母さんに指示されたのは、ご住職だったのです。

血のつながったお父さんでは、
この尊いお水を正しく頂かせたり、

気持ちを強くもって頑張るよう励ましたりすることが、
上手に伝えられないだろう、と考えられたのでした。

急な来訪者に、
介護のおばあちゃんやおばちゃん達はビックリした様子でしたが、
みんなとっても喜んでくれました。

「遠いところを、良く来てくれたわね」

おばあちゃんは微笑みながら、病室へ連れていってくれました。

「おじいちゃん、ユカさんが来てくれたわよ」

「……」

その頃のおじいちゃんは、
以前のようにお話をすることが、あまりできなくなっていましたが、
涙を流して感謝の気持ちを表しているようでした。

「これは、お父さんもご存知の、お寺のお水ですよ。
これをいっぱい飲んで、そしてお題目様をいっぱいお唱えして、
早く良くなってくださいね」

お母さんは心を込めてお伝えしたのでした。

しかし、
もうおじいちゃんには、お水を飲む気力も、体力も、
頑張ろうという思いも、尽き果てていたのかもしれません…。

おじいちゃんの死…

おじいちゃんが『危篤』という知らせが入ったのは、
それから約2週間後のことでした。

知らせてくれたのは、イトコのカズくんのお母さんです。

「おじいちゃんが、もうだめかもしれない…、容態が急変しちゃったのよ…」

「……」

お父さんは絶句してしまいました。

お父さんとお母さんは、必死にお題目をお唱えしました。
10分、20分、そして……。

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 「トゥルルルルー、
   トゥルルルルー……」

もの悲しい電話のコールは、おじいちゃんの死を告げるものでした。

「ウエェ~ン、オゥオゥオゥ、ウエェ~ン……」

お父さんも、お母さんも、そしてゆうくんも…。
3人は肩を寄せ合いながら泣き崩れました。

死因は『腹部大動脈瘤破裂(ふくぶだいどうみゃくりゅうはれつ)』

晩秋の落葉のような、
あっけないおじいちゃんの最期でした。
それは立冬を迎える頃の、11月上旬の夜のことでした…。

無言の帰宅…

ちょっとリハビリに行ってくるつもりで、
家を出たおじいちゃんでしたが、
ついに生れ故郷の南の島へ、自分で歩いて帰ることはありませんでした。

バタンという霊柩車のドアの音とともに、

「お父ちゃんが帰ってきたよー」

親戚のおばちゃんのカン高い声は、
お葬式のお手伝いで集まった人たちの涙をさそいました。

葬儀屋さんは、
トントンと手際良く祭壇を作っていきます。

ゆうくんはイトコたちと遊んでいる間中、
ジッとその作業の光景を眺めていました。

祭壇の上に置かれたおじいちゃんのカラーの写真は、
だいぶ若い時のもののようでしたが、
ゆうくんは、何だか不思議な気持ちになっていました。

「ナンカおかしいネ、ヘンナきもちミタイ…」

お父さんにゆうくんは話しました。

「ヘンナって何が」

お父さんは問いかけます。

「ジイチャンは~しゃしんが~、ニアワナイネェ…」

ゆうくんとお父さんは

「ハハハハ……」

と顔を見合わせて小さく笑いました。

2人ともおじいちゃんの死がまだピンとこなくて、
遺影の写真がしっくりこないことを感じているのでした。

さようなら、おじいちゃん

お通夜もおわり、葬儀の日を迎えました。

その日は朝からの雨で、
おじいちゃんとのお別れを惜しんでいるかのようでした。

もの悲しい音楽が流れ、
家族、親戚のみんなで、おじいちゃんに一輪ずつ花を手向けました。

「お世話になりました~…」

「ありがとうございました~…」

「じいーちゃ~ん…」

お父さんも、お母さんも、ゆうくんも、
おじちゃんも、おばちゃんも、おばあちゃんも、

そしてイトコの子供達も、
みんな、顔をクシャクシャにして泣きました。

「オトウタンが~、アリガトウ~ッてナイテタとき、
ボクモ~、イッパイのアリガトウをオモッテ~、イッパイないてたよ…」

と、後日、ゆうくんはその時の気持ちを、
お父さんにうちあけてくれました。

火葬場で荼毘にふされたおじいちゃんの遺体は、
真っ白な骨となって、それでも少ししか残っていませんでした。

じいちゃんは、ちゃんと天国へ行ったかなぁ、
ゆうくんは思いました。

ゆうくんの頭の中には、
天使のように羽をつけて

「アリガトウ、バイバイ!」

と言いながら、パタパタと宙を舞って天に昇って行く、
おじいちゃんの姿があったようです。

おばあちゃんのお寺参り

じいちゃんは、どうして死んじゃったのかなぁ… 

自分のおうちに帰ってきても、
ゆうくんは朝も、昼も、夜も、考える日々が続きました。

同じ頃、田舎のおばあちゃんも、
悲しみでご飯ものどが通らなくなり、
おばちゃんやおじちゃん達も心配をするようになりました。

おばあちゃんは、
おじいちゃんのことを、不精だとか、怠けているとか
言っていたことへの後悔の気持ちが、フツフツと涌いてくるのでした。

それからしばらくして、
おばあちゃんはゆうくんのお家にやってきました。

それは、ゆうくん達が毎日お参りしているお寺へ、
おばあちゃんもお参りしたいと思ったからでした。

その翌日、
ご住職にお願いをして、
おじいちゃんの『ご回向』をして頂くことになりました。

それには、おじいちゃんが入院している間、
満足に看病できなかったと言う、
おばあちゃんの反省の気持ちが一杯一杯込められていました。

ご住職はお母さんに、
おじいちゃんの戒名と命日を半紙に書いて持ってくるように言われました。
お母さんが持って来た紙を手にして、ご住職は大きな声で言上されました。

そして、おばあちゃんやゆうくんたち親族に、
お焼香をするようにご指示をされました。

お焼香を終えてふと顔を上げた瞬間、
おばあちゃんはアレッと思いました。

なぜなら、おじいちゃんが腰をかがめて、
うれしそうに笑っている様子が、目の前にパッと写ったからです。

「不思議だねぇ。こんな現象もあるんだねぇ」

と、おばあちゃんが言いました。

「実は、みなさん方が一生懸命『お題目』をお唱えしている時、
私は不思議な気持ちになったんですよ」

ご回向がすべて終わったあと、ご住職はこう切り出されました。

それは、ご本尊様の前に置かれている二つのロウソクの右側の炎だけ、
風よけの筒をかぶせているにも関わらず、
激しく揺れて、溶け落ちるのが早くなったと言うことでした。

「亡くなられた方は、体がありませんから、
きっとここにいることをお知らせしたかったのでしょう。
ご主人の魂はお母さんと一緒に、ここまでついて来られていたと思いますよ」

と、ご住職は溶け落ちたロウソクを大事そうに見せながら、
おばあちゃんに言われました。

それからしばらくの間、
おばあちゃんはゆうくんのお母さんと一緒に、
せっせとお寺参りをする日々が続いたのでした。

第2章  あの世

天国のおじいちゃん

ここは天上界。

生を終えた人達のなかで、
徳を積み、仏様に認められた者だけがたどり着ける、楽天の地です。

おじいちゃんは、
ゆうくん達と過ごした地上界を離れ、
四十九日(しじゅうくにち)の歳月をかけて、やっとこの地に到着したのでした。

「篤学院さん、お待たせ致しました。ここは天上界です」

船頭さんは、仏様からの赴任状をおじいちゃんに見せながら言いました。
篤学院とは、おじいちゃんの戒名の苗字にあたる名前です。

「ここまで、きたらひと安心ですよ。
もうすぐ仏様のお迎えの方が来られますから、ここで少しお待ち下され」

船頭さんは、
そう言って丁重におじいちゃんを船から下ろすと、
また川下に向かって船を出すのでした。

しばらくして、

「あなた様が篤学院様ですか」

真っ黒い顔をした、
お地蔵さんのような人が、おじいちゃんをお迎えにきたのでした。

「はい、そうです。たった今、到着したところです」

おじいちゃんは、こわばった表情で答えました。

「わかりました。道中大変お疲れになったことでしょう。
これからひとまず、安息の部屋へご案内致しますから、
しばらくそこでお休みください」

黒い顔の使いの人の名前は、
不軽菩薩(ふきょうぼさつ)様と言われ、

どんな人をも軽んぜず、感謝のお気持ちを持って修行された、
仏様に仕える偉~い菩薩様でした。

「ありがとうございます…」

おじいちゃんがそう言うと不軽菩薩様は、
安息の部屋へと導いてくれました。

そしておじいちゃんは、
癒しの香りに包まれながら、さっそくウトウトと心地よい眠りにつくのでした。

仏様とおじいちゃんのお話

おじいちゃんが、ふと目をさますと、
そこは荘厳な音楽が流れ、

それはそれは今まで見たことの無いような、
素晴らしい景色のなかで一人横たわっていたのでした。

そこへ虚空から、
また今までに見たことの無いような荘厳なお姿をされた仏様が、
おじいちゃんの目の前に、雲に乗って現れたのでした。

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「汝が、このたび召された者にござるか」

仏様はおっしゃいました。
フワフワと、
とっても気持ちのいい大きな布団から飛び起きて、

「はい、そうでございます~う」

おじいちゃんは、ひれ伏しながら答えたのでした。

「かの地での難儀、苦行、大儀でありました」

お優しい仏様のお言葉に、
おじいちゃんは涙で言葉になりませんでした。

「これからは、私のお弟子の元で、
もっともっと修行を積まれ、
ますますたくさんの功徳を積まれるが良い」

「有難うございます~う」

おじいちゃんは、
うやうやしく心から感謝の気持ちをお伝えするのでした。

「そこで、汝のかの地での功を認め、
只一つだけ願いを叶えてあげたいと思うのですが、
心おきなく申されると良い」

と仏様はおっしゃいました。

聞くところによると、
これは天上界における唯一の特権らしいのです。

三途の川岸を出発してから、
あの船頭さんから幾度となく聞かされた、
それはそれは有難~い特権なのでした。

月命日とお誕生日

4月8日…。
今日はゆうくんの11回目のお誕生日。
そして、おじいちゃんの月命日です。

ゆうくんのお家では、
おじいちゃんの月命日のご回向と、

ゆうくんの誕生日御礼の言上をして頂く為、
ご住職をお迎えする準備をしている最中でした。

「ピンポー~ン」

しばらくして、お父さんがご住職をお連れして車で家に到着しました。

「ありがとうございます」

太く優しいご住職のお声が、玄関に響きました。

『有り難うございます』とは、
お寺での日常のご挨拶の言葉です。

「有り難うございます」

お母さんも、おばあちゃんも、ゆうくんも、
明るくお返しのご挨拶をしました。
お寺では、ご先祖のご命日を大事にお迎えします。

そして供養することで、
生きている人達の徳をご先祖へ向かわせて、
どうぞお守り下さいとお祈りするのです。

ご住職に合わせて、
お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、そしてゆうくんも、
大きな声で『お題目』をお唱えするのでした。

おじいちゃんのお願い

さて、天国のおじいちゃんは、
仏様へ何をお願いしたのでしょうか。

「実は私の孫に、
生れつき耳の不自由な男の子がおりまして…」

とおじいちゃんは切り出しました。

「今でも、不びんで、不びんで仕方がないのです」

「もし、1つだけ願いを叶えて頂けるなら、
お願いします、是非この子の耳を聞こえるようにして下さいませ…」

おじいちゃんはすがる様に懇願しました。

「人はみな、知らず知らずのうちに、
生前より保ち持った『業』という罪障を抱えているのです。

汝の願う孫も、また、幾度も幾度も生まれ変わるうちに、
何がしの罪障をつくってしまったのであろう」

と、感慨深そうに仏様はおっしゃいました。

そして、満面に笑みを浮かべ、
金ぱくの顔を輝かせながら、

「今このように、汝と話をしている間中、
私は大変有難い気持ちにならせてもらいました。

汝の可愛い孫とその家族の者達が、
私の残した唯一最後の一大秘法を、
大きな美しい声で唱えているではないか、あー有難い、有難い」

仏様は今にも飛び上がりそうな格好で、
嬉しそうにおっしゃるのでした。

そして、
ふところより1枚の書状を、おじいちゃんに差し出しました。

そこには免罪符と書かれ、包みの中を開いてみると
『耳根清浄(じこんしょうじょう)』と書かれていました。

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仏様に聞き返すまでもなく、
おじいちゃんはそれが何を意味するのか一目にしてわかりました。

「有り難うございます~…」

おじいちゃんは、感謝の思いで泣き崩れてしまいました。

「それをもって、この山の麓の、三途の川の船着場まで行き、
私からの預かり物だと申してあの船頭に預けるとよい」

仏様のお言葉は、お慈悲にみちたものでした。

そうして、おじいちゃんは、
先ほどの不軽菩薩様に付き添われ、

書状を腹に巻きつけて、大事そうに大事そうに、
杖をつきつき山を下っていきました。

「今日は仏様の御誕生日なのですよ」

不軽菩薩様がおじいちゃんに教えてくださいました。
そして、

「早くこれを届けて、
帰ったらたくさんの菩薩方を交えて皆でお祝いをすることにしましょう」

と申されました。
賑やかなことが大好きだったおじいちゃんは、

「それは、それはもったいない。急いで届けて帰らんばじゃー」

悪い足をひきずり、フウー、フウー言いながら、
汗を拭き拭き、必死の形相で山を下っていくのでした。

夢の中へ… 

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その頃ゆうくんのお家では、
ご回向も終わり、ご住職を交えてお母さんの用意した
『ご供養』のお料理を頂いている最中でした。

「今日は、どうもありがとうございました」

お父さんが、ご住職に言いました。

「おばあちゃんも、ゆうくんも、奥さんも、ご主人も、
みんな一生懸命頑張っておられるから、
きっとなにか、大きなお陰を頂けますよ」

ご住職は優しくそう言うと、おばあちゃんに向かって言われました。

「仏様は、『子孫には財産など残さず、
仏を信じる心を残しなさい』と教えられました。

財産があるばかりに争いとなって、
ついには地獄へ落ちてしまうようなことになってしまうのですよ」

ご住職は諭すように話されました。

「後を継ぐ子供達には、
転ばぬ先の杖、としてのご信心を残すことこそ、
仏様がお喜びになる生き方なのですよ」

ご住職の言葉は、おばあちゃんの心にズシンと響きました。

ご住職がお帰りになり、
しばらくの間、ゆうくんのことや、

おじいちゃんの思い出話に花をさかせていると、
もう時計は夜の10時を指していました。

「あら、あら、もうこんな時間」

お母さんの一言で、今宵の団らんもお開きとなり、
四人は幸せな未来を夢見て、床につくのでした。

お母さんの美味しいお料理で、
お腹一杯になったゆうくんは、布団を頭からガバッとかぶると、
ふとおじいちゃんのことを考えました。

じいちゃんは、今どこにいるのかなぁ…。

そして、
静かに静かに目を閉じて心地よい眠りの中へ入っていくのでした。

ゆうくんは夢の中で、
おじいちゃんと一緒に遊んだ事を思い出していました。

カブト虫を採りにいったこと、
キャッチボールをしたこと、

海岸に海水浴や貝殻拾いに出かけた事、
そして、花火やお墓参り、などなど…。

急げ!おじいちゃん

ここは、三途の川の船着場です。

「お~船頭さんじゃ、船頭さんじゃー」

おじいちゃんは、大きな声で叫ぶと、
杖をすてて船頭さんに駆け寄りました。

不思議なことに、
いつのまにか元気だった頃のおじいちゃんの足取りに戻っていたのです。

「これは、仏様から頂いた大事な大事な書状じゃー」

といって、
おじいちゃんは書状を船頭さんに差し出しました。

書状はおじいちゃんの汗でビッショリ濡れているようでした。

「確かに受け取りましたよ。
これを川下の方に向かって流せばいいのですね」

船頭さんは優しくうなずきました。

そして、大事そうに書状をふところにしまうと、
ゆっくりとゆっくりと、船を漕ぎ出していきました。

おじいちゃんと不軽菩薩様は、
船頭さんの姿が見えなくなるまで、
大きく大きく手を振り続けました。

しばらくして、流れの緩やかな川の中腹にさしかかりました。
船頭さんは、胸に手を差し入れ、
おじいちゃんから預かった書状を大事そうに取り出しました。

そして深く頭を垂れ、手のひらを合わせて合掌すると、
御題目をお唱えしながら、静かに静かーに、書状を川に流しました。

ゆうくんとおじいちゃんのテレパシー

おじいちゃんと不軽菩薩様が、帰り路を急いでいる頃、
それはそれは、美しい金や銀の見たことの無いような花が、

聞いた事もないような美しいメロディーとともに、
天上からふわり、ふわりと舞い降りてきました。

「ウワーッ、これは何やろうか…」

おじいちゃんは、びっくりしながら見上げました。

すると、どこかで聞いたことのあるような、
元気な男の子のはっきりした声が聞こえてきたのでした。

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「じいちゃーん、今どこにいるのー。
今日は僕のお誕生日だったんだよー」

「おォーッ、裕一朗じゃ、
わしの孫じゃー、わしの孫じゃー」

おじいちゃんは、うれしそうに、叫びな
がら言いました。

「裕一朗ー、お前は、いくつになったんだいー」

昔のように、おじいちゃんは懐かしそうに話しかけました。

「11歳だよー」

「おーそうかー、11歳かー。
まだ、お父さんと一緒に空手は頑張っとるかー」

「うん、頑張ってるよー。僕はもう黒帯になったんだよー」

「おー、すごいな~。
じいちゃんは、一度でいいから、
裕一朗が元気に空手をしとるところが見たかったなぁー」

おじいちゃんは涙ぐんでしまいました。

「おーそうじゃ、お前は野球がとっても好きやったが、
キャッチボールはしとるかなー」

「うん、じいちゃんの買ってくれたグローブもバットも大事に使って、
今は聾学校の野球チームに入って頑張ってるよー」

ハキハキと元気な返事が返ってきます。
そしてゆうくんは、続けて言いました。

「じーちゃーん。
前は、お話がへたくそで言えなかったけど、

おもちゃや~、本や~、自転車とか~、
いっぱい、いっぱい、買ってくれてありがとうー」

おじいちゃんは、涙があふれて止まらなくなりました。

「おー裕一朗、よー聞こえる、よー聞こえる。良か発音じゃー…」

そして、
だんだんとゆうくんの声が遠ざかっていくようでした。

かすかに聞こえるその声は…。

「じいちゃーん、
僕はこれからも、いっぱい、いっぱい頑張るからー、
ずっとずっと見守っていてねぇ」

小さくなっていくゆうくんの声に向かって、

「おー、ずーっと、ずーっと、見守っとるからなぁ…」

おじちゃんは、そうつぶやくと、
不軽菩薩様に背中を押されながら、

仏様の居られる山のいただきに向かって、
しっかりとした足取りで、上を向いて歩いていくのでした。

お耳の誕生日…

夢の中で、おじいちゃんとお話をしたゆうくんは、
今もスヤスヤと寝息をたててグッスリと眠っています。

「カチッ、カチッ、…」

時計の針は刻一刻と時を刻んでいきます。
今、午後10時47分です。

11年前、
ゆうくんが、この世に生を受けた時間まであと1分となりました。

むかし、お釈迦様のいとこで、
一度は弟子となったダイバダッタという人がいました。

ところが、
ダイバダッタはお釈迦様が名声をあげ、

人々から崇拝されるのが面白くなく不愉快で、
何度も何度もお釈迦様を殺そうとか、邪魔ばかり企てた人です。

それでも、
お釈迦様は恨んだり、憎んだりすることなく、
むしろ、

「自分が今あるのは、このダイバダッタのお陰です」

と、感謝の気持ちで接したというお話があります。

お父さんも、お母さんも、そしてゆうくんも、
そんなダイバダッタのような人達に対して、
悩んだり、怒ったり、なじったりしたこともありました。

そう、あのY先生や、ソフトボールのお友達の時のように…。

だけど、
ここまでやってこれたのも、

そんな人たちのお陰だと、
心から感謝できる日がきっと、きっと来ることでしょう。

あと15秒、あと10秒、あと5秒、
そして、

「ゴー~ン…」

おろかな人間の煩悩を消し去ってくれるような、
仏様の『悟り』の鐘が今鳴り響きました。

耳にハンディーを背負った玉のような大きな大きな菩薩様。

この子が目を覚ます頃には、
きっと大きな歓喜と歓声が、
たくさんの人々の心の中に響き渡ることでしょう。

『ゆうくんお誕生日おめでとう』

そして、

『おめでとう、お耳のお誕生日!』

    完



 




 
     






  



    














 

    

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