見出し画像

コロボックルの森にて

実はまたダンナの実家に来ており。
義母が少し体調が悪いです。
いろいろお手伝いをして、
今はちょっと(ビール)休憩。


義母について。
何でも自分でやりたがる人。
家事を完璧にこなすのが
女の務めと思っている人だ。
嫁の私ですら、
台所に入れたがらなかった。
洗濯物を干しても
こっそり干し直される笑

最初は恐縮したり
ちょっとイラッとしたり笑
どう振る舞えばいいのか
分からなかった私だけど、
別に張り合うつもりもなし、
やってくれるなら
「ラッキー!」
でしかないな、と思い、
割と早い段階で笑
全て義母にお任せすることにした。
義母はそれで満足。
私も楽ちん。
WIN-WINというやつだ。


まあ、若干コミュ障なんだろうな。
夫に良く似てる。
でもそうやってここまで
生きて来た人なのだ。
今更私ごときが
とやかく言う筋合いはない。
義母のしたいようにしてもらい、
私はただただその気持ちに
甘えて来た。


そんな人の子どもで、
そんな人に育てられて、
それが夫だけれども、
思うことはいろいろあれど、
彼と結婚してしまったのは私だ。
義母にも夫にも、
恨みがあるわけではない。
自分の世界で
自分のルールに従い
自分の半径1mが幸せなら
それで満足だった人たち。
そんな生活を
いたずらに乱したのは
私のような気もする。
彼らを見ていると私が
コロボックルの森に踏み入った
無遠慮な巨人に思えて来る笑


…まあ、
それは言っても仕方がない。
コロボックルと人間は
上手く行くわけもなかったのだ。
どちらが悪いとかではない。
私は夫と離婚で合意している。
それは結論の出ていることだ。
ただ、
義父にも義母にも伝えてはいない。
伝えるつもりもない。
今のところは。


昔の田舎の人である義母は
良くも悪くも
きっちり昭和の家庭像に
はまった人でもあった。
そんな義母からしたら
息子夫婦の決断は、
理解しがたいものだろうなぁ。

一方、
私の母親は。
すでに他界していますが、
私の母親だったら。
何て言っただろうなぁ。


私の母親も、
究極のコミュ障男と結婚し
散々苦しめられて
でも子どもを育て上げたのち、
離婚、
そしてその後再婚。
そんな道をたどった。
血は争えないね笑

母が生きていたなら
私は全部話したと思う。
「馬鹿だねえ。」
くらいは言われただろうが、
母なら分かってくれたと思う。

母は割と
自由な考えの人であったと思う。
自分はどう思うのか、
自分の言葉で
子どもである私にも話してくれた。
離婚後の恋愛についても
再婚についても
フランクに話してくれていた。


…いやいや、
義母と母、
どちらがいいとかいうことではない。
どちらも尊敬している。
私も母となった今、
義母と母、
ふたりの女性を心から尊敬している。
ふたりの女性に心から感謝している。


そう、
私は義母に感謝している。
そして、
申し訳なく思っている。
大事な息子を放り出してしまうこと、
本当に申し訳ない。

見誤った。
そういうことだ。
私が未熟だった。
そういうことだ。

夫と私の間のことは、
夫と私のことであるけれど、
双方の親には
やっぱり申し訳ないと思う。


案外、
義母も分かってくれたかもだしね。
あの息子と付き合うのは
大変だろうと思っている節がある。
うちの母だって、
「ちゃんと暮らせてるならいいじゃん」
とか笑、
分かってくれなかったかもだしね。


私はもう大人で、
親でもある。
だけど、
あの人たちの子どもでもある。
自分で選んだ道だけれど、
ときには叱って欲しくもあり、
ときには慰めて欲しくもあり、
「それでもいいんじゃない?」
「馬鹿なこと言ってんじゃない。」
どうせいうことなんて
きかないんだけど、
いつだって勝手な私だったけど、
そんなふうに言ってくれる人がいる、
そんなふうに言ってくれる人がいた、
それはきっと幸せなことなんだ。


…てなことを忘れず、
今日も私は勝手に生きています。
明日も、
明後日も、
10年後も、
20年後も、
もし生きていれば、
30年後だって、
私は私のままでしょう。
でも、
てなことを忘れず、
これからも私は勝手に生きていきます。


離婚状態の夫の実家で
義母の手伝いをしつつ、
ビールを飲んで、
noteを書いて、
郷愁にかられ、
彼氏とLINEしている。

カオス。

でも
これが現実なのだ。
人生なんて
そんなものなのだ。


なんてね。
ごめんなさい笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?