【汚い芸能界】黛ジュン「真っ赤な太陽」・・・発売しようとしたら、美空ひばりの母親の逆鱗に触れ、圧力・恫喝をかけられボツになった。

「真赤な太陽」といえば、どうしても触れておかなければならない有名な話がある。

この年(=67年)の2月に東芝から「恋のハレルヤ」で再デビューした黛ジュンが2枚目のシングル「霧のかなたに」を出した後、その2曲に「好きなのに 好きなのに」、そして「真赤な太陽」のカヴァーを加えた4曲入りのコンパクト盤を出すことになった。

黛の担当だった高嶋弘之ディレクター(俳優・高島忠夫の実弟でビートルズ担当としても知られる人物)は当然コロムビアにお伺いを立てた後に許可を得てレコーディングを済ませ、ジャケット印刷とレコードもプレスされて発売を待つばかりとなる。

ところが直前になって、ひばりサイドにその件が伝わっていなかったことが判明。マネージメントを取り仕切っていた母・加藤喜美枝の逆鱗に触れ、お蔵入りとなってしまう。

結局はレコードプレス代など東芝の諸経費一切をコロムビアが負担することで決着し、件のコンパクト盤は1曲が「恋の季節」(ピンキーとキラーズの曲に非ず)に差し替えられて発売された。

長らく幻となっていた黛版「真赤な太陽」は、ずっと後、ひばりが世を去って5年後の1994年にCDシングル盤で発売されてようやく陽の目を見たのであるが、これがまた本家に迫るくらいの素晴らしい録音で、後に“一人GS”と称される彼女にピッタリの楽曲であったことを改めて思わせたのだった。

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