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「帰らざる日々」「博多っこ純情」「高校大パニック」…日活ロマンポルノ時代のにっかつ一般映画には名作が多い。

1971年に、映画界の斜陽化、経営陣の放漫運営などから、予算のかかる一般映画を制作できなくなった日活。
逃げ遅れたスタッフ・キャストを食べさせていくために、当時、ゲテモノと思われていた女性のヌードとファックシーンをメインに据え、約1時間程度のローパジェットで完成できる「日活ロマンポルノ」路線へと舵を取る。

日活ロマンポルノ、第一作目は本作と、「色暦大奥秘話」の二本立て。
「色暦大奥秘話」は、なんと、わりと本格的な時代劇。

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ロマンポルノ路線が軌道に乗り始めた日活は、高校生などをターゲットに、当時、人気があった青年漫画である「博多っ子純情」「嗚呼!花の応援団」などを実写映画化した。

主役はまだ中学生(高校?)の光石研さんである。
モデルになった大学には諸説あるが、近畿大学か、摂南大学だといわれている。

映画雑誌「キネマ旬報」が毎年募集していた新人向けのシナリオ賞「城戸賞」の受賞作品を低予算ながら作品として完成させるなど実験的なことも行い(「帰らざる日々」など)。

実は「高校大パニック」との二本立て。この頃の藤田敏八監督は青春映画専門監督だった。

1960〜1990年初頭に映画監督をめざす若者(高校や大学などの映画研究会の部員が多かった)の作品を、8ミリ作品から35ミリ作品へのリメイクなど、新人監督の発掘にも積極的だった(「高校大パニック」など)

キャッチフレーズ「数学できんが、なんで悪いとや!」には激しく共感した。私は数学のテストはすべて「0点」であった。

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■日活は、ロマンポルノで蓄えた蓄財で、未来の映画界へと、人材をつないでいったのである。
同時に、アルバイトながらも、映画作りに意欲を持つ若者を助監督として雇い育てていった。
そのなかに、長谷川和彦、相米慎二、中原俊、金子修介、根岸吉太郎など、今をときめく才能のつぼみが隠れていたのである。

そして、彼らが、ゴジを中心にして、新進気鋭の映画監督集団「ディレクターズ・カンパニー」へと(一時は)発展していくのである。

ゴジ、池田、相米、根岸は、日活ロマンポルノ組かな?
いまや改名した石井は日大卒の自主映画出身。井筒は関西ピンク映画出身。
黒沢清は立教大学で森達也監督と一緒に活動してたとか。大森は関西自主映画(8ミリ)出身。


長谷川和彦監督!なんとか、あと1本撮って〜!



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