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島本和彦「アオイホノオ」を10巻まで買う。あの頃の庵野や岡田斗司夫のまわりにいたはずの、私の漫画同好会の先輩は登場するのか…。

私は、関西の某私大にかよっていました。
その当時流行っていた、「がんばれ!タブチくん」の原作者が入部しているということで「漫画同好会」の門を叩いた。

先輩たちがつくった、カセットテープのカバー。

・・・

で、その漫画同好会の先輩で親切にしてもらった方がいた。

その方は卒業後あの「科学忍者隊ガッチャマン」を制作。
さらに「みなしごハッチ」(最終回、悪のスズメバチ軍団に、ひとりぼっちで母を救出に向かうハッチ。そこへ、一匹のカマキリが応援に飛んでくる。しかし、多勢に無勢。カマキリは、何百匹というスズメバチに殺されてしまう。次の標的は、ハッチだ!もうダメか!というところへ、ハッチが長い間をかけて助けてやったいろんな昆虫が何百匹と、ハッチ!加勢に来たぞ!とやってくる・・・もうすこし早く来ていたら、カマキリおじさんは死ななくてすんだのに・・・私は泣いた)
などの傑作アニメを創った「タツノコプロ」に、件の先輩は就職したのである。

当時、2回生だった私は、「うらやましいのお〜」と唇を噛んだ。

「ハッチ!助けに来たぞー!」
「フフフ・・・スズメバチごときが」



「・・・スズメバチ、意外と強かった・・・」
「・・・ハッチ、さよなら・・・」「おじさーん」


◆◇◆

で、わたしは広告屋になり、バブルがやってきて、なんやかや、目が回るのような日々を送っていた。
水曜日に休みがとれて、夕方まで寝て、4時ぐらいからテレビを観ていた。
「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメが流れた。
ショックを受けた。
さらにショックを受けたのは、エヴァのタツノコプロ側のプロデューサーが、あの漫画同好会の先輩だったのだ。

1995年10月4日。全ては、この日からはじまった。
植◉も◉き先輩は、はじめは営業部で苦労したらしいです。
◉田◉と◉先輩の近影。今は独立されているという噂。

当時、私は東京の広告制作会社に勤めていた。
と同時に、夜間は、各種シナリオ学校に通っていた。
かなりハードな日々だった。
先輩に連絡をとった。
「そうか。東京にいるのか。じゃあ、一度、タツノコプロに遊びに来いよ」

ここでタツノコに行っていたら、私の人生、変わっていたかもしれない。
アニメのしごとをしていたかもしれない。

しかし、先程も言ったが時は「バブル期」で、山のように仕事があり、忙しくて行けなかった。

古い社屋かな?
二番目の社屋かな?


◆◇◆

その先輩が登場しないかと思い、島本和彦「アオイホノオ」を買ったのであります。
さて、登場するでしょうか?

右は、若き日の庵野秀明。
第一巻の表紙。この頃は、すぐに終わる短期連載の予定だったらしい。人間わからんもんや。
現在は、同じクラスだった庵野秀明に媚びまくる島本和彦先生。



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