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第一章:なぜ台湾に留学したか〜中国語との出会い〜


こんにちは、ユウミです。
急ではありますが自己紹介などする前に、今回はなぜ私が台湾に留学したかをまるっと書きます。始まりは14歳からなので、何個かに分けて投稿したいと思います。

何故私が台湾留学の理由を書こうかと思ったか。

1.今まで散々台湾留学の理由を聞かれてきたから
2.散々聞かれてきたけど、最初から最後までストーリーを話したことはないから
3.定型文を作って毎回話していて、途中経過をだいぶ端折っていたから


この3点です。
自分の親にもちゃんと話してないんじゃないか?ってくらい、最初から話したことはありません。

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遡ること2012年、当時14歳の私は初めてアメリカにホームステイに行くことができる切符を手にします。これは3歳から始めた習い事「ラボ」で、両親がコツコツとお金を積み立ててくれたことから得たチャンスです。
またラボっ子なら分かる感覚だとは思いますが、多くの先輩方を見て中学2年生になったらホームステイに行くんだって勝手に思ってました笑

当時から両親の影響で「天使にラブソングを」「ブルースブラザーズ」「マンマミーア」「マイケルジャクソン」を刷り込まれていた私は、本場のアメリカを見て感じる事が出来るという事に興奮していました。

約半年間の事前学習を得て、いざアメリカのミシガン州にホームステイに行くわけですが、ここで私は中国語と出会うのです。
ホームステイ先は6人兄弟、8人家族。いわゆる大家族でした。(フルハウスでしか見たことがない感覚笑)

そこで1人の少女、中国から養子として引き取られた

アビアナ

と出逢います。

彼女はとても可愛い子で、毎日一緒にいました。しかし彼女との間に1つ壁がありました。「言語」です。私も彼女も英語はその当時は第二言語であり、お互いの話してる内容を汲み取る事が非常に困難でした。そこで私が彼女とのコミュニケーションに用いたものが「漢字」、これが中国語との出会いでした。

私が初めて覚えた中国語は「爸爸(お父さん)」です。彼女は紙にこの単語を書き、これはDaddyって意味だよ!って教えてくれたのです。私もまた、「父」と書き、日本語での読み方を教えました。
ステイ先はホームスクールの家庭だったので、毎日1時間ほど各自勉強を必ずしなければならない時間がありました。私はその時間を英中辞書をアビアナから借りて知ってる漢字をひたすら眺めていました。

その家族はあまりお肉を食べない家庭で、野菜中心の生活、そしてテレビが無くラジオを聞いて生活していたため、フルハウスとは少し違いましたが、毎週最低でも2回ボランティアに行きホームレスの方々に食事を提供したり、老人ホームで絵本を読んであげるなど、とても充実した1ヵ月となりました。

ホームステイから帰ってきた当時、私は中国語に対して興味は持っていたものの、勉強しようと行動に起こすことはなく、そのまま憧れの先輩が進学した高校に進学する決心をし生徒会図書局長として図書室で暮らしたり、茶道部でお菓子食べたりして中学生活を終えました。

ホームステイが今後私の高校生活、さらには大学生活に大きく関わっていくこととは、当時は思ってもいませんでした。

ユウミ

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