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フードコートのクリームぜんざい

  いつものように、まつ毛の長いトアちゃんから、トレイに乗ったクリームぜんざいを受け取った。透明な器に、ぜんざいの海、海の真ん中には、少し頭を傾げたソフトクリームの島が浮かんでいる。島の中腹にショベルのようなスプーンを突き刺すと、トアちゃんからもらったお釣りとレシートをズボンのポケットにねじ込んで、フードコートの海に飛び込んだ。テーブルは島、トレイはビート板、島の合間を、ビート板に掴まって泳ぎ始める。

    一人でいることは、自由だ。大海原を、誰に気づかうことなく、スイスイと泳げる。

    あっという間に、 いつもの席にたどり着いた。窓際コーナーの四人席、窓との間には、鉢植えの観葉植物が申し訳なさそうに佇んでいる。四人席でも気にすることはない、向かいの椅子にカバンを置きさえすれば済む。隣席との間には、アクリル板が立ててあるから大丈夫だ。

   いつも思うのだが、ここからの眺めは最高だ。フードコート全体を見渡せる。そして、なにより、斜め三つ隣りの彼女が見える。

   しかし、彼女の表情は、よく見えない。斜め向きだし、マスクをしている上に、いつも、うつむいている。おまけに、私と、彼女との間に置いてある幾枚かの飛沫防止のアクリル板が反射して、あらぬ方向の景色を映し出す。今は、背の届かない女の子が無理して手を洗っているのが彼女に重なって見えている。

   資格試験の勉強なのだろう。赤い『看護学概論』と書かれた本に、オレンジやブルーのマーカーでアンダーラインを引いている。両耳に、白いワイヤレスイヤホンをして、時折、人差し指で押さえつけるような仕草をするのは、試験に出やすい重要な箇所を聞いているのだろう。

    おっと、私の大事なクリームぜんざいが、溶け始めてきた。クリームの白が、こげ茶の海に流れ込んで、マーブルを描き始めている。

   さっそく、麓からソフトクリームを崩してみた。なだれ込むクリームがぜんざいに絡みつくやいなや、すかさず掬い上げると、スプーンの中で、クリームと小豆が混ざり合って、ピンク色の雲になる。一口ほおばると、クリームのまったりした固まりがゆっくり溶け出して喉に落ちいき、小豆のカスだけが舌に残る。誰かに呼ばれた気がして、窓の外に目をやると、空にも、まるで刷毛で描いたようなピンク色の雲が広がっていた。もうすぐ日が落ちる。彼女は、まだ勉強を続けているが、その間にも、ソフトクリームは容赦なく溶けていき、器の海をピンクに染めた。

     今日も、まつ毛の長いトアちゃんから、クリームぜんざいを受け取ると、いつもの席に座った。彼女もまた、いつものように勉強をしている。
    あれ、大学生くらいの男の子が彼女の向かいに座った。少し会話を交わすと、二人は立ち上がり、手を繋いで出ていってしまった。
   ソフトクリームを頂上からスプーンで切り崩す。氷山のように崩れ落ちるソフトクリームを、そばから一気に掻き込んだ。

    次の日も、トアちゃんから、クリームぜんざいを受け取ると、さっそく席に着いて彼女を見た。彼女の横には、ベビーカーが置いてある。赤ちゃんに、ミルクをあげてるようだ。
    ソフトクリームの頂上を少しだけ削って舌の上に乗せてみる。ほんの少し母乳の味がしたのは気のせいか。

    その次の日、また、クリームぜんざいを受け取って、ゆっくりと席に向かった。
     彼女の横には、年老いた男性が居た。スプーンで柔らかい食べ物を口まで運んでもらっている。
    ぜんざいの海にスプーンを突っ込んで、ゆっくりと口に入れる。ぜんざいの粒を舌と頬を使って、すり潰しては飲み込んだ。

    そのまた次の日、クリームぜんざいを受け取り、ゆっくりと自席に腰を下ろした。
     彼女は、もうそこにいない。アクリル板には、妹を抱っこして、手を洗わせてる姉妹の姿が映っていた。
     もう、クリームぜんざいを食べる気がしない。ソフトクリームの山が傾いて、ぜんざいの海に沈みかかっている。

     眠くなってきた。

   ソフトクリームは沈没する船のよう、ぜんざいの海に飲み込まれていく。

    もしかすると、 彼女もまた、アクリル板に反射した人影ではなかったか。実在する彼女の人生などはなく、ただ、アクリル板に映った人達をそうと思い込んだだけではないのか。

   私は、目を閉じた。
     
 「  いや、彼女は人生をまっとうしました。幻なのは、あなたです。あなたは、長い間、何もせずに過ごしていました。私は、ずっと、あなたを見ていて、知っているのです。」

     窓際に置かれた鉢植えの観葉植物、クリームぜんざいのように蔓を巻いた観葉植物が、彼に、そう告げた。 空には、ピンク色の雲が、夕闇に溶けて消えそうになっていた。 

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