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第4の眼鏡

私にとって、眼鏡はオプションなのだ。そう、コスプレのオプションのようなもの。

日頃は、しろくまの着ぐるみを着てるから、みんな、気づいていないだろうけど、着ぐるみの中の人は、ごく普通の30代の眼鏡男子。

それはさておき、私は、いま、3本の眼鏡を持っていて、それぞれには、それぞれの使命があるから、それを順に紹介していこうと思うのだけれども、付き合ってくれると、ほんと、うれしいです。

最初の1本。これは、仕事に使うもの。実は、私、少しお堅い仕事をしているので、どんな仕事かって、石工さん、研ぎ屋さん、せんべい屋さん、いろいろ想像してくださいね、全部違うけど。閑話休題、少しお堅い仕事なので、眼鏡も硬い、いや、どう言うのだろう、顔に信用が付くと言うか、クリエイティブというよりは、シャープな感じのする金属製の眼鏡をかけている。スーツ着て、この第1眼鏡をかけて、パソコンに向かって仕事をしているのが、普段の私なんだ。そんな第1眼鏡君は、ウソがきらい、真実を見抜こうといつもレンズを光らせている。何かにひっかかると、たとえば、闇に隠された意外な事実なんかを見つけると、フレームの左上の少しとがった部分がきらりと光る。

もう1本は、お家でかけている眼鏡だ。茶色がかったセルフレームの丸い眼鏡ふんわりした感じだ。お家に帰って、スーツを普段着に着替えるときに、眼鏡もいっしょに、この第2眼鏡に着替えるんだ。私は、丸顔で、少したれ目だから、それをさらに強調する丸眼鏡は似合わないんだけど、この第2眼鏡がお気に入り。肩から力が抜けてリラックスできる感じがするからかな。妻や娘が見ている私の顔って、圧倒的にこの第2眼鏡の顔なんだ。もし、私が死んだら、遺影にされる顔って、たぶん、この第2眼鏡君の顔なんだろう。第2眼鏡君は、パステルで描かれたようなやさしい世界がお似合いなんだけど、そんな世界を見せてあげることができたのは、ごくごくわずか。ほとんどは、ぐちを言ったり、泣いてたり、けんかしてたりのシーンばかり見せてしまってる。そんな出来事の後、私は、ひとりっきりになって、第2眼鏡君をクリーナーで拭くんだ。はー、と息かけて。

最後は、ランニング用のグラス。テレビでマラソン観てると、サングラスをかけて走ってたりするんだけど、そういうのじゃなくて、度付眼鏡をランニング仕様にしたもの。不思議なもので、この眼鏡をかけると、走るモードに切り替わるんだ。ランパン、ランシャツ着て、ソックス履いて、この眼鏡をかけるとエンジンがかかる、ブルン、ブルン、ブル、ブル、ブル。2階から階段をダダダダダっと駆け下りて、玄関で靴ひも結んだ前かがみの姿勢から、ロケットスタートで、びゅーん、って感じだ。この第3眼鏡君は、自動車のフロントガラス越しに見るのと同じような景色を見てきたのかな。だって、マラソンって公道を走るでしょ。走行車線、追い越し車線、赤信号ばかりの交差点、沿道で応援する人たちのハイタッチの手、給水所で取った紙コップ、うー、スポドリをまともにかけられたとおこる第3眼鏡君。ゴール寸前、気になるタイムをウォッチとにらめっこ。ゴール。パチパチパチ、頭から通されたメダルにぶつかって、カッチと音をならす第3眼鏡君、ありがとう、お疲れ様でした。

実は、私には、もう1本の眼鏡がある。机の奥の奥にしまってある眼鏡だ。この眼鏡から見た世界が一番きれいだったかな。二人だけでシャボン玉に包まれた世界。虹色に光っていたけど、ほんとうは、少しの風に揺られても歪んでしまう風景。今でも、時々、ふっと思い出して、この眼鏡をかけたくなることがあるけれど、あの時以来かけたことがない。普通に暮らすって難しい。ちょっと油断すると、パチンとはじけてしまいそうな、そんなとても危ういものだと思うからこそ、私は、この眼鏡を捨てない。なんて、全部うそと言いながら、クリーム色のお家の壁に当たっては、はじけ、当たっては、はじけて、消えていくシャボン玉の中で、それでも、はじけずによじ登って行くシャボン玉をぼーっと一人で眺めている。なんてね、これもうそ、全部うそ、何もない。

(おわり)

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