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不登校って言葉が好きではない話

我が家の長男は小学校に通ってない
以前は通っていたけど

週に3回、デモクラティックスクールで過ごしている

入学式から、なんだか学校に馴染めなかった

小学生になること
ランドセルを背負って学校に行くことを
心待ちにしていたのに…だ

長男いわく
「卒園式は練習したけど、入学式はやってないからわからない」
と言っていた
そりゃ分からないけれど…と思いながら
「見んなと同じにしてたら大丈夫だよ」
と返していた
いま思えば
長男の苦手な「みんなと同じ」

翌日からの登校…
たぶん、登校班では行けなかった
学校まで一緒に行った気がする

付き添って登校して、
少しの間は教室で別れて過ごすことが出来たけど、
間もなく、教室へも入れなくなってしまった

私は廊下でプリントをやることを長男に促し、
ひらがなのなぞりをしようとしたけど、
少し書いては消して…を幾度となく消して、
うまく書けない!とプリントはビリビリ
それに私もイライラ
担任が声をかけようものなら、
暴言を吐き校舎から飛び出す
校長先生が声をかけたから学校から逃げたなんて日もあった
そんな毎日を送っていた


給食のかっぽうぎも着ることが出来ないし、
体操服に着替えることも出来ない
気持ちが不安定すぎて、過敏さが凄く強くでていた
校門をくぐることさえもできなくなったりしたし
声をかけられれば、走って逃げる
夜中にパニックになり、泣き叫んだり
夜驚症のような感じだった
小さい頃にもあって、外を凄く怖がったり
体を払って虫がいるーといったり
気持ちが落ち着かないので、夜の公園を散歩したり
心が限界だった

教育相談に相談しても、
スクールカウンセラーに相談しても
不登校とか
登校しぶりとか
母子分離とか
そんな言葉が出てくるだけだった

まずは気持ちを穏やかにと
児童精神科に通院してみたけど
これといって策もなく…
安定剤を処方されたけど、
使わなくて済むならと
とことん付き合ってみた

彼の困難さを知るにはwiscをとったほうがいいと、医師がいったので、教育相談にかけあうもなかなかやってくれず…
やってもらうまでに何度も担当の人と話をした

結果は得意なところと苦手なところの差が大きいと

ほら、やっぱり
母子分離とか、登校しぶりとか
そんなのではない
彼の生きづらさが結果としてでた

担当の医師は
いわゆる優秀児だねと

知的な能力は非常に高いことが、
できるのにやらないといった風にみられてしまう
それがまた彼を苦しめていた


ひとまずは学校はこうゆうところだよと知って欲しかったこともあり、
たまたま隣が保健室だったので、
そこで過ごすことを許可してもらった

保健室登校??
といっても、親子で…過ごすという
異様な光景
運動会は養護テントでずっと過ごしていたし
持久走も保健の先生の近くで過ごしていた

仕事をしながらだったので、
1日を学校で一緒に過ごして、長男と帰宅し、私は出勤、帰宅は夜中…
だったり
少しの時間学校に行って、職場に長男を連れていったり…
そんな生活がしばらく続いた

3学期頃には教室に少しずつ入れるようになったりしたけど、みんなと一緒に授業というよりは
先生の脇に行って、スタンプを押したり、
先生の椅子に座って、少し周りを眺めたり…
給食の時間だけ教室でみんなと食べたり
彼なりに学校の仕組みを理解して過ごしていた

そして2年の夏頃には一人でも通えるようになって、2年間はなんとなく学校生活を送った
送ってみたけど、彼にはやはり合わなかった
そして、通わなくなって、
もうすぐ一年が経とうとしている


不登校と括ればそうかも知れないけれど

不登校になった背景をみることが大事なのであって、
不登校そのものが問題ではない
ましてや不登校になる子どもたちが問題ではない

その背景を丁寧にみることを
怠った学校教育や大人や社会側に問題があるのでは?と思っている

だって不登校に至るまでには、
いろいろなことがあったわけだから

不登校って
登校することが大前提の言葉

登校するか否かは本人の意思なんじゃないかな?
子どもたちには教育を受ける権利はあるし、
私たち大人は教育を受けさせる義務はある
でも、その教育は学校でなくたっていい、
家だって、オンラインだって、長男が通うようなデモクラティックスクールだっていい

もっともっと選択肢が増えれば
不登校なんて言葉がなくなるかもしれない
なんて思う

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