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体外離脱を疑似体験する~SR=代替現実とは?

※初出は2015年7月発売の月刊ムーですね。他にも書いたけど。

『臨死体験 9つの証拠』(著ジェフリー・ロング、ポール・ペリー/監修 矢作直樹  ブックマン社)は、医学博士のジェフリー・ロングが1300例の臨死体験者の体験談をもとに、臨死体験の真実に迫ったベストセラーだ。
 1998年8月30日にロングはNDREF(Near Death Experience Research Foundation)http://www.nderf.org/ を立ち上げ、臨死体験をしたネットユーザーの体験談の収集を開始した。同書はサイトで集められた証言をベースとして、臨死体験とは何か? その先に死後の世界はあるのかどうかにまで踏み込んでいる。
 臨死体験は、文字通りの意味であれば死に際して一部の人間に起きる特殊な体験である。死に瀕した人間が走馬灯のように人生を回顧し、手術中の自分の体を天井から見下し、川の向こうから自分を呼ぶ声を聞く。誰もが一度や二度は聞いたことがあるだろう、死んで蘇った人たちの体験だ。
 多少の差異はあっても、そこにはよく似たパターンが見受けられるという。ロングは613人の体験談をもとに、12項目に分けて整理した。同書によれば、

1.体外離脱体験
2.知覚が鋭敏になる
3.強烈な感情、多くの場合、ポジティブな感情が芽生える
4.トンネルに入る、あるいは通り抜ける
5.神秘的あるいは強烈な光に遭遇する
6.神秘的な存在あるいは亡くなった身内や友人など、他者に遭遇する
7.時間や空間の変化を感じる
8.人生回顧(ライフ・レビュー)が起きる
9.この世のものではない(『天国のような』)世界に遭遇する
10.特別な知識に出会い、習得する
11.境界や限界に到達する
12.自発的あるいは非自発的に、肉体に帰還する

 耳にした臨死体験の話は、たしかにこのパターンに合致する。死に際して、脳の中で未知の反応が起きる可能性は極めて高い。苦痛を和らげるために大量の脳内物質が分泌され、肉体的な死の訪れとともに、脳が幻覚を見るのではないか? 一般的な医学者はそう考えている。医学上の死が正確な意味での死を捉えきれておらず、脳波が止まっても脳の活動は微弱ながら続いていて、つまり患者はまだ生きていて最後の夢を見ているのではないか?
 しかし、ではなぜ民族・国家を問わず、臨死体験者がこのパターンを踏襲するのか? 
 中でも体外離脱は奇妙だ。体外離脱をしたという話は幽霊を見たと同じ怪談のレベルか宇宙人と会ったというオカルトのレベルで語られる。それはありえざる現象だ。しかしロングによれば、臨死体験者の75.4%が体外離脱を経験したという。
 死と同時に肉体から精神だけが離れる、いわゆる体外離脱が起きるのはなぜか? 同書の中で体外離脱の体験者は言う。
「目覚めたまま仰向けに横たわっていると、突然、天井から自分を見下していた」
「気がつくと、私は川の三〇メートルほど上空に浮かんでいて、岩の間に引っかかったゴムボートを見下していた」
 ロングは臨死体験は脳内物質が見せる幻などではなく、本当に起きているのだという。つまり死後の世界があり、臨死体験者は死者が体験するように死後の世界を体験し、蘇生したというのだ。その根拠として、呼吸と心拍が停止した完全に意識不明の状態で、意識を持つことはできないことを挙げる。心拍と呼吸が停止すると10~30秒で脳波も停止する。脳が動いていないのに、なぜ意識があるのか? 全身麻酔下でも心拍停止と同時に臨死体験が起きている。つまり意識の主体は肉体ではなく、別の何か(魂と呼んでもいい)ではないのか? 盲目の人も臨死体験では、情景を見るのだという。
「すべてがくっきりと鮮明だった。私は眼鏡なしでは法的に盲目だが、(中略)医師の行為がはっきり見えた」
 普段なら思い出しもしない詳細な部分まで、死という鮮烈な体験によって思い出すのだという学者もいる。しかし単なる記憶で、視覚を失った人が視覚映像を見ることが説明できるのか?
 肉体の死とともに意識は肉体を離れ、あの世へと移動する。その過程で人生の全てを振り返り、身内の死者あるいは天使などの超越者のガイドで宇宙の真実を教えられる。それは世界と自分との合一であり、美しく明るい世界だという。そして向こう側へと渡る川の手間やトンネルの終点で、戻るようにと言われるのだ。

 臨死体験は死後の世界の入り口なのか? それとも脳波が停まっているように見えても、死は今の医学が測定する以上に深く、人間は死んでいないのではないか?
 あの世をこの世から調べることはできない。ここはひとまず、臨死体験がこの世のこと、死に際して脳内で起きる現象だと考えてみよう。本当にロングの言うように、あの世を想定しないと臨死体験は説明できないのだろうか。
 臨死体験でしか体外離脱は起きないのか? それは違う。周りの人に聞いて回れば、きっと一人や二人は体外離脱の経験者がいるだろう。体外離脱は脳に仕組みとして存在している。角状回という場所を刺激すると起きる生理現象だ。
 スイス工科大学脳神経センターのオラフ・ブランケはてんかん患者の治療中、右脳の大脳皮質にある角状回(後頭部の、耳のやや斜め上あたり)に電気刺激を与えたところ、患者は自分の体から抜け出す状態を感じたという。
 エコールローザンヌ連邦工科大学ローザンヌ校のアルゼイらが行った実験では、左側頭部の頭頂接合部(左角状回の周辺)を電気刺激したところ、患者は自分のそばに誰かが立っている感覚に囚われたという。
 てんかんのような、脳内で起きた生化学上のトラブルで、幽体離脱は起きるのだ。
 故ロバートA・モンローは、自身が体外離脱を体験したことをきっかけに、体外離脱を人工的に起こす技術を開発した。それがヘミシンクで、左右の耳から周波数の違う音(たとえば100Hzと105Hz)を流すと、その周波数のずれが脳の中でうねりとなり、そのうねりを補正しようとして左右の脳が同調して動作するのだという。この左右の脳が同時に活性化するのが体外離脱の条件で、それに呼吸法を加えることで意識が体外に離脱するという。
 脳の中の現象として体外離脱が起きるなら、では体外離脱した後、意識が飛び回り、自分の姿を見下したり、部屋の外を漂ったりすることはなぜ起きるのか?
 意識が本当に肉体を離れるのなら、それは今の科学の領分ではない。しかし脳の刺激によって肉体から意識が離れたように感じ、その時、本当に見ているかのように鮮明な記憶を脳が作り出せるなら、体外離脱は脳の中の現象で説明がつく。
 脳が生み出す鮮明な夢を明晰夢(Lucid dreaming)という。夢は自分でコントロールできないが、明晰夢は自分で夢を見ていると自覚し、コントロールできる。つまり現実と同じように自分の意志で夢の中を移動することができるのだ。
 2014年5月11日、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト校のウルズラ・ボスがtACS(経頭蓋交流電気刺激)という、交流電流で脳を刺激することで明晰夢を誘導することに成功したという論文がネイチャー・ニューロサイエンス誌に掲載された。同論文によると、被験者となった男性12人、女性15人が睡眠中に、前頭頂部と前頭野、側頭野に25ヘルツと40ヘルツの電流を流したところ、「自分を外側から見ている」ような明晰夢を見たという。
 臨死体験者の一部は体外離脱した後、神秘的な体験をする。それは何なのか?
 ケタミンという麻酔薬の一種がある。抗うつ剤としても使われるこの薬は、副作用として生々しい悪夢、幻覚、錯乱などがあり、危険ドラッグに一部含まれていたといわれている。ケタミンは他のドラッグと異なり、麻酔薬として使われることからわかるように、完全に体がマヒする。その間、意識がなくなるかというとそうではない。解離性麻酔薬と呼ばれ、自分の体と意識が完全に分離した感覚に襲われるのだ。体験者によると、それは宇宙と一体化する感覚なのだという。
 さくらももこ『そういうふうにできている』はさくら氏が帝王切開の手術中に味わった臨死体験に基づいて書かれたエッセイだが、帝王切開に使われる麻酔薬がケタミン。さくら氏が体験した臨死体験はケタミンの見せた幻覚なのだ。
 脳に作用する薬は、脳内物質と分子構造が類似する。脳神経の脳内物質受容体を遮断もしくは刺激することで、幻覚を見せたり神経を興奮あるいは沈静化させる作用がある。
 ケタミン同等の作用を持つ脳内物質はまだ特定されていないが、ケタミンを受容するからには必ずケタミン様物質が脳内にあり、臨死体験はその物質の多寡によって発生する可能性が高い。

 理化学研究所脳科学総合研究センター適応知性研究チームのチームリーダー、藤井直敬氏が開発したSR=代替現実システムは、ヘッドマウントディスプレイに映る映像を操作することで、被験者の時空間の感覚を操作するものだ。それは体外離脱や悟りの疑似体験であり、脳が把握する現実がいかにあやふやなものかを体験できる装置なのだという。
 藤井氏に話を聞く。
「ゴムの手のイリュージョンはやられたことありますか?」
 藤井氏の言うゴムの手のイリュージョンとは、手の模型と自分の手を並べ、同時に刺激するとあたかも模型の手が刺激されているかのように感じる錯覚の実験のことだ。
「あれはほとんどの人に起きるんですね。視覚と触覚が同期すると、自分の手はここにあるという身体のイメージが拡張するんですね。見えている手が触られ、自分の手が見えないと空間的に見えている手へと身体が拡張する。そういうことは脳では簡単に起きるんですが、普段、経験がないので起きることがわかっていない」
 道具を使うと先端が自分の体のように感じることがあるが、それが身体の拡張だ。
「意識が外に出るというのは、身体の主体が体の中にあるか外にあるかの違いでしょう。脳の中でそういうことが起きていると脳科学者としては、言うしかないですね」
 体外離脱は眠っている時や臨死体験の時に起きるが、日常生活で起きている時にできる人はまずいない。
「今、離脱中です、という人の話は聞けないんです。体外離脱した人は、終わってから思い出して話をする。でも記憶というのは思い返すたびに毎回作っているんです。自分に都合のいい思い起こし方をすると、それが嘘でも信じてしまう。自分はこういう体験をしたという人の話がどのくらい正しいかというと、あまり確かではない」
 記憶は主観だ。誰にも確認のしようがない。
「主観を他人が共有することは技術的に無理です」
 幻覚と夢の区別は本人はつかない。耳鳴りと幻聴は症状としては同じようなものだろうが、耳鳴りはキーンという普通ではない音なので、自分で病気だとわかる。しかし幻聴は現実と区別がつかない。だから怖い。
「脳には夢を見る仕組みがあるのだから、それは何にだって使えますよね。幻聴だって幻覚だって起きる。夢の中で何かを触ると触った感触がありますよね。触った時の入力がないのに、脳が勝手に刺激を作り出している。脳があると信じれば、ある。映画のマトリックスみたいなことはあるかもしれない」
 僕らが現実だと思っていることは主観に過ぎない、と藤井氏。
「みんなそう言ってきたけど、それを知るには宗教的な儀式をするとか過酷なトレーニングをするとか薬を使うしかなかった。SRを使えば、誰でも現実がどれほどあやふやで信用ならないものなのかがわかる」
 目の前でしゃべっている藤井氏がそこにいると思って話をしているが、本当はいないかもしれない。
「パチンと僕がここから消えたら、ヤバいと思うでしょう? SRではそういう環境を作ることができる」

 話を聞いているだけではピンと来ない。カメラの付いたヘッドギアをかぶるだけなのだ。そこに時間をずらした映像を流すのだという。それと現実感の混乱の何が関係するのか?
「これをかぶってください」
 真っ白な部屋に案内され、SFに出てくるようなヘルメットを渡された。目の部分にモニターが付いている。ヘルメットをかぶると部屋の中が見える。特に問題はない。
「見えますか?」
 藤井氏が言うので、うなづく。
 藤井氏が部屋の外に出ると別のスタッフが入ってきた。
「調整しますね」
 ヘルメット位置を直す。
 と、そこにいたスタッフが消えた。
 ああ、これのことかと思う。別にだまされまいとするわけではないが、ちょっと身構える。
 藤井氏が部屋に戻ってきた。近づいてくる。
「握手しましょう」
 握手した。
 そうしたら、目の前から藤井氏が消えた。
 あれ?
「女子高生が見学に来てます。中に入ります」
 キャーキャーと女子高生が入ってくる。
 これはウソだろう、ウソだよね? いなかったよね?
「ちょっと怖い映像出しますね」
 怖い映像?
 いきなり部屋の中にゾンビが現れた。どんどん近づいてくる。
 お化け屋敷かよ。
 ゾンビが私の肩に手をかけ……ドン! 誰かが肩をつかんだ。思わず悲鳴をあげそうになった。
「握手しましょう」
 スタッフが手を伸ばす。
 だまされるものかと思う。どうせ誰もいないと思って手を伸ばしたら、握り返された。これは本物なのか。
 こうなると、モニターで見えているのが現実なのか何のか、まったくわからない。
 突然、画面が切り替わった。
 私だ。
 ヘルメットをかぶり、椅子に座った私を私が見ている。体外離脱の疑似体験である。自分の姿を自分が見ている!
 カメラが近づき、私が私に近づく。あの異様な感覚をどう伝えたらいいだろう。私はどこにいるかわからなくなったのだ。カメラ側に自分がいるとかそういう具体的な感覚ではなく、すぽんと自分の場所の感覚が抜け落ちてしまった。
 自分はどこだ?
 体外離脱の時に見えるだろう風景を見た私の体は、反射的に体外離脱を起こしてしまったのだ。
 あとで編集担当者に、「ずっと腕をさすってましたよね」と言われたが、それはどこか触っていないと自分が本当にこの場所にいるのか、わからなかったからだ。
 ヘルメットを外してから、最初の藤井氏の映像が2年前のものであり、最初から全部がバーチャルだったと教えられた。
 現実は恐ろしく危うい。理化学研究所を出てもしばらく、目の前の風景が書き割りのように見えて落ち着かなかった。人間は実に容易に現実を突き崩される。
 脳がこれほどにぜい弱であやふやである以上、臨死体験のような超常現象的な体験も十分に起こり得るだろう。
 臨死体験が死後の世界の入り口かどうかはわからないが、体外離脱を始めとする臨死体験は脳の中で起こり得る。むしろロングの挙げた12項目の共通性が何を意味するのか、なぜ共通の体験が脳にプログラムされているのか、そこが科学の切り込むべきフィールドだろう。それはもしかしたら、死に際してやっと人間が気がつく、本当の世界の見方なのかもしれないではないか。

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