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マーダーミステリーへの思いを言語化する

マーダーミステリーというジャンルが生まれてから比較的長い年月が経過して、世間での知名度も上がった。TRPGやら人狼やらをプレイするのなんてごく一部のプレイヤーだけだと私は思っていたが、どうやらオンラインで遊ぶ手軽さが広まった今ではそうではないらしい。昨今ではyoutubeで有名配信者が配信で遊んだり、地上波のTVでも放映したりしているので、TRPGは遊んだことないけどマーダーミステリーなら遊ぶ人も多いのではないだろうか?

マーダーミステリー(略称はマダミス)とは推理小説で起きるような事件の登場人物を各プレイヤーが演じて、議論を経て事件の犯人を探し出すゲームである。Discordなどのオンラインで会話できるツールがあれば基本的には遊べるが演出の都合上でココフォリアやユドナリウムといったツールを使用することもある。一度遊んでしまうと犯人が分かる仕様上、たった一度の体験のために皆で遊ぶのである。

私はプレイ済みシナリオ一桁の超素人だが、今回はこれまでの体験を通してマダミスの何が楽しくて、どういった印象を持ったかを言語化したいと思う。インターネット上の99.9999%の人間には役に立たない記事なのは間違いない。が、友人が私に放った言葉は印象深いので共有しておこう。

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マダミスは物語性が面白くて、自由度が高い

私は元々ボードゲーム(略称はボドゲ)に親しんできた人間である。正体隠匿と呼ばれるボドゲの一ジャンルもそれなりに遊んできた。正体隠匿ではプレイヤーの中に別陣営のキャラが紛れ込んでおり、敵か味方かの確信が持てない状態で別陣営との舌戦が繰り広げられるのが特徴だ。私はマダミスを正体隠匿の延長として遊んでいる。

マダミスでは正体隠匿にドラマが追加されている。キャラクターに詳細な設定がなされているため、勝っても負けてもそこにはドラマがある。例えば、あなたは実行犯ではないが犯人として指名されることが勝利条件かもしれない。犯人が大切な人であるためかばおうとしているという設定だ。わざと怪しい行動をとり、犯人として指名されたと仮定しよう。そして物語が全て明らかになった後に他のプレイヤーはキャラクターとシンクロして「犯人をかばってあえてそんなことを…」と切ない、そして出し抜かれて悔しい気持ちにさせられる。単なる犯人当てパズルにとどまらない面白さがマダミス最大の魅力だろう

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マダミスは自由度も高い。犯人は嘘をついていいからやりたい放題だ。犯人以外も嘘をついていいシナリオもたくさんある。同じシナリオであってもプレイするメンバーによって驚くほど違った展開になる。自分がプレイ済みのシナリオに限って私は配信者のプレイ動画を見るのだが、自分のプレイとはこんなに違うのかと驚くことも多い。既プレイのシナリオを他プレイヤーの視点で見てみるとプレイに応じて物語は別の表情を見せてくれるだとわくわくする

情報の出方とか偽証内容で物語の展開は大きく変化する。あまりにも真に迫った嘘であるがゆえに信じ込んでこの人は信頼できると思ってしまったこともあれば、現実離れした嘘をつかれて困惑し、本来焦点を当てるべき論点をずらされたこともある。初心者には荷が重いが、犯人として議論をコントロールできたときに楽しさはひとしおだ。

自由度の功罪

自由度の高さはプレイヤー依存度の高さを意味している。場合によっては経験豊富なプレイヤーの発言が目立ち、初心者は黙ってしまいがちになる。こういうのはお互いにとって良くない。必要な情報が場に出揃わない可能性もあるし、せっかく参加してくれたのにダンマリではマダミスを受動的にしか楽しめなくなってしまう。ただ、これは多弁な人が悪いわけではない。発言を制限する機構がなければ発言量の差が出るのは当たり前である。人狼でもそうだし、会議でもそうだ。

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ボードゲーム界隈では奉行問題という話がある。これは全員で一致団結してタスクをこなすタイプのゲームによく発生する話だ。発言力のある人間が他プレイヤーに逐一指示を出し、結果として発生する満足度の低下を奉行問題と呼ぶ。マダミスでは情報を互いに出さないと議論が進行しないため完全なる奉行問題は存在しない。が、人数が多いとどうしても奉行問題に近しい状況が発生する。これまでの経験上、マダミスでは奉行問題を回避をプレイヤー(ゲームマスターを含む)のモラルに一任していると私は感じる。

マダミスではプレイヤーへの期待度が高い。プレイヤーがうまいプレイをして巧みに他者とコミュニケーションを取れば普通のシナリオであっても参加者にとって記憶に残るような体験になるだろう。逆に言えばどんな優れたゲームであっても、共に遊ぶプレイヤーがひどければ素晴らしいゲーム体験は望めない。マーダーミステリーは、マッチングの大切さが露骨に影響するゲームジャンルであると私は思う。格闘ゲームであればレートで対戦相手が決まり、アマゾンの商品であればレコメンドされる。それらのシステムはうまく機能しており、楽しい体験へとつながっている。マダミスはそうしたシステムは未実装であるため、マッチングシステムの創出が業界の発展につながるのではないだろうか?

友人からの指摘

私はマダミスのポテンシャルは凄まじいと考えている。誰もが楽しめるとは言えないが、合う人間はものすごく楽しめるというジャンルになりえるだろうと思っている。そして、楽しめなかった人間からの意見で興味深いものがあったので二つ紹介する。

発散に向かう議論が苦手

会議に慣れた人間からの意見で、発散へと向かう議論展開が苦しいという話があった。これは私も同調する。手掛かり①について話しあったと思ったら、誰かの一言でアリバイに議論が移ったりする。いったい我々は何について結論を出し終わっており、何についてはまだ議論をされていないのかは明確にされない。議論の収束へと向かう道筋は示されないのである。普通の会議はそうではないだろう。必要なデータは資料として提示され、場合によっては事前に読むことさえ可能である。結論を出すべきテーマはチームメンバー全員で共有され、議論の焦点は数えるほどしかない。

ある程度はプレイングとゲームシステムで発散を回避できると考えている。議論開始前に自分の話し合いたいテーマについて一人一分発表するシステムを設けるか、あるいは全体討論の冒頭で「○○と△△に焦点を当てて私は話したい」といえば、他プレイヤーも理解を示してくれるだろう。問題となるのは、ゲーム中に各プレイヤーが達成すべき目標が分散している場合である。ある者は犯人を捕まえたいし、別のものは恋人の浮気相手を探しているかもしれない。目的の異なる人間が同じ会議で議論すれば、話題は移り変わり、状況整理もままならなくなる。混沌の中で結論を下すような話し合いは人によっては苦しい

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対立構造が苦手

同卓の友達との対立がほぼ前提になるのが嫌という意見も頂戴した。マダミスではよくプレイヤー内に潜む犯人を捜そうという話になるわけで、他プレイヤーを無条件に信頼するわけにはいかない。そんな気の沈むようなゲームは好みではないという主張を受けた。

なるほど。スポーツでは対戦相手は敵であるが、敵対しているわけではない。技術を競い合うパートナーである。しかし、多くのマダミスでは他プレイヤーは信頼できない隣人だ。仲良く和気あいあいというわけにはいかないシナリオの方が多数派だろう。もちろん協力型シナリオもあるし、コミカルなシナリオもあるのだが、王道となるのは疑心暗鬼の探り合いではないだろうか?

この件に関しては単に私の友人にとって王道のマダミスは合わなかったというだけの話だ。だが、ゲームとはいえ対立するのは好みではないという発言は興味深かったので本稿で共有する。また遊ぶ機会があれば、今度はプレイヤー同士が仲良くなれるようなシナリオを提供したいと思う。オススメがあればコメントを残してくださると助かる。

総括と今後

プレイすればするほどマダミスは面白いなと思う。上手なプレイングを見せられると機転が利く人はすごい、推理力がある人はすごいと思わされる。同卓の方々には感謝してもしきれない。今まで不快な思いをすることなく楽しんで来れたのはひとえに見ず知らずに私に優しくしてくださったプレイヤーの方々のおかげである。

叶うならば、初対面の人とプレイするときには仲良くなれるシナリオを優先してプレイしたいというのが私の思いだ。目的達成のためには他プレイヤーとの協調が不可欠とか、あるいは犯人が孤立するのではなく犯人と共犯者の陣営があるとか。対立ではなく協力の方向性に向かうシナリオのほうが最近は好みになってきた。それは友人からの指摘が念頭にあるためだし、私自身が同卓の人にとって良きマッチング相手になるためである。今後も同卓の人たちと良い体験ができることを願って筆を置くことにする。

P.S. 本ブログは収益化を目指しているので余裕がある方がいたら以下から買っていってほしい。

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