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仕事帰りの電車で考えること

今、電車に乗っている。
時間は19時30分。
あー意外と人多いな。
まだ6月なのに車内がモヤッとしてて、空気が肌にまとわりついてくる感覚がある。

携帯をいじっている人が8割、寝ている人が1割、何をすることなく窓を眺めている人が1割。
車内は満員とはいかないまでも、そこそこ人が多い。
前の人の携帯をフリックする速度が異常に速い。
何やってるんだろ。パズルゲームかな。
その隣の人はたぶん記事読んでる気がする。

クタクタなはずなのに、電車に乗るとなんとなく気になってしまう。
意外とスーツの人って多いんだな。
自身が私服の職場だから実感なかっただけか。
リュック派の人と鞄派の人が半々くらい。
普段オフィスで限られた人と接する機会がないことを考えると、ある種じしんがそのような反応になることは当然かもしれない。

飯田橋駅に到着すると大勢の乗客が降りて行く。
やった。ちょっとは空気が軽くなる。
そう喜んでいられる時間は少ない。
そう思った2秒後には大勢の乗客が我先にと乗車してくる。

視線を上げると広告。
そこに載っている女の子は祈ってるけど、全然こっちは祈るような気分じゃない。

今は美味しいご飯食べて、寝たいって気持ちだけ。
そんなことを考えつつ、その横にある広告に目を移す。マンションの広告だ。
誰がこの広告から買うんかなってちょっぴり思ってしまうけど、いつまでもマンションの広告は消えないからたぶん効果があるのだろう。
そもそも車内の広告って向き不向きあるよなって感じるのは自分だけか。

車内に掲載されている本の広告は興味がそそられるものが多い。一方で学校の広告って効果あるのかな。ネットも発達しているにも関わらず電車で初めてその学校を知るってことはなかなかないんじゃないか。
あくまで個人的には効果が悪いんじゃないかって思うけど。

電車内の手すりも少し婉曲してるし、銀色だし。

なんでだろ?

まあ答えを是が非でも知りたいわけじゃないけど、ちょっと気になってしまった。ちょっとだけ気になって、何も動かず、結局意図がわからないまま忘れてしまう。

普段何となく見たり、使ったりしてるものは
きっと誰かが苦しんでできた産物。
人を蔑ろにしたくない。表面上で人を評価するのではなく、人のストーリーを理解できる人間でありたい。

そう思っている矢先、終着点についたみたいだ。
また、明日も違うことを考え、忘れるの繰り返し。

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