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僕はジェラピケになりたい

じゃがりこで最も美味しい味はたらこバターなのであります。異論がある者はこの場を去らねばなりません。

ジェラピケになりたいという願望がある。そのままの意味だ。ジェラピケに、なりたい。ジェラートピケ。ジェラピケ。なんと良い響きだろう。ジェラピケ、ジェラピケ、ジェラピケ。何度でも口ずさみたくなる。僕はジェラピケになりたい。なってしまいたい。だってジェラピケは愛されている。もうこの世に生まれた瞬間から愛されているのだ、ジェラピケは。どうしてジェラピケは僕の目にあんなにも輝かしく映るのだろう。町田のルミネの3階に、ジェラピケはある。僕はキリリと澄ました顔でその横を素通りする。もちろん社会的な体裁を保つために懸命に素通りするふりをしているのであって、実際にはかなりジェラピケのことが気になっている。しかし、ジェラピケを凝視することは許されない。成人男性の基本的人権の中には、ジェラピケを凝視することは含まれていない。平安貴族なのだ、ジェラピケは。僕のような下々の男衆がそのご尊顔を拝することなど、決して許さぬ姫君なのだ。だから、ジェラピケは尊い。

勘違いしてほしくないが、ジェラピケになって女の子の身体に直接触れたい、みたいなそういう願望とは決定的に違う。ただジェラピケとしてありたいのだ。なんなら誰かに買ってもらわなくてもいい。ジェラピケとしてこの世に生まれ、ジェラピケとしてその生を全う出来たらそれでよい。ただ存在し、それだけで愛されることができるかどうかが問題なのだ。その辺のムフフな妄想と一緒にしてもらっては困る。これは生き方の問題なのだ。

兄弟の中でも、いとこの中でも、最も年下の末っ子として生まれた人生に待っているのは、「愛されなくなる」という大きな試練だ。生まれた瞬間からそこそこの年齢になるまで、常に親戚の中で可愛い可愛いと無条件にチヤホヤされていた人間にとって、自分が愛されなくなってしまったという体験は残酷に正確に胸を裂く。だから僕は自分の声変りが恐ろしく、自分の体毛が恐ろしかった。自分の体は、人に守られるものではなく、人を守らなければいけないもしくは人を傷つけうるものに変貌してしまい、ありのままの姿を見せれば「汚い」と冗談を言われるようになった。そしてそのことに、傷ついた素振りを見せることは決して許されなかった。

だから僕はジェラピケになりたい。冬のジェラピケのモフモフのひとつひとつに神経を宿し、いつまでもそれをサワサワと風になびかせていたい。テロッとした夏のジェラピケも良い。水玉模様のドットは小さめで、柄の間隔もゆったりしていたい。蛍光色っぽいピンクは嫌だ。少し暗めの、でも何色かと聞かれればピンクと答えたくなるような水玉でありたい。下地は絶対に白。ボタンはなるべく大きめで、間隔も広く。ショートパンツの腰の部分の紐は、だらっと長めに、窮屈な印象は極力排したフォルムでありたい。全体的なスタイルはゆったりと、体のラインは出ない程度に、でもダボッとした感じは抑えてあくまで洗練した感じでありたい。が、僕はジェラピケになることはできない。僕はジェラピケになれず、その愛らしい生地を見ることもそれに触れることも許されず、ただ、キリリと澄ました顔でその愛らしい姫君の横を素通りすることしか許されていない。

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