2021/5/8

「偽物の愛、偽物の愛、偽物の愛」
とずっと叫んでいる人とすれ違った。街。街だ。街を歩いている。顔は、多分、笑っていたように思う。だから余計に、気になって仕方がない。

何だったんだろう。

マクドナルドで最近売っている辛口ジンジャー味のコーラを一度は飲んでみたいとずっと思っていたので、満を辞して注文する、が、「すみません、当店ではそちらの商品はお取り扱いしていまジンジャー」、と満は辞せず、いつも通りコカ・コーラ ゼロを注文。ジンジャー飲みたかった。心にぽっかり空いた隙間にフィレオフィッシュを埋め込んでなんとか凌ぐ。魚なので隙間にはよく入り込んでくれて助かる。ああでもジンジャー、ジンジャー飲みたかった。ジンジャーのことばっかり考えていたのでtricotの『ポークジンジャー』を聴きたくなる。うなずくようにベース、そのゆったりしたイントロはそんなに好きではないけれど、しかし確かめるように小気味のよいカッティング、ギター、リムショット、で心地よいサビ。

私達はいつでも
どうしてこんなに贅沢なのかを知る術が無いからね

例えば偽物の友情があったとして、それならば本物の友情というのもあるんですか、と聞かれるとなんだか上手に答えられない気がする。愛とか友情とか、そういうものは情報量の差だと思う。今、道ですれ違った淡い色のカーディガンにdisk unionの袋みたいなシャツを着て歩いている彼とも、話してみたら最高に気が合うのかもしれないけれど、それでも僕は、たまたま同じ時期に同じグループに所属していた、つまり自分で選んだというわけでもない、そこそこ気が合う仲間の方を大事な友人だと言うのだろう。知らないから大事じゃない。知ってるから大事。知らないから痛ましくない。知ってるから痛ましい。もし、そういう感情移入のことを友情と言うのならば、それを本物の友情と呼ぶことにはやっぱり少し躊躇してしまうような気がする。

だから僕は、そのことを確かめるようにまた花を買うのだろう。

今日の花屋は、意地でもカーネーションしか売ってくれない日だった。この前も買ったのでカーネーションは別に買いたくなかったけれど、選択肢が無いので仕方なく愛情からはなるべく遠そうな色をした涼しげな顔のカーネーションを買う。
そう、例えば偽物の愛があったとして、それは生け花のようなものだろうか。切って殺して、なのになるべく長持ちさせるように保潤綿を付けて、栄養剤で満たした花瓶に挿して自分のものにして、そうして湧いた感情移入のことをもし愛情と言うのならば、それを本物の愛と呼ぶことにはやっぱり躊躇している自分がいる。そのことを確かめたくて、この花を買ったのだろう。

緑のカーネーションの花言葉は「癒し」だそうだ。静かな休日だった。

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