空気こそが一番怖い
福島第一原発事故の問題の本質は、問題は関東や日本全体ながら被害を受ける人は福島の一部の地域の人だったことにあると考えています。大多数の利益の為に少数が黙らざるをえない。これはある種のいじめに通じます。
コロナでは福島より露骨に多数派の正しさや安全、利益が叫ばれ、ただのプレッシャーを越えて公的にも私的にも嫌がらせが起きています。
そして、これは必ずしも体制側だけの問題ではありません。大勢の人がつくる空気は体制、反体制どちら側の主張であっても変な力を持ってしまうのです。不思議なことにこの1、2ヶ月でコロナ以外にもいくつかのネット上の炎上案件が生じました。
正しさというのはとても恐ろしいものです。しかもその真っただ中にいる人間はそれに気づきにくい。
ではどうればいいのか。その対策は自分が何かを言った相手も心を持った人間だと意識することではないかと思います。
いかに正しいことでも言い過ぎれば相手は傷つき、集団でプレッシャーをかければ恐怖を感じます。多くの人の利益の為に誰かが被害を被るとしたら、それは当たり前のことではなく、そこには自分と同じ人間である被害者の人生が存在します。
何かを考えた時に、もしくは何かに目をつむった時に常にその対角線に自分と同じ心を持った人間がいるということを意識することが心の暴走を止める鍵になるのです。
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