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人は命に係わる数字に弱い

 福島第一原発事故の時は空間線量が大きなトピックでした。ICRPの低線量被曝(微量の放射能を長期に浴びる害)の定義は以下のようになっています。

自然被爆以外の被曝量が生涯で100mSvになると、ガンで死亡する可能性が0.5%上乗せされる

 空間線量は時間あたりの被曝量であるμSv/hで表されますので、空間線量×そこにいた時から被曝量を計算していくことになります。
 やっかいなのはこの後です。トータルの人生で100mSv余分に被曝するごとにガンで死亡する可能性が0.5%上がるのです。ICRPではこの0.5%ガンで死ぬ可能性が上がるこの線量を元に年間1mSv以内の被曝に留めるべきとしてるのですが、この数値を人生の中でどう評価するかは大変難しい問題です。

 今回のコロナ禍でも命のかかった数字が私達を悩ませています。感染者数、検査数、陽性率、重症化率。。。
 福島もコロナもそうですが、私達は命のかかった数字、確率に弱いのです。これらの数字は非常に重要なのに不確かでしかも意味を掴みにくい。ちょっとの差が重要なのに、それが誤差の範囲だったりします。

 どうするべきなのか。
 一つはなるべく数字を追うこと。福島でいえばそれは各個人が自分の被曝量を知ることでした。これについては当初は正しく行われなかったものの帰還がなされた地域で個人線量計の配布が進むなど少しずつ行われています。
 コロナの場合は検査をしっかりやるということになるでしょうか。ただ、実際にはどれだけ追っても正確な数値は分かりません。微妙な数値の差が重要ではありますが、どこかで覚悟を決めて計れる範囲から真の値を予測して政策を決断することも重要になるでしょう。
 もう一つ大事なのは命に関わる数字をそのまま受け止めること。ガンで死亡する可能性が5%上がることは必ずガンになることでもガンにならないことでもありません。文字どおり5%。
 その為にはコロナそのものではなく命の確率に焦点を当てる必要があります。命の可能性は特別な時にクローズアップされますが、決して日常にないものではありません。交通事故、コロナ以外の病気、自殺。。。社会では様々な理由で多くの人が亡くなり、私達は常に一定の確率で命を失う危険と共に生きています。
 現在のようにコロナの感染者と死者の数値だけに焦点が当たるとコロナを正しく怖がることが難しくなります。コロナ以外の通常の死やコロナによる間接的な死の数値も合わせて公表していく必要があります。コロナ以外の命の数値にも焦点を当てることによって、コロナについての命に関わる大事な数値を正しく評価することができるのです。


 
 

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