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命と人生を天秤にかける愚

 『だめんず・うぉ~か~』などで有名な漫画家の倉田真由美さんのツイートを見た。コロナ禍で緊急事態宣言が出ている中で命を守る為に様々な業種の営業を自粛するべきだという論調への抗議の意を感じる。

 
 これと同じようなことを原発事故後の福島で感じたことを思い出した。
 福島県では被曝の被害を避ける為に強制的な避難がなされた。その人たちの多くは仕事などそこで暮らしていた多くのものを失った。新しい家と新しい仕事を得た人も多かったが、うまくいかず大きく人生を狂わされた人も多かった。
 重要な点は避難は決して絶対必要という措置とも言い切れないことだ。その地域の線量にもよるが、高齢者は低線量被曝の影響は決して大きくなかったし、人によっては元いた場所に留まったり二重生活をする選択肢もあったはずだ。予期せず人生を狂わされ返って健康を害した人も多かった。
 命と人生を天秤にかけて命を取る。これもコロナに似たことだが、自分だけが人生を取るというわけにはいかない。自分だけコロナにかかってもいいという行動がとりづらいのと同じように、自分だけ避難しないということもできなかった。映画『希望の国』では避難に反抗して留まる老人が出てくるが、こういったことができるのはストーリーの中だけだ。

 生きてさえいれば何とかなる。命が何より大事だ。これらは理屈ではそうだが、必ずしもそうであるとはいいきれない。命と人生を天秤にかけて命に傾け過ぎると多くの人の人生が大きく狂わされてしまう。

 政治は命だけでなく人生への配慮も欠かすべきではない。それはガマンで済むものでもワガママでもない。私にとっての不要不急は誰かの仕事とつながっていて、その人にとっては必要火急かもしれない。
 確かに命は人生より重いかもしれないが、その差はわずかであり人生も命の様に重いのである。

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