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安倍晋三は「っぽさ」こそが本質である

 アベノマスクや星野源動画に乗っかったりと最近何かとマイナスの話題が多い安倍総理だが、私はようやっとこの人の本質が分かった気がした。
 きっかけは爆笑問題太田光と中沢新一の対談本『憲法九条の「損」と「得」』だ。この本は国民投票が現実味を帯びた中での改憲について対談するという体だと思うが、既に安倍総理が改憲の意欲を失っていて、対談としては宙ぶらりんな感じになっている。
 あれだけ熱を持っていたように見えた改憲だったのに実はそうではなかったのだ。

 この本にも出てくるのだが、安倍晋三はホイチョイと距離が近い。ホイチョイ・プロダクションズは成蹊大学出身のクリエイター集団だ。安倍晋三とは大学の同級生になる。代表作は『私をスキーに連れてって』などのホイチョイ三部作。少し前にこの映画を見たのだが、今見るとあまりに現実感がなくてふわふわしている印象を受けた。それが80年代の空気だったのかもしれない。

 このふわふわ感こそが安倍晋三の正体なのではないか。
 安倍晋三は確固たる信念など多分ない。色々な信念やビジョンがあるかもしれないが、大事なのはその〇〇っぽさのぽさの部分なのだ。信念の弱さとも言い換えられるかもしれない。
 安倍晋三は明治のような国家観を持っているのではない。明治っぽさがあるだけだ。独裁者っぽく見えたり軍国化を意識しているように見えて軍靴の音が聞こえるかもしれないが、音が聞こえるだけで独裁も軍事増強もやり遂げなければいけないとは考えていない。全てが〇〇っぽいだけなのだ。
 彼の奥さんの安倍昭恵夫人は安倍晋三以上にふわふわした存在だろう。右の人にも左の人にも分け隔てなく会い共感を示すが何かの変革にはつながらず、彼女のスキャンダルだけが残る。安倍晋三があれだけ足を引っ張る妻を止めないのも、彼が本質的に妻と同じだからなのだろう。
 そういえば、安倍晋三の祖父と父の人生も合わせて追った青木理の『安倍三代』でも、安倍晋三については信念が何もつかめなかったと書いてあった。

 一見無能な様にも見えるが、この何となくふわふわした感じは意外に政治的には強いのかもしれない。具体的な復興政策がなくともオリンピックを招致してそれっぽいイメージを出せばいいというのはその最たるものだろう。政治としてはダメだが人気、ウケとしては強い。
 色々な人が強い日本、しっかりとした政治というイメージをふくらまして安倍晋三を見る。っぽいだけなのだがそのっぽいの部分が薄れ、支持者からするとポジティブに安倍晋三が見えるのだろう。何となく支持という人が多いのも分かる。一見すると良いように見えるのだ。よく見ると空虚なのだが。

 安倍晋三は「っぽさ」こそが本質であると考えると彼への対策も色々と見えてくる。
 まず、軍国化や独裁化を懸念するのは悪手だ。彼はそう見えるだけでそんなつもりはない。下手にここを攻撃しても支持者との分断が進むだけで何の進展も得られない。
 彼のイメージ戦略を攻撃するのも全く意味を成さない。星野源のコラボ動画はまるで貴族のようだが、別に彼に特権意識があるわけではない。ただ、あんまり考えてないだけなのだ。
 彼に対してはただひたすらに具体的な政策を訴えるのが一番効果的だと思われる。政権の政策の問題点を指摘するのはあまり意味がない。なぜならその政策は思いつきの要素が強いからだ。個々の政策とつながっているはずのビジョンはない。
 彼の信条の部分を邪推せず指摘せず、ただひたすら対案のみをぶつける。一律10万円給付が実現したのは具体策をひたすらに迫ったからだ。

 安倍晋三は中身がない空虚な存在である。それゆえの強さがあることを認めつつ、粛々と対応していくのがいい。勝手に中身を邪推してはいけない。

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