見出し画像

コロナ部活動問題に見る普通の魔力

 第二波なのかまだ第一波なのかは分かりませんが、コロナは猛威をふるっています。
 最近は高校や大学などで部活のクラスターが発生しています(寮のクラスターという可能性もあり)。特に大学は本業ともいえる授業をオンラインにしている中での部活動クラスターですから批判も多くなっています。
 ニュースでコロナ禍の酷暑の部活動なんて特集をやってると、そもそもこの暑さで部活やるなよなんて思ってしまいますが、部活動の問題はこの本なんかがお勧めです。


 
 なぜ人はコロナ禍で部活をしてしまうのか。これは部活に限ったことではないのですが、人は普通の生活、今までしていたことを取り戻したいという意識が働くのではないかと考えます。
 パチンコや居酒屋に行く人も同じです。その人が今までしたことを取り戻すというのはその人にとって大きな意味を持つのです。ここで重要なのは普通を取り戻す行動というのはその人にとってはとても大事なものでありながら第三者からは全くそうは感じられないのです。部外者からしたら「なんで部活を?」って思うのが当たり前なのです。
 ここに分断が生まれます。誰かにとっての日常の象徴の大事なものは別の人にとってはそんな意味をほぼ持ちません。だからなぜこのコロナ禍でそんな行動をという批難が起きるのです。


 コロナ禍で大事なのは絶対感染しないようにすることではありません。マスクも距離も感染の可能性を下げるだけです。結局はそれぞれが感染の確率を下げることしかできないのです。
 あまり他者に厳しい目を向けると、そのネガティブな感情が社会に溢れることの方が問題になってきます。皆それぞれ確率を下げながら生活している。何かが問題行動が見えてもそれはその人にとっては他を我慢してこれだけはとやっている行動かもしれないと思う方が個人としても社会としても楽なはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?