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エピソード63 黒坊主

63黒坊主

黒坊主(くろぼうず)は、明治時代の東京に現れたと
いう妖怪、または熊野の民話、江戸時代の奇談集
「三州奇談」などに登場する妖怪。黒い坊主姿の妖怪
とされる。

郵便報知新聞の記事によれば、東京都の神田の人家の
寝室に毎晩のように現れ、眠っている女性の寝息を吸
ったり口を嘗めたりしたとある。
その生臭さは病気になるのではと思えるほど到底耐え
難いものであったため、我慢できずに親類の家に逃れ
ると、その晩は黒坊主は現れず、もとの家に帰るとや
はり黒坊主が現れるという有様だったが、いつしかそ
の話も聞かれなくなったことから、妖怪は消滅してし
まったものとみられている。
この東京の黒坊主の姿は、その名の通り黒い坊主姿と
も、人間の目にはおぼろげに映るためにはっきりとは
わからないともいう。
口だけの妖怪ともいい、そのことからのっぺらぼうの
一種とする説もある。


63黒坊主 オリジナルストーリー

明治の初めの京都、ツネ子はまだ日本では少ない女性
日本画家を目指していた。
ツネ子は幼いころから大人顔負けの絵を描いていて、
小さな展覧会では審査員特別賞などをかずかず受賞し
ていた。

ツネ子:
よし、今日からこの京都の美術学校で私の絵の腕前を
上げて京都画壇、いえ日本の絵画会に、女でもこんな
にすごい絵が描けるんだって見せてやるんだ!

鈴木:
お~カミムラ君、凄い気合が入っているな。
君の噂は聞いているよ。今年はこの学校に男勝りの情
熱的な絵を描く女性が入ってくるってね。
おっと、名乗るのが先だったな。 
私はこの学校で教鞭を取っている鈴木という者だ、
よろしく。

ツネ子:
失礼しました。
鈴木先生、私頑張りますのでよろしくお願いいたしま
す!

こうしてツネ子は鈴木の下で日本画の基礎から、様々
な技法までを学びいちじるしい成長を遂げていった。  

...そして数年が経った。

鈴木はツネ子をともない、学校の近くの美術館に来て
いた。

ツネ子:
先生、やはり私の尊敬する先生方の作品を見ていると
私に何が足りないのか、何を学ぶべきかを教えてくれ
ます。

鈴木:
そうだろう、学校で沢山の事を学んだ君は先人達の素
晴らしい作品を見ているだけで多くの事を学ぶことが
出来る。それだけ腕を上げたということだ。

ところで、カミムラ君。
実は私はこの学校を辞めて日本画の塾を始めるんだ。
カミムラ君、ぜひ君に私の塾に来てもらいたいんだ。
どうだろう。

ツネ子:
先生、私の師匠は先生だけと思っています。
先生がお辞めになるなら、私もお供させていただきま
す。どうか私を見捨てないでください。

こうして翌年鈴木とツネ子は美術学校を辞め、鈴木が
始めた絵画塾の門下生としてツネ子も日本画の腕を磨
いていた。

その年の雨の降る梅雨の晩だった、ツネ子は絵画塾の
近くの間借りしている家で眠っていた。
ジメジメして暑く寝苦しいため夜中に目を覚ました。

ツネ子:
う~ん、暑い。
えっ、何かしら? この部屋に誰かいる。
私のすぐ近くにいる。
怖くて目を開けられないけど、何かがいるわ...。

その後ツネ子は気を失った。次の日も、その次の日も
その得体のしれないものはツネ子の部屋にやってきた

ツネ子は体調を崩し鈴木の絵画塾を辞め母のもとに帰
った。

それはから半年後、お腹を大きくしたツネ子が鈴木の
もとを訪れた。

鈴木:
ひ、久しぶりだねカミムラ君。元気にしていたかね?
おや、ご、ご懐妊かな、おめでとう。
私は妻も子もいる身だからお世話はしてあげられない
が、相談くらいならのるよ。

ツネ子は鈴木のもとを去った。
ツネ子はその後男の子を出産した。

その数年後、東京の大きな展覧会にてツネ子の作品
「神楽」が大臣賞を獲得した。

同じ展覧会に出品していた鈴木は打ちのめされ会場
を去って行った。

新聞記者:
カミムラさん、カミムラ先生、ちょっとお話よろし
いですか?この度は大臣賞おめでとうございます。
この絵の女性の凛とした姿カミムラさん本人のよう
に感じますが。
先生はお子さんを一人で育てていらっしゃるそうで
すね。
噂では、その子はカミムラさんの師匠の子ではない
かと言われてますが...。

ツネ子:
ありがとうございます。
たしかに私には息子がおります。
でもその子は昔から言い伝えにある黒坊主という妖
怪に私が魅入られて出来た子供です。
でもこの子は天の神様の授かりもの、きっと私以上
の絵描きになると私は信じています。

ツネ子は曇りのない目で自分の作品
「神楽」を見つめていた。

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