粗忽長屋~男道中(おとこどうちゅう)二人連れ

「抱かれているこいつは確かに俺だが、抱いてる俺はいったい誰だろう?」
俺は“死んでる俺”を抱きかかえながら、幼馴染みの八五郎に聞いた。
「そんな事は道中教えてやる」
俺は八さんと、自身番からもらった古い戸板に行き倒れの“俺”を乗せた。
前を八さん、後ろを俺が持つ。自然と死体を見下ろす形に。
“自分自身”の姿に身震いした。
“俺”から視線をそらし、八さんの背中を見ながら無縁仏を葬る寺に向かった。

俺も八さんも身寄りがない。
「俺たちも死んだらそこに埋められるのかなぁ」「バカ言うな!縁起でもねぇ!」
“死んでる俺”に再び目を落とす。これが自分だなんて信じられない。
「やっぱりさぁ、これは俺じゃないよ。八さん」
「いいや。これはおめぇだよ、熊」
じゃあさ、いったい俺は何者なんだい?と聞こうとすると
八さんがこう言った。
「この戸板に乗せられているのは…」

俺たちはさっきも言ったとおり、天涯孤独の身の上だ。
数えで十の頃、俺の親は理不尽な理由で武士に斬られた。
同じくらいの時期に、八五郎の親は流行り病で亡くなった。
俺たち二人を不憫に思った大工の棟梁が仕事を教えてくれたが、
その棟梁も安い酒を呑みまくったせいで亡くなっちまった。
でも八五郎がいたから、どんな貧乏だろうと耐えられた。
独りだったらもっと早くに死んでいただろう。

ある日、俺はある女に惚れた。
商家の一人娘。美人で奉公人にも優しいと評判の町娘だった。
店の修繕仕事を頼まれた時に出会った。一目惚れだった。
八さんに「馬鹿!身分違いにもほどがあるぜ」と言われたが
惚れちまったもんはしょうがねぇ。気持ちは止められない。
勿論あの人に気持ちを伝えるつもりはなかったし、
親も親戚もいない俺が誰かを好きになるだけで嬉しかった。
好きでいるだけで心が温かくなる。それ以上は望まなかった。
しかしお節介で口の軽い女中に俺の気持ちを知られた。
案の定そいつはお嬢さんに告げ口をした。
あの大工の熊さんがお嬢様の事を好いてるそうでございますよ、と。
それは店の旦那にも知られるところとなり大騒ぎになった。
お前、それは本当の事なのかい?と尋ねられた。
俺はこう言うしかなかった。
「俺がお嬢さんを好きだって、そんな嘘を誰が言ったんですかい?」

その後、俺は仕事が手につかなくなり、
店の修繕を終えてからは道具箱を持てなくなった。
どうしてあんな事を言ってしまったんだろう?という自己嫌悪と、
他人の口から本音を知られた恥ずかしさで人前に出るのが憚られた。
浅草の観音様にお参りに行こうぜ!との八さんの誘いを断ったのもそれが理由。
あれから二月(ふたつき)経つが、まだ気持ちに整理がついていなかった。
お嬢さんに対する気持ちをふっ切れない自分のふがいなさ。
年明けにお嬢さんが大店の跡取り息子のところへ輿入れする話を聞いてからは
いっそう長屋から出たくなかった。

「浅草でおめぇが死んでる!」と言われた。
昼日中、せんべい布団にくるまって寝ていた俺はビックリした。
「俺はここにいるよ、死んでねぇ」と言ったが、
いいや!あの行き倒れはおめぇだ!と譲らない。
言い合っててもしょうがないので、浅草に死体を受け取りに行くはめになった。
死体を見たが明らかに俺じゃない。でも八さんは俺だと言い張る。
納得はしていなかったが、八さんは言い出したら引かないタチだ。
無縁仏を弔ってくれるお寺さんに頼んで、それで終いにしようと思った。

「この行き倒れは“お嬢さんを諦めきれねぇお前”だ」と八さんは答えた。
「俺だってこいつがおめぇだなんて思わねぇが、
だけどな…どうにか元気になんねぇもんかと考えた上だ」
気晴らしに浅草の観音様へと誘ったのも一つの手だ、と八さんは言った。
何とか熊公が元気になりますようにと、観音様に手を合わせてきた後の事。
「あの行き倒れの騒ぎに出っくわしたってわけだ」
最初は野次馬根性で覗くだけにしようと思っていた。が、いい考えが浮かんだ。
こいつは熊だ!未だにお嬢さんへの想いを絶ちきれねぇ熊公にしよう!
こいつを供養しさえすれば、あいつも気持ちの収まりがつくかもしれねぇと。
「…とまぁ、浅い素人考えだがな。
それにこいつも寺に葬られて一石二鳥ってもんだろ?」と八さんが言い終わる。
戸板を持っていた俺は号泣した。情けねぇ俺のためにそこまで考えてくれてたなんて。
うっかり戸板から手を離すところだった。
「おっとあぶねぇ!大事な仏さんだ。落とすんじゃねぇよ!」と八さんが大声を出す。
ごめん、ごめんよと俺は泣きながら謝る。

寺の坊さんは驚いた。
戸板に乗せた死体と俺を交互に指差し
「“こいつ(熊五郎)”を弔ってくれ」という男と
「そうです、“俺”の供養をしてください」と
顔中涙でぐちゃぐちゃの男がやってきたのだから。
わけもわからず坊さんは弔いの支度をし、
死体は無事他の無縁仏と一緒に葬られた。
八さんと一緒に無縁仏の供養塔の前で手を合わせる。
俺の身代わりで迷惑だろうが成仏しておくれ。
隣にいる八さんの幸せを同時に願った。

弔いを終えて坊さんが
「お二人のお陰で、きっと仏さまも浮かばれる事でしょうな」と言うと
「坊さん、そりゃあ間違いだ」と八さん。
どうしてかと聞くと、八さんは自慢気にこう答える。
「仏さんは行き倒れだ。土左衛門じゃねぇ」
ああ、やっぱり八さんだ。八さんはこうでないとなぁ。

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